その①、その②、その③の続き
狂信的な宗教組織が過激化するのにさして時間は要しない。元から政教一体が大原則のユダヤ教、宗教組織員が社会や政治問題に介入してくるのは当然なのだ。宗教に回帰したユダヤ人にとって、唯一神から与えられた神聖なる“約束の地”を1平方㎝でも汚らわしいゴイにわたすのは、耐え難い屈辱だけでなく冒涜行為なのだ。彼らの中にはテロリズムに走る者も出てくる。
1984年の初頭には、イスラエルのバスが襲撃されたことへの報復として、アラブの5台のバスに爆弾を仕掛け、最も交通量の多い時間帯に爆破させようとする計画もあったが、イスラエルの秘密警察によってテロは阻止された。また同年4月、イスラエル警察はムスリム学生を殺害、パレスチナ市長へのテロを行ったかどで、ユダヤ・テログループのメンバーを逮捕している。一部活動家の中には、神殿の丘の上にある岩のドームやアル=アクサー・モスクを爆破する計画を練っている者までいたのだ。
このような宗教過激派は、低学歴や低収入で社会の底辺層出身者ばかりかと思いきやそうではない。ユダヤのテログループの中にはユダヤ教に改宗したフランス人プロテスタントもいて、母国の大学では非常に優秀な生徒だったにも拘らず、学業や祖国を捨てて宗教の道を歩むようになった。
テロには参加しなかったものの、宗教運動に熱心な学者もいた。磁気流体力学の優れた研究者でありながら、昼間は研究に奉げた後、夜はトーラーの研究に専念した学者は、常にラビに相談していたという。面白いことに同時代のイスラム世界でも、宗教過激派には文盲どころか学位を持つ理工系の若者が珍しくなかったそうだ。
“回帰”や“悔悛”の結果が最も目覚ましく現れたのは、ユダヤ社会だったという。この結果、周囲の社会の風俗や倫理との断絶を推し進め、周囲との分離を図って同化を拒否、ゲットーに住むようになる。フランスのユダヤ活動機関誌には、創造主の目から見ればユダヤ人と非ユダヤ人との間には、非ユダヤ人と動物の間くらいの差があると書かれていたという。
古代ローマの歴史家タキトゥスは、「ユダヤ人が我々にとって耐え難い存在であるのは、自分たちは帝国の他の住民とは違うという、彼らの執拗な主張にある」という言葉を遺しているが、つくづくユダヤ人とは紀元前から変わりないと痛感させられる。
米国のТV伝道師のことは知っていたが、勿体ぶった説教とは裏腹に、様々な風俗事件を起こし、信者から集めた多額の寄進で、テーマパーク紛いの宗教施設を建てた者までいた。詐欺や信者への暴行、同性愛にふけり、禁固刑を受けた伝道師もいる。宗派問わず宗教の名が付くところに、カネが集まるのは何時の時代も同じだ。
一方、欧州の宗教運動はイスラエルや米国に比べ、かなり大人しい。教会の寄付は失業した若者のために費やされるケースも多く、政治への影響力はイスラエルや米国よりも小さいのだ。
政治に宗教が介入する現象に、違和感を覚える日本人は少なくない。翻訳者の中島ひかる氏の見解はそれへの回答となると思う。
「そもそも、イスラム諸国はいうに及ばず、イスラエル、西欧或いはアメリカにおいてさえも、宗教とはまず「理念」であり、「理念」とはすなわち政治だからである。当然といえば当然のことながら、「理念」や「価値観」が政治を動かすということ自体、今の日本にとっては案外馴染みにくい思考なのかもしれない……」
「はじめに」で著者ケペルは、こう述べている。
「当時、ほぼ世界全域に亘って開花した宗教運動を観察することは、それを通して、現代社会が過去四世紀半の間に経験してきた変化の全体を問うことである。世論は変化の結果を感じていても、原因には通じていない」
また終章で著者は21世紀を見据えるかのように「ジハードの拡大」を断言、次のように書いている。
「1990年という現在、最も大きな発展可能性を秘めているのは再イスラム化運動である……しかしながら、現代ムスリム世界という根底から不平等な社会のなかでは、徐々に成功を収めつつ再イスラム化運動に取って代わるだけの民主主義的代替案が生まれてくるチャンスは殆どない。若い成人層の大半にとって、失業の見通しがかなりはっきりしているという時、「ジハード」は公的自由より魅力の大きいものになっている」
ケペルは著書をこう結ぶ。彼の予見は現代から見て不気味なものがある。
「今はまだ、コンスタンティヌス帝が改宗し、十字軍の火ぶたが切られる時期ではない。しかしながら、中期的には世界を再征服しようという野心を持つ宗教運動が並行して発展を見せる時、それが担っているのは紛争の論理である。信者同士の争いと、そして戦争。彼らは宗教的アイデンティティを再確認することを以って真実の根拠とするが、その真実は排他的であると共に独自のものなのである」
◆関連記事:「イスラエルの過激派」
「ユダヤ式お見合い事情」
「兄はイスラム原理主義者になった」