その一、その二、その三、その四の続き
東隣のアフガンとの関係を書いたのが、45章「近くて遠い隣人」。西隣のアラブ人の国イラクと違い、アフガンの最大民族パシュトゥーン人はイラン人と同じく印欧語族だが、関係はさらに疎遠のようだ。シーア派が国教のイランに対し、スンナ派のパシュトゥーン人という事情だけでなく、所謂「イラン人の中華思想」も影響している。
イラン人はアラブ、トルコ、インドなどに対して表すのと同じく、自国を文化の中心に据え、アフガン人を蔑視する傾向がある。アフガン人がペルシア語の一種ダリー語の話者ではないことで差別することも。
アフガン人もまた、イランを反発と敵対の対象として見る傾向がある。サファヴィー朝ペルシアを倒したのはアフガン人だが、それ以前のアフガン西部は幾度もペルシアの支配下になり、アフガン人がそれを奪い返すという歴史だった。そのためか、一般にアフガン人はイランに対する警戒心が強く、反イランに付随した強いシーア派敵視感情がある。これまたサファヴィー朝時代のスンナ派抑圧政策に由来するという説もあるのだ。
中東諸国も隣国との関係はかくも複雑なのだ。イラン・イラク戦争時、イラン政府はイラクのシーア派に共闘を呼び掛けたが彼等は応じず、同じイラク国民としてスンナ派と肩を並べて戦った。この辺は他国に奉仕することが己の責務と妄信している日本のマイノリティ宗派よりは健全だろう。尤も売国奴と見なされれば、容赦なく制裁するのが中東世界だ。
中世イランのスーフィズム(イスラム神秘主義)について書かれた28章「神に対する愛」は興味深かった。イランのスーフィズムの特徴は愛の強調なのだ。イランでは神への愛が、次第に地上の美しい人への愛の比喩で語られるようになった。そしてついには単なる比喩ではなく、この世の美しい人への愛こそが、神への愛である、という境地にまで至る。この世の美しい人が、神のイコンとして崇拝されるようになった。
これは、イラン特有のスーフィズムの愛の理論の発展形態であり、初期のスーフィズムには見られず、アラブ社会にもないという。しかし、イランの影響を受けたインドやトルコのスーフィズムにはそれがあるそうだ。
この世の美は神の美の顕現であり、神の美の完全の反映であるので、美しい人を愛することは神を愛することに他ならない。つまり、この世の美しい人を語ると同時に神を語ることができるようになったのだ。私にはこの“神に対する愛”と、多神教世界の生き神様信仰との違いがよく分からない。
この思想はイランでは特に詩に大きな影響を与え、神への熱烈な愛と、神との合一の境地は地上における男女の恋愛関係に例えられて情熱的、官能的に表現された。神に対し、「恋人よ」「わが命」と呼びかけることもあったという。また詩のテーマになったのは女だけでなく、美少年への愛を謳った作品も多かった。
かくしてスーフィズムの詩は、どのような世俗的なものでも神的な愛の詩として読むことが可能になった。後代になると、世俗的な詩を宗教的な詩として読み解く技術も発達してくる。それ故イラン革命後も、このような酒や美女を謳う詩が禁止されず、読まれ続けられているそうだ。
それどころか、あのホメイニさえこのような詩集を著していたという。あの厳格な神学者が酒や愛を謳った詩集を書いていたということは、日本人にはまるで想像がつかないだろう。いかにもイラン的らしいが、同時に恐ろしい二面性も感じられた。
29章「道徳的実践」はこう結ばれている。
―イランはその地理的位置ゆえに、何度も異民族による侵攻を体験し、また様々な言語、宗教、文化を持つグループ(民族)が混在する社会である。そのような社会で「より正しく」生き、「より良く」生活するためにどのように身を処すべきか。それを考えるためイランの道徳は、理論や理想だけではなく、非常に現実的で具体的な一面をも持っているのである。
日本の道徳がとかく理論や理想中心で非現実的、抽象的に陥るのも、島国という地理的条件があるのだ。しかし、大陸諸国ではイランのような国が普通であり、日本の方が世界的には珍しい。まして、隣国との友好を強迫観念の如く説きまくる政治屋が蔓延るのこそ、イスラム主義体制よりおかしいのではないか?イランの一筋縄ではいかぬ強かさを、日本が少しでも身に付けたら良いのに…と思うのは私だけか?
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