前回は仙台地裁で行われた優生保護法賠償訴訟判決について書いたが、6月2日付の河北新報の読者コーナー「声の交差点」に判決への批判投稿が載っていた。タイトルは「強制不妊手術は無知の罪」、今回の記事名もそこから借用した。投稿者は横浜市鶴見区・無職の堤静江(68)氏、以下はその全文。
「旧優生保護法下で行われた不妊手術を巡る訴訟で、仙台地裁は同法を憲法違反としたものの賠償請求は認めなかった。
この判決に納得できる国民はどれだけいるのだろうか。不妊手術は「不良な子孫の出生防止」を目的としたものだが、今回のことで背景には戦後の人口増による食糧不足があったことを知り、二重に驚いている。
不妊手術は本人の同意なしに障害者らに強制的に実施され、手術を受けたことすら知らない人もいるという。資料が破棄されていたり、手術の手続きがずさんだったりしたことが訴訟を通じ明らかになっている。
不法行為から20年が過ぎると、損害賠償請求権が消滅する民法の「除斥期間」を楯に賠償を拒む国の姿勢を追認した判断は疑問だ。被害者救済に背を向け、残酷さすら感じさせる。
1980年代には旧厚生労働省内で異論が出ていたが、国や国会議員は法整備に積極的に動かなかった。
人間は肉体に魂が宿った存在だ。仮に精神障害があったり、五体全てが健常ではなかったとしても、魂は等しく私たちの肉体に宿っているのである。この事実が学校教育などでしっかり教えられていたならば、偏見による不妊手術は起きなかっただろう。「無知の罪」があったと思う」
先ず、なぜ横浜市在住者が宮城の地方紙・河北新報に投稿したのか?というのが私の感想。尤も暫く前から河北の読者コーナーには他県、しかも 首都圏や大阪在住者からの投稿まで載るようになり、実に不可解である。編集部は宮城県民よりも他県の投稿者を有難がるようだ。
試に「横浜市鶴見区・堤静江」で検索したら、2016年6月1日付の毎日新聞サイトや青少年育成連合会の記事(2011年05月17日付)がヒットした。後者では「援助交際対策韓国を参考に」という投稿をしており、韓国事情に詳しいらしい。
堤氏の投稿も、「無知は貴女ご自身でしょ」と言いたくなる内容だった。仙台地裁の判決にお怒りのようだが、まるでこれに納得できない国民は少数派と言わんばかりの見方も、自分が納得できぬから他人も同じはずという感情論の典型。もしアンケートを実施すれば、判決を容認する国民は決して少数派ではないと私は見ている。尤も報道機関が取ったアンケートも鵜呑みにはできない。
そして堤氏が戦後間もなくの日本は旧植民地からの引き上げにより、人口増による食糧不足が深刻化していたことも満足に知らなかった様子には一番驚いた。捨て子も多発しており、ズバリ言えば国による口減らしだったが、68歳になっても終戦直後の食糧難事情さえ疎かったのか?50代半ばの私さえ知っているのに、当人自身が無知を晒しているのはお笑い草だ。
民法の「除斥期間」により、仙台地裁が国の賠償拒否を追認するのは当然である。地裁が法に定められたことを守らないならば、完全な順法精神からの逸脱となってしまう。被害感情を楯に特例を認めよというのは法律違反に他ならない。地裁に違法行為を迫るかのような報道もおかしいが、元から順法精神の薄いメディアゆえ当然か。
笑えたのは「人間は肉体に魂が宿った存在」の箇所。魂の存在を信じるのは自由だが、それを証明できるのか、と突っ込みたくなる。先日、世界的ベストセラー『ホモ・デウス』(ユヴァル・ノア・ハラリ著、河出書房新社)に目を通したら、思わず苦笑させられる箇所があった。人間の身体を研究した科学者たちによれば、未だに魂の存在は確認できていないらしい。
つまり、“心”や“魂”は存在せず、ニューロンのアルゴリズムによるものというのだ。実に身も蓋もないが、科学者の結論ではこうなる。解剖をしたところで、“魂”という臓器はないのだから。
堤氏のいう通り魂は等しく人間の肉体に宿っているとすれば、同時に悪しき魂も存在しているとなろう。とすれば、悪しき存在を除去するのは偏見ではなく宗教的にも認められている。アメリカで初めて優生思想に基づく中絶・堕胎法が制定され、キリスト教圏で広まっていったのは興味深い。
「無知の罪」の言葉も私的に気になった。いかにもクリスチャンが好む言い方で、ノンクリスチャンの一般日本人とは異なり、宗派問わずクリスチャンは「罪」を強調する傾向がある。総じて日本のクリスチャンは韓国シンパが多く、堤氏が韓国事情に通じていたのは意味深だ。
「(続)旧優生保護法は本当に悪法だったのか?NHKクローズアップ現代プラスや河北新報などの記事を比較して」という記事は実に読ませられる。今回の70代の原告女性の名を河北では飯塚淳子(活動名)と書いていたが、私が見逃がしていたのか、飯塚氏が23歳の時に養子をもらっていたことは知らなかった。
管理人ならずとも、「知的障害の女性が養子をもらうことは出来たのでしょうか。しかもシングルガールが」と思うのは当然だ。いずれにせよ、訴訟報道には印象操作が付きものと改めて感じさせられる。
◆関連記事:「優生保護法賠償訴訟に想うこと」
「サピエンス全史」
に対する考えた)を軽視してるなあと。
>不法行為から20年が過ぎると、損害賠償請求権が消滅する民法の「除斥期間」を楯に賠償を拒む国の姿勢を追認した判断は疑問だ
判例なり法改正もなく現行法律をやすやす軽視
したら起きる弊害に無頓着すぎですよ。「除斥期間」をなくしたらひいひいじいさん代の債務や地権利を巡って裁判とか収集つかなくなりますよって。
新法制定して救済とかいうならまだわかるんですが。この手の運動家は正義が慣習や法を超えてしまうからたまりません。
全く同感です。実は私もこの問題に関しての知識はありませんが、地元紙が大きく取り上げたので記事にしました。その当時の事情を完全に無視、訴訟ネタにするのが似権活動です。
魂の存在を学校教育でしっかり教えろ、に至っては話になりません。宗教学校は別ですが、公立学校でそれを行えば政教分離に反する。こんな投稿を載せる新聞も新聞ですが、家族の希望で購読を止められません。