他の地方紙は不明だが、河北新報には「小中高生の意見」というコラムが随時掲載されている。ただ、その意見たるや、まるで大人が代筆しているか、リベラル派の代弁者同然の理想論が多く、本当に小中高生が書いたのか疑わしいものが多い。
そのため近頃はこのコーナーを読まなくなっているが、たまたま目に入り、つい見てしまったのが10月18日付の「アニメ内容 親がまず確認」という意見だった。投稿主は宮城県利府町・利府三小6年の伊藤禅人さん(12歳)。以下はその全文。
「人気アニメ「鬼滅の刃」は、小さい子どもには良くも悪くも影響があるのではないかと思います。
実際に僕も見ましたが、第1話から鬼の首が取れ、血がどろどろ流れる内容でした。怖くて「うわっ」と思ってしまう場面もありました。しかし、主人公が鬼から妹を助ける絆や個性豊かなキャラクターたちにひかれて、見ている人も多いと思います。
だが、僕の親は「刃物で切る場面は心に悪い影響があるよ」と語っていました。例えば、自分の子供が幼稚園や保育園に行っているとします。そこで鬼滅の刃ごっこが始まり、友達をおもちゃでたたいたりしたら、だれかがけがをしてしまうかもしれません。子どもはヒーローにあこがれ、まねして遊ぶことがあるからです。
アニメについては、親が一度確認して、子どもが見ても大丈夫かということを判断した上で、OKだと思ったら、子どもに見せた方が安全で問題は起きないと思います。」
毎度ながら、この種の投稿は本当に12歳児が書いたのか?と言いたくなる。12歳の小学生よりもその親が書いたとしか見えない意見そのものだが、伊藤君が本当にこう思っているならば、今時珍しい親に従順な“良い子”の標本だろう。
人気アニメ一つ見るにせよ、12歳になっても親の意見に全面的に従うのであれば、自主性がかなり薄いのではないか?反抗期がない子どもは親にとってはラクかもしれないが、将来はその反動で親から自立できないケースもあるという。
アニメ「鬼滅の刃」は小さい子どもばかりか、あれだけの社会現象となっているのだから成人にも良くも悪くも影響を与えている。そして幼稚園児を持つ親なら、子供に悪影響を及ぼすアニメや番組に多少なりとも注意していることにも気付かないとは、いかにも12歳児らしい。
さらに伊藤君は鬼滅の刃ごっこで、友達をおもちゃで叩いて怪我をさせることを危惧している。おそらくおもちゃの剣を使っての遊びと思えるが、玩具メーカーも子供が使用しても怪我しないように設計している。子供が怪我をすれば、訴訟沙汰になることを玩具メーカーは恐れているし、売り上げにも影響することを知らないのは12歳では無理か。
もちろんおもちゃの使い方次第では怪我になることはあるし、素手で叩いても十分に怪我はさせられる。このようなことを言う伊藤君は友達とチャンバラごっこなどしたことはないのだろうし、もしかすると取っ組み合いのけんかもしたことがないのやら。最近の男の子はあまり素手で喧嘩をしなくなったと聞くが、陰険なイジメは好むのか。
確かに私から見ても、「鬼滅の刃」には残酷なシーンがある。幼稚園児には刺激が強いのは否めないし、映画の様にPG-12指定でもよいかもしれない。第1話から鬼の首が取れ、血がどろどろ流れる内容だったし、大人でも怖くて「うわっ」と思ってしまう場面はあったかもしれない。
だが最も恐ろしいのは、主人公の家族が鬼に惨殺され、血まみれの躯になっているシーンではないか。それに比べれば鬼の首が飛ぶシーンなど大したことはない。むしろ人間の女子供を容赦なく殺す鬼が始末され、子どもでも喜んだ視聴者の方が多かったのではないか?
流血シーンが苦手な人は大人にも少なくなく、特に女性にはそのタイプが多い。同時に12歳でも、血がどろどろ流れる内容のアニメを平気で見ている少女もいるだろう。私が12歳の時にアニメ「鬼滅の刃」を見ても、特に動じなかったと思うし、こればかりは個人差が大きい。
「刃物で切る場面は心に悪い影響があるよ」と言う伊藤君の親だが、歴史ドラマに限らず映画にはその類の場面は少なくない。刃物で切る場面を極力避けていれば、見る作品は制限されてくる。尤も親に心に悪い影響があると言われても従うどころか、逆に好奇心で見てしまう子供もいるかもしれない。私自身がそうだったように。
私が小学生の頃に見たアニメで印象的だったのは、少年が大人相手に戦う作品。怖い悪者のおじさんが主人公を殺そうとするし、戦いの場面での流血シーンは当たり前。首が飛ぶ話は見た記憶がないが、刃物で切る場面は珍しくなかった。
それが子供の心に悪影響があるかどうか、児童心理学者ではないので分からない。ただ、発言から伊藤君の親は過保護気味に感じたし、親自身が刃物で切る場面は心に悪い影響があるとして嫌っているようだ。
伊藤君の母校利府三小は教育目標として、「自ら学び、豊かな情操と創造性を備え、健康でたくましく生きる児童の育成」を掲げている。尤も子どもに干渉し過ぎる親の元では、自ら学び、たくましく生きる児童の育成には難があろう。
今回に限らず、河北新報の小学生の投稿にはやたら社会に注意喚起を呼びかける説教くさいものが多い。11歳くらいの小学生がコロナ感染への注意を呼びかけたり、外国人への偏見をなくそうといった投稿もある。まるで昭和左翼のスローガンを見ているようで、ゲンナリさせられるが、リベラル老人購読層向けに意識高い系の子供の意見を載せているのだろうか。
こんな子供の声を載せる編集部記者こそ、家庭ではどんな子育てをしている?と勘繰りたくなる。少なくともアニメについては親が一度確認、子どもが見ても大丈夫と判断しているのだろう。
◆関連記事:「新聞に見る子供の声」
「サスケ」
「海のトリトン」
「見ました!アニメ版鬼滅の刃」
その通りですね。
リベラルとは「自由」のことです。
親がまず確認するのは子供の自由を奪うことなので、基本的にはリベラルの反対のです。
本当に子供に言わせるようにしていたら、ほとんど洗脳です。
(肉体面や経済面などで)弱い者は、強い者に従わされて自由を奪われる場合があるので、保護することで自由を保障するというのが、社会自由主義の思想です。
しかし、理想の実現のために「自由」という目的を忘れると(手段である)保護が目的化して統制に向かいます。いわゆるサヨクですね。もはや、リベラルではありません。
一方で、保守主義も似た問題を抱えます。
保守主義は、理性の限界(人間は間違うこともあること)を前提に、先人の叡智である伝統を尊重しつつ少しずつ修正してゆく思想です。
間違った時に修正するためには、自由な思想・言論を必要とします。(だからこそ、「保守」である自民党は「自由」を掲げています。)
しかし、伝統の尊重だけが目的化すると、理想主義になり思想・言論の統制に向かいます。高市早苗などが推進する「青少年健全育成」などがそうです。いわゆるウヨクですね。もはや、保守主義ではありません。
保守主義(漸進主義)はリベラルを必要とします。
理想主義(革新主義)は統制を必要とします。
リベラル派とは今や日本だけでなく欧米でも、左翼の擬態と見られるようになっていますね。仰る通り本来リベラルとは「自由」を意味しますが、リベラル派は独裁国家や宗教ファシズム体制はまず批判しません。私が「似非リベラル」「自称リベラル派」と書くのはそのためです。
今回の意見に限らず、河北新報は子供に言わせるように仕向けているのは明らかです。リベラルを装う左翼はアニメや漫画に規制を掛けることを目指しており、そのために「小中高生の意見」を利用している。
投稿者の親は新聞関係者または市民団体では?と感じています。親の考えに思想を誘導する、洗脳に近いことを行っているかもしれません。宗教信者とも似ており、このような親を持った子どもは自ら学ぶことは難しいでしょう。
サヨク、ウヨク問わず親はわが子を健全に育てたいと願っています。子どもが流血シーンのあるアニメを見て、悪影響が出ることを危惧するのは親心として理解できます。
しかし、ごっこ遊びでおもちゃで叩くことまで禁止すれば、遊び方も分からなくなる。遊びを通して人間関係を学ぶのに、けんかひとつ出来ない少年は「健全」とは言えません。
手段は違っても、ウヨク、サヨクともに「青少年健全育成」を目指します。前者が愛国・民族主義を基本とするのに対し、後者は地球市民。尤も地球市民を強調する野党の女議員よりも高市早苗の方がマシです。
私も規制を目論んでいると感じました。何しろ台湾の旗を2度も白旗で紹介した地方紙だから、言論統制の御先棒担ぎは平気なのです。
先月、自民党総裁選たけなわの頃、週刊新潮のグラビアに当時の4候補の趣味というか、持ち物自慢というか、そういう趣旨で4候補と「趣味・持ち物」にかかる写真が2ページ見開きで載せられていた。
そのときに高市候補が嬉しそうに披露していたのが、愛車「トヨタ・スープラ」。もちろん80年代のモデル。つまり、30有余年もオーナーであり続けたということ。
これだけでもスゴイが、さらにこれ↓
ttps://smart-flash.jp/sociopolitics/138670/1
単なる「移動の足」として50㏄スクーターにのっていたわけではない。今もそう呼ばれているかもだが、「オートバイ」に乗っていたのだ。
今から30年以上前に、若い女性が「オートバイ」に乗るということが、どれだけ敷居が高かったかは、投稿主、ブログ主ともにご存じのはず。(ここからの書きぶりは現在のポリティカル・コレクトネスに反するかもしれないが、当時の雰囲気を活写するため、ご容赦願いたい)
まず、親、教師世代からは「何ですかあなたは?|暴走族にでもなるというの? しかも女の子でしょ? 絶対許しません!」。支持してくれるはずの同世代の男性ライダー(今は「バイカー」とかいうらしい)の一部からも「ヘーイ、お嬢さん。そのマシン操れるのかい?やめときな。スカートでも乗れる原チャのスクーターで、道路の左端トロトロ走ってろ!」、当時の若かりし早苗嬢も、おそらく最低1度はこのような心無いことばを浴びせられたに違いない。
加えて、「オートバイ」のブレーキは、4輪のように「単に「踏めば(というか蹴とばせば)いい」というものではなく、四肢のうち二肢を巧みに、バランスよく用いないと、制動距離が延びたり、車輪がロックして転倒したりする。
だからタイトルにつながるのだ。「思想・言論の統制」に一足飛びに向かえば、「転倒して大事故になる」、さりとて野放図に放置すれば「止まるべき場所で止まれなくなり、他車や他人にぶつかったりする」。ライダー経験のある高市早苗なら「転倒しない範囲での急制動」が、4輪経験しかない凡百の議員たちより、はるかに巧くできるはずである。
世界市民を気取る野党の女議員は大嫌いですが、伝統の尊重だけを訴えるウヨク議員も困りものです。意外だったのは高市さんの愛車が80年代のモデルの「トヨタ・スープラ」だったこと。議員になれば高級車が楽に買えるのに、30有余年もスープラに載っていたとは物持ちがイイですね。
29歳の時の写真にはさらに驚きました。あの時代にこんなバイクに乗っている女性は稀。せいぜい原付バイク程度で、女だてらにバイクを乗りこなせるのか?というのが当時の風潮でした。
親、教師世代はもちろん同世代の女性も白い目で見たはずだし、内心は支持しても表立っては言わない。まして同世代の男性ライダーは、コメントにあるような「セクハラ」発言がフツー。
原付バイクを1度運転したことがありますが、減速する時にスロットルを逆方向に回してしまい、怖い思いをしたことがあります。原付さえこの始末なので、自動車の方が遥かに安全と思いましたよ。
ウヨク政治家と思われている高市さんがライダー経験があることを初めて知りました。度胸はあるでしょう。一方クラリオンガールで名を売った野党の女議員、腹が小さいのか、ぎゃんぎゃん吠えますね。
ttps://twitter.com/gerogeroR/status/1451130655035695111
共産党って一切責任を負わずに行動しようとしますよね。もともと同性愛者に対しても非難していたのに、今ではしれっとそんな事がなかったように支持だの言ってますから。過去を総括したとは一回も聞きません。
ttps://dot.asahi.com/aera/2021092100044.html
ttps://news.goo.ne.jp/article/dot/politics/dot-2021090800076.html
理解しつつも、男社会で「力」を得るために仮面を被り続けて、その仮面を外せなくなってしまえば、仮面そのものでしかないのではと。
ツイートを読みましたが、実に恐ろしい。児童ポルノを無くすため、「どう解決していくかはクリエイターも含めて国民的に議論していくべきだ」と言っていますが、端から議論する意思などないでしょう。共産圏で文化芸術が育たなかった背景がこの一文だけで知れますよ。
児童ポルノを無くせと言いつつ、共産党はウイグル女性への性暴力や第三世界の少年少女兵に何か批判したでしょうか?'70年代半ばには成人のポルノまで非難していたのが共産党。過去を総括するのであれば、もう共産党ではありませんね。
矢部万紀子なる者は初めて知りましたが、アエラスタッフライターでしたか。検索したら、「悪質ライター矢部万紀子」というブログ記事がヒットしました。
http://pikorepo.com/yabedeota-11298
ブログ主が言う通り、「ほんと馬鹿みたいに私情挟みまくりの記者」。矢部の著書に「美智子さまという奇跡」「雅子さまの笑顔」がありますが、本当に皇室支持者?皇室ファンを装うサヨクもいますからね。
そして北原みのりですが、裸で靖国で踊って写真を撮った変態ですよ。2人の本質はサヨクと見られても仕方ない。総じて女は同性に厳しいですが、高市氏を「性別が女性の“おっさん”」と言ったのは作家の中島京子です。
https://chukan01988.blog.fc2.com/blog-entry-608.html
右派や保守層目当てに保守を装う男性も少なくありません。特に女性は男社会で「力」を得るために仮面を被り続ける必要に迫られる面があります。サッチャーも同性に冷たいとかなり非難されました。
似非ウヨクや保守も困りものですが、それでも野党幹部の女議員よりはマシです。