トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

評論家という名の似非文化人 その②

2010-02-28 20:21:33 | 読書/ノンフィクション
その①の続き
「一知半解男」氏はブログ「一知半解なれども一筆言上」の管理人であり、「一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス」と自己紹介されている。記事の大半は山本の著書からの引用なので、このブログで山本の思想が分かる。「一知半解男」氏に紹介されたことで、著書『日本人とユダヤ人』『日本人と中国人』は見た。
 しかし、「一知半解」氏のブログを見ても、山本の思想に共鳴するどころか、反って疑念が深まるばかり。やはり、山本はクリスチャンの目線で日本社会を論評しており、言論には強く宗教観が絡んでいると感じさせられた。それだけならまだしも、明らかなキリスト教優位観が文面から滲み出ている。

「聖トマスの不信」での引用こそ、「一知半解」氏が初めて拙ブログで紹介した山本の言葉だった。氏は先日のブログでもここからの引用をしていた。中でも「聖トマスの不信【その2】なぜ日本では、聖トマスが存在しないのか?」の記事は、いかにもクリスチャンらしい欺瞞に満ちて興味深い。「一知半解」氏が言う「「宗教」と「事実」を峻厳して扱う公正な姿勢」を完全に欠いている。
 元から私は異教徒で、あるブロガーさんからも「あなたのキリスト教嫌いは相当なものがありますね」と指摘を受けたし、アンチクリストであることを隠すつもりも、恥じる気もない。「人は偏り見るもの」と言ったのは他ならぬ山本だし、山本がキリスト教徒の偏見露わに日本を見たように、彼を見る目が偏る者がいても当然だろう。私は異教徒だから「聖」をつけず、以下はただのトマスで記す。

 トマスは十二使徒の1人であり、イエスが復活したという他の弟子たちの言葉を信ぜず、実際にイエスを見て感激はしたと、ヨハネによる福音書に記されている。さらにイエスのわき腹の傷に自分の手を差し込み、その身体を確かめたので、西欧では「疑い深いトマス」と呼ばれているそうだ。
 山本はこのエピソードを引用し、論議を進めているが、これほどこじ付けと筋違い、的外れが際立つ内容も珍しいのではないか。山本が聖書というフィクションを「事実」として、大上段に振りかざし説教する姿勢も、公正さは欠片もない。記事「聖トマスの不信」で特に不可解な点を検証したい。

非常に面白いことに、聖書は、このトマスの態度を少しも非難していないのである。彼らにとっては、そう思ったら、そういうのが当然なのである。 まして、「そんなことを言うやつは、イエスの弟子とは認めない」といったり、やれ不敬だの、不信仰だのといった罵詈讒謗を加えた、などという記録は全くなく、淡々と、これまたそう書いてあるだけである…

 当たり前ではないか!イエスと救世主として最大限に粉飾して練り上げた物語が新約聖書なのだから。そもそも、キリスト教最大の欺瞞こそイエスの復活であり、死人が生き返ったなる出鱈目である。物言う蛇が登場する創世記はまだ愛嬌があるが、死んだ者が生き返るのは物語の世界に過ぎないのだ。いかに迷信に満ちた古代でも、死人が蘇り、弟子達の前に姿を現し、そして語ったなど、信者以外の人々には受け入れ難かったはずだ。聖書は何人も作者がおり、時代毎に幾度も改編されてきたのは聖書学者のみならず知っている。疑い深いトマスのエピソードは、イエスの蘇りという虚偽を真実として根付かせるために作られたのだろうと、私は推測している。

聖書の間違い」というHPがあり、管理人・佐倉哲氏は聖書にある数多くの間違いや矛盾を挙げられている。特に「復活4:イエスの顕現」という章は聖書での矛盾と加筆を詳細に書かれている。その上で佐倉氏はこう結論付ける。
イエスの復活に関する記録は、聖書全体の中でも最も矛盾の多い部分ですが、そのなかでも、特にイエスの顕現そのものに関する記録は、各福音書使徒行伝パウロの手紙、それぞれが独自の記録を持っていて、その証言がほとんど一致しません。それはまるで、被告人のアリバイを立証して、無実を証明しようとして呼んだ複数の証人たちが、それぞれ、熱心に、「被告人は事件当時わたしの家にいました」と証言するようなもので、証言そのものが被告人を窮地に追い込むのに似ています…

 一般に生き返った人物といえばイエスくらいしか浮かばないが、実は彼と共に多くの死人が生き返って墓から出てきたことが、マタイによる福音書に載っている。「また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都(エルサレム)にはいり、多くの人に現れた」(27:52-53)
  ゾンビの登場のようで笑えるが、この話を何故かクリスチャンは触れたがらないそうだ。その理由を佐倉氏は「復活1:イエスとともに復活した人々」で、次の四つを挙げる。奇跡のすごさにもかかわらず、マタイにしか取り上げられず、客観性が欠如している著者は、イエスを神の子として信じさせようという、あからさまな意図をもっていた物語の内容は、実は旧約聖書のエゼキエル書にあった著者は、イエスの出来事は旧約聖書の預言の成就であるという信仰的動機をもっていた…
その③に続く

◆関連記事:「キリスト教嫌い

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2 コメント

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Re:ずれるかもしれませんが・・ (mugi)
2010-03-02 22:22:36
>人参さん、

 全くずれていませんよ。戦国時代の宣教師や改宗したキリシタン大名の狂信性を書いた、見事なブログ記事もあります。
http://endanji.blog60.fc2.com/blog-entry-46.html

 在日ドイツ人も「教会は最大の犯罪組織」というサイトで、キリスト教会の犯罪行為を詳しく紹介しており、この中に日本での振舞いも描いています。
http://www.hpo.net/users/hhhptdai/kyoukaihanzai.htm

 私も記事「キリスト教嫌い」で書いたように、子供の頃「キリストを信じないと、地獄に落ちる」と白人宣教師に脅されました(笑)。山本も含め日本人クリスチャンは、まずキリスト教の残虐行為は触れず、日本のみを糾弾する。欧米植民地で改宗した現地人は、総じて宗主国の走狗となりました。
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ずれるかもしれませんが・・ (人参)
2010-03-02 12:11:00
戦国時代などには宣教師はキリスト教を布教し日本を国ごとひっくり返せると、スペインかポルトガルの公文書にあったと思います。
布教相手は多くは貧しいものや悩みを持っている弱者がターゲットそして権力者たちと対立、敵対の構図を作る。
私も随分勧誘されました。
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