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先月末、仙台市博物館の特別展『雪舟と宮本武蔵と水墨画』を見てきた。サブタイトルには「岡山県立美術館 珠玉の名品」とあり、特別展をチラシではこのように紹介している。
「水墨画は中国で生まれ、日本においても室町時代以降、盛んに描かれるようになりました。特に雪舟の活躍によって日本の水墨画は大きく発展しました。
岡山県立美術館は、岡山出身である雪舟とその弟子たちの作品をはじめ、岡山ゆかりの宮本武蔵、浦上玉堂(うらかみぎょくどう)の作品、さらに日本の水墨画のルーツとなる中国絵画の名品などを所蔵しています。本展では、重要文化財を含む国内屈指のコレクションを通して、水墨画の真髄をご堪能いただけます」
展示は約70点、いずれも国内屈指の水墨画コレクションを持つ岡山県立美術館の所蔵品とか。雪舟と宮本武蔵の名が特別展名にあるといえ、雪舟の作品は思いの外少なかった。
トップ画像の下部は雪舟筆の山水図(倣玉澗)、中国の画僧玉澗(ぎょっかん)の画風や技法に倣って描かれた作品で、特別展の目玉だが、水墨画に全くのシロウトである私には、この絵の良さが分からなかった。
今回の特別展で、宮本武蔵が水墨画も描いていたことを私は初めて知った。五輪書の名だけは知っていたが未だ読んだことはなく、武蔵といえば剣豪のイメージしかない。武蔵は多くのТVドラマや漫画作品で取り上げられており、剣の道を究める剣豪の面ばかりが強調されている。
彼を一途に慕うお通も知られているが、実は吉川英治の小説「宮本武蔵」における創作上の女人だった。少なくとも私は、水墨画を描く武蔵の姿をTVドラマで見たことがないし、メディアの影響力のスゴさが改めて知れる。
剣豪には関心がなかったので、武蔵が水墨画の才能もあったことを遅まきながら知った。チラシにも雪舟と共に彼の画が使われ、上の画像の上部は「布袋竹雀枯木翡翠図(ほていちくじゃくこぼくひすいず)」から。題名通り中央に布袋、左右に鳥が描かれ、翡翠とはカワセミ・ショウビン・ヤマセミ等を含む、かわせみ科の鳥の総称でもある。
この画に描かれた翡翠がまたイイ。獲物を捕らえようとする眼光の鋭さは見事。今回の特別展で最も気に入った作品のひとつだった。展示№39「遊鴨図」も武蔵作だが、この鴨もまた目が鋭く、とても遊んでいるようには見えない。剣豪が描くと鳥も文人絵師とは違ってくるのだろうか。剣一筋というイメージが流布しがちの武蔵だが、実際は文武両道の人物だった。
会場には中国の水墨画も展示されていて、№2「老子図」は牧谿(もっけい)の作。「老子図」の顔の箇所をアップにしたサイトもあるが、伸び放題のヒゲはまだしも、勢いよく伸びている鼻毛まで描かれているのだ!むさ苦しい乞食僧のようだし、何故このような老子図が描かれたのだろう?リアリズムを追及したのかもしれないが、古代の聖人を美化せずに描く手法は日本人にはなかなか馴染みにくい。
wikiには「現在、牧谿の優品はほぼすべて日本に」あることが載っていて、この作品は重文となっている。日本の水墨画に大きな影響を与えた牧谿だが、本国では忘れ去られ評価も低いらしい。その理由のひとつに後代の文人画の流行によって、牧谿が連なる院体画系の絵師や仏教美術は相対的に低く評価されてしまったことが考えられている。
文人画もまた日本に大きな影響を与え、特別展でも富岡鉄斎の文人画が数点展示されていた。同じ文人画でも私的には浦上玉堂の画のほうが好みだった。
水墨画といえば、山水の風景画のイメージがあり、墨の濃淡だけで風景を描く技法を最初に行った絵師は誰だったのだろう?
中国観光した日本の中小企業の社長さんは、よく山水画の偽物をつかまされるが、例え贋作であってもイイと感じる画も多い。絵の価値のまるで分からない成金、といえばそれまでだが、それだけ水墨画は日本人に愛されているのだ。
水墨画自体は濃淡のちがう墨と筆があればかけますから紙と筆ができたころからあったのではないでしょうか。戦乱でものがのこりにくい時代です。
美術史では山水図のながれでとらえるので唐末からのようです。日本の水墨画は中国の影響を受けたものをいっているようです。なるほど、鳥獣戯画が水墨画扱いされないわけですね。
>madi さん、
サブタイトル通り、まさに「岡山県立美術館 珠玉の名品」ぞろいで、楽しませて頂きました。水墨画に限らず絵画というものは総じて残り難いですよね。戦乱だけでなく火災などで消滅したり、虫害に遭ったり。だから壁画やレリーフの文化遺産が多いのです。
コメントで初めて気付きましたが、仰る通り鳥獣戯画は水墨画とは呼ばれていませんでした。墨で描かれているにも関わらず、鳥獣がテーマの作品は水墨画ではないのですね。