その一の続き
本書で特に面白かったのが、第4章 ティツィアーノ・ヴィチェリオ『軍服姿のフェリペ皇太子』と第10章 トーマス・ローレンス『ローマ王(ライヒシュタット公)』。フェリペ皇太子とは後のフェリペ二世だが、スペイン帝国の絶対君主のイメージが強いためか、スペイン・ハプスブルク朝の君主でもあったことを本書で思い出した。
日本でスペインは「情熱の国」と呼ばれているが、本書では堀田善衛の次の一文が紹介されている。
「スペインの人間たちの発散する、えもいわれぬある種の暗さ、陰気さ、しかもこの暗さと陰気さが、男たちにあって一種異様な性的魅力となってあらわれる」(67頁)
著者も云うとおり確かに同じ南国でも、イタリア的陽気さはスペインに無縁だ。派手で明るく、抜群の美的センスを誇るイタリアに対し、後者は質実剛健なイメージがある。スペイン史に疎い日本人でもスペイン異端審問の苛烈さは知られている。同じカトリックで法皇のおひざ元にも関らず、イタリアでの異端審問は温かった。
軍服姿の皇太子時代のフェリペ二世の肖像画からも、暗さ、陰気さが発散されており、複雑な内面が伺えた。父の様に戦場から戦場へ駆けずりまわったわけでもなく、殆ど宮殿で書類に埋もれていたにもかかわらず、血塗られた一生と言っていいほどだ、と著者は断言する。そして第4章はこんな一文で結ばれていた。
―「スペインが動けば世界は震える」と言われたが、間違いなく「フェリペが動けば血が流れた」のであった。(78頁)
ローマ王(ライヒシュタット公)はナポレオン二世の称号であり、父はあのナポレオン。トーマス・ローレンスの肖像画で描かれたナポレオン二世は7~8歳くらいながら、見るからに賢そうで意志の強そうな少年である。しかもなかなかの美少年。
依頼主を喜ばせようとして画家が殊更美化したのかと思いきや、この十年後には慎重187センチの眉目秀麗な青年となり、女性たちに溜め息をつかせたという多くの証言がある。しかし彼は、母に見捨てられた英雄の息子となった。
母マリー・ルイーズは大叔母マリー・アントワネットのような派手な美女ではなかったが、それでも神聖ローマ皇帝のやんごとなき皇女。18歳で無理やりナポレオンに嫁がされたこともあるのか、輿入れ翌年に息子が生まれても、乳母に預けっぱなしでさっぱり興味を示さなかった。
そのくせマリー・ルイーズは、ナポレオン生前から補佐役のナイペルク伯爵と不義を続けており、伯爵との間に幾人かの子供を儲けている。思春期にこれを知らされた息子の痛手は大きく、父を裏切った母に幻滅したようで、「英雄である父に相応しい女性ではなかった」と友人に漏らしたと云われる。
ナポレオン二世は容姿には恵まれても、幼少時から体は丈夫ではなく、21歳の若さで結核で死んだ。マリー・ルイーズは息子が死病にとりつかれたと2年前から知らされていたのに、息子のもとに来たのは死のひと月前のことだった。
あとがきでの文章は歴史好きには意味深いので、その個所を紹介したい。
―歴史はやはり人物の面白さに尽きる、と改めて思いました。とりわけ仇役のスケールが大きいと、主人公の輝きもいっそう増すというもので、フリードリヒ大王に散々な目にあわされたからこそマリア・テレジアの辣腕ぶりがわかるし、エリザベス一世との死闘・暗闘の繰り返しからフェリペ二世の政治力が測れるといった具合。そして個人的に大いに魅了されたのは、このフェリペ二世です。(205-6頁)
もちろん歴史は人物の面白さはあるが、描き方の面白さにも大きく左右される。同じ人物を描いても内容は段違いという例は少なくない。歴史上の人物を活かすのは結局作家の力量であり、広く読まれているのは文才のある作家の証だろう。
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邪魔だったのでしょう。しかし、18世紀の貴族社会は乱脈もいいところだったのに、ナポレオンの息子はショックを受けているとなると、19世紀になって価値観が変わりつつあったのか、とも思います。マリー・ルイーズの態度も政略結婚の結果でもあるので、何とも割り切れませんね。
政略結婚を強いられた事情があるにせよ、ここまで長男に冷淡なのは驚きます。ハプスブルグ家の皇女は政略結婚が当たり前だったし、愛人との間に生まれた子供らにはどうだったのでしょうね。
本当にどうだったのでしょうね。マリー・アントワネットは子どもたちの事は可愛がっていましたし。
マリー・アントワネットも家庭内別居をして手紙に「王を避けている」「自由になりたい」と記していたものの、苦難の時代が夫婦を結びつけました。夫の処刑後は虚脱しています。しかし、あのまま平穏な時代が最後まで続いていたらどのようになっていたのでしょうか。
子供時代のマリー・ルイーズはナポレオンを憎んでいましたが、結婚後は印象が変わったはずです。それでも夫を愛せなかったにせよ、息子には冷たすぎました。もしナポレオン2世が健康体で長く生きていれば、母子はひと悶着ありそうな。
平穏な時代が最後まで続いていたら、マリー・アントワネットの家庭内別居も最後まで続いていたかもしれませんね。世継ぎを生んで義務は果したのだから、公然とフェルセンと宮廷に現れたかも。