そのⅠ、そのⅡ、そのⅢの続き
第1回十字軍に参加した諸侯の中で、特に際立っていたのがボエモン1世とその甥タンクレード。『十字軍物語』ではボエモンド、タンクレディとなっているが、これはイタリア語読みだろうか?塩野七生氏ははじめにボエモン1世を、プーリア公ボエモンド・ディ・アルタヴィッラと紹介しており、以降は著者の表記に従いたい。ボエモンドの父はシチリア島にノルマン朝を建てた人物。ボエモンドは出身や領地こそ南伊でも、血筋ではノルマン人で、47歳の彼を見たビザンツ帝国皇女アンナ・コムネナ(アレクシオス1世の長女)は、その風貌をこう記していた。
-背は総じて高い欧州からの諸侯に混じっていても頭一つ高く、金髪で、痩せ型であっても頑健な体つき。青い眼で射るように人を見、堂々とした立居振舞は自尊心の強さを示し、厳しい性格であっても冷静で悪賢く、それでいながら何とも言えない愛嬌が漂う。
ボエモンドは女にモテる男だったそうで、キリスト教徒の女だけでなく、敵方のイスラム教徒の女にもモテたと塩野氏は書いている。彼が十字軍に参加したのは、聖地エルサレムの解放よりも、自分だけの広大な領地が欲しかったからだとか。十字軍以前にはビザンツ帝国の軍と領土争いのため戦っており、イタリアの都市を攻めたりするような男だった。
アンティオキアを陥落させた際のボエモンドの深謀は面白い。城塞を守るアルメニア人隊長と密かに接触、交渉し、ついに内通者に仕立て上げた。城塞の守りが協力するのだから、城門は開けられ、そこから十字軍兵士が乱入する。風貌こそ北欧の血が濃いが、武力だけでなく謀略も駆使するやり方から、考えは完全にイタリア式だろう。彼の野望を挫いたのは中東のムスリムではなく、ビザンツと組んだヴェネツィア共和国だった。
その甥タンクレディも若将ながら見事な闘いと活躍で、伯父を支える。タンクレディも若いだけに気性は荒く激しかったが、単に勇猛さだけでなく、鮮やかな戦術、政略で十字軍に貢献する。塩野氏はタンクレディの容貌を美しかったのではないかと推測していたが、彼もノルマン系なので、伯父のように紅毛碧眼だったかもしれない。
他の十字軍諸侯に比べ、ボエモンド、タンクレディへの言及が多いのもイタリア贔屓の塩野氏らしく思える。前者を女に魅力を感じさせる男として描いた氏自身、このノルマン系諸侯に魅せられたのではないか。そんな私も、『十字軍物語』で魅力的と感じた人物だった。
他の十字軍諸侯で印象的だったのが、ゴドフロワ・ド・ブイヨン。ロレーヌ人だが、神聖ローマ帝国に属していたから、フランス人よりもドイツ人だったと塩野氏は書く。確かに物語に見るゴドフロワは生真面目で秩序を重んじる性格だった。エルサレム“解放”後のゴドフロワの行動は興味深い。異教徒を殺しまくった他の西欧の騎士たちと違い、聖墳墓教会に直行、そこで静かに祈りをささげている(ただし、汝の敵を愛せと、仲間の蛮行を止めてはいない)。自ら征服した聖都でありながら、エルサレム王とは名乗らず、「キリストの墓所の守り人」で通したという。 40歳で死んだゴドフロワは聖墳墓教会に埋葬された。
数では完全に劣る十字軍が成功したのも、セルジューク朝でのイスラム諸侯の内部対立が原因だった。近親者同士でも争い、父子や兄弟同士が骨肉の争いを繰り広げ、敵を出し抜くために十字軍とも協力する有様。ややこしいのはセルジューク朝も統一されておらず、ルーム・セルジューク朝、シリア・セルジューク朝などの地方政権が各地を支配し、パレスチナはエジプトのファーティマ朝の支配下にあった。
イスラム側も当初は宗教を旗印にした戦争とは思わず、長くビザンツ帝国領だった小アジアを奪還するための戦と誤解していた。この認識が改まるのはサラディンの登場以降である。
十字軍にはイタリアの都市国家も協力、特にジェノバやピサのキリスト教徒はムスリム虐殺に血道をあげた。ただ、塩野氏はその原因を地中海を制覇したイスラム海賊が、イタリア諸都市を襲い、住民を拉致、奴隷として連れ去ったことに求めている。ヴェネツィアが対イスラムでさほど狂信的にならなかったのも、アドリア海に面したこの町は比較的イスラム海賊による被害が少なかったからではないか、と述べている。これには頷けた。中世はイスラム海賊の活躍する時代でもあった。この物語の2巻以降の展開が楽しみだ。
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第1回十字軍に参加した諸侯の中で、特に際立っていたのがボエモン1世とその甥タンクレード。『十字軍物語』ではボエモンド、タンクレディとなっているが、これはイタリア語読みだろうか?塩野七生氏ははじめにボエモン1世を、プーリア公ボエモンド・ディ・アルタヴィッラと紹介しており、以降は著者の表記に従いたい。ボエモンドの父はシチリア島にノルマン朝を建てた人物。ボエモンドは出身や領地こそ南伊でも、血筋ではノルマン人で、47歳の彼を見たビザンツ帝国皇女アンナ・コムネナ(アレクシオス1世の長女)は、その風貌をこう記していた。
-背は総じて高い欧州からの諸侯に混じっていても頭一つ高く、金髪で、痩せ型であっても頑健な体つき。青い眼で射るように人を見、堂々とした立居振舞は自尊心の強さを示し、厳しい性格であっても冷静で悪賢く、それでいながら何とも言えない愛嬌が漂う。
ボエモンドは女にモテる男だったそうで、キリスト教徒の女だけでなく、敵方のイスラム教徒の女にもモテたと塩野氏は書いている。彼が十字軍に参加したのは、聖地エルサレムの解放よりも、自分だけの広大な領地が欲しかったからだとか。十字軍以前にはビザンツ帝国の軍と領土争いのため戦っており、イタリアの都市を攻めたりするような男だった。
アンティオキアを陥落させた際のボエモンドの深謀は面白い。城塞を守るアルメニア人隊長と密かに接触、交渉し、ついに内通者に仕立て上げた。城塞の守りが協力するのだから、城門は開けられ、そこから十字軍兵士が乱入する。風貌こそ北欧の血が濃いが、武力だけでなく謀略も駆使するやり方から、考えは完全にイタリア式だろう。彼の野望を挫いたのは中東のムスリムではなく、ビザンツと組んだヴェネツィア共和国だった。
その甥タンクレディも若将ながら見事な闘いと活躍で、伯父を支える。タンクレディも若いだけに気性は荒く激しかったが、単に勇猛さだけでなく、鮮やかな戦術、政略で十字軍に貢献する。塩野氏はタンクレディの容貌を美しかったのではないかと推測していたが、彼もノルマン系なので、伯父のように紅毛碧眼だったかもしれない。
他の十字軍諸侯に比べ、ボエモンド、タンクレディへの言及が多いのもイタリア贔屓の塩野氏らしく思える。前者を女に魅力を感じさせる男として描いた氏自身、このノルマン系諸侯に魅せられたのではないか。そんな私も、『十字軍物語』で魅力的と感じた人物だった。
他の十字軍諸侯で印象的だったのが、ゴドフロワ・ド・ブイヨン。ロレーヌ人だが、神聖ローマ帝国に属していたから、フランス人よりもドイツ人だったと塩野氏は書く。確かに物語に見るゴドフロワは生真面目で秩序を重んじる性格だった。エルサレム“解放”後のゴドフロワの行動は興味深い。異教徒を殺しまくった他の西欧の騎士たちと違い、聖墳墓教会に直行、そこで静かに祈りをささげている(ただし、汝の敵を愛せと、仲間の蛮行を止めてはいない)。自ら征服した聖都でありながら、エルサレム王とは名乗らず、「キリストの墓所の守り人」で通したという。 40歳で死んだゴドフロワは聖墳墓教会に埋葬された。
数では完全に劣る十字軍が成功したのも、セルジューク朝でのイスラム諸侯の内部対立が原因だった。近親者同士でも争い、父子や兄弟同士が骨肉の争いを繰り広げ、敵を出し抜くために十字軍とも協力する有様。ややこしいのはセルジューク朝も統一されておらず、ルーム・セルジューク朝、シリア・セルジューク朝などの地方政権が各地を支配し、パレスチナはエジプトのファーティマ朝の支配下にあった。
イスラム側も当初は宗教を旗印にした戦争とは思わず、長くビザンツ帝国領だった小アジアを奪還するための戦と誤解していた。この認識が改まるのはサラディンの登場以降である。
十字軍にはイタリアの都市国家も協力、特にジェノバやピサのキリスト教徒はムスリム虐殺に血道をあげた。ただ、塩野氏はその原因を地中海を制覇したイスラム海賊が、イタリア諸都市を襲い、住民を拉致、奴隷として連れ去ったことに求めている。ヴェネツィアが対イスラムでさほど狂信的にならなかったのも、アドリア海に面したこの町は比較的イスラム海賊による被害が少なかったからではないか、と述べている。これには頷けた。中世はイスラム海賊の活躍する時代でもあった。この物語の2巻以降の展開が楽しみだ。
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私もノルマン人の習慣や文化について全くの浅学ですが、長身で金髪碧眼の人々のイメージがあります。だから、ボエモンドのようにシチリア諸侯でもやはり容貌は北欧系だったのかと感じました。
しかし、貴方の読まれた小説では黒髪黒目で日焼けしたノルマン人が登場するとは…いくら祖先が金髪でも同族婚でもしない限り、容姿は変化していくでしょうね。以前ТVで見たシナの回族ですが、完全に漢族の容貌だったので、意外と同時にそれも当然か、と納得しました。