その一の続き
白装束に高足駄という異形の山伏姿の上、主人公・大鷲坊(たいしゅうぼう)はひげ面の大男。これだけでも村人から危険視されるのは当前だし、彼が神社の別当として赴いたのが故郷の村。子供時代の大鷲坊は乱暴なガキ大将だったし、それを憶えていた村人は警戒する。しかし、子供の命を救ったり、村娘の病を治したりなどして、次第に大鷲坊は尊敬の眼差しを集めるようになっていく。
江戸時代までの羽黒山伏は神社の別当として、荘園などの寄進を受け、幕府から手厚く保護されていた。山伏たちが行う修験道とは、日本古来の山岳信仰と道教、仏教などが結び付き形成された思想なのだ。
修験の験とは、祈祷の結果としてのしるしであり、しるしとは、この身このまま来世を持たず、今生において悟りを開き、仏となり(上求菩提/じょうぐぼだい)、生きとし生けるもののために救いの手を差し伸べる(下化衆生/げけしゅじょう)人間となることである。修はそのための努力精進であり、霊験力や呪術力を身に付けることをいう。
同時に修験者は迷える衆生でもあり、その迷いを克服しようと努力している修行者なのだ。神仏の加護と恩寵を祈りさえすれば、何時でも受けることが出来るばかりではなく、人に代わり神仏に取り次ぐことの出来る霊媒でもあり、神仏そのものと思われていた。山伏の押しつぶした声を験者声(げんざごえ)というのは、修験者が寒暑と戦いながら声を鍛えた結果、声帯が潰れダミ声となるからで、そういう声で経を読み、呪文を唱えるのでなければ神仏に通じず、悪魔を恐れさせ退散することは出来ない、と昔の日本人は考えていた。
修験者はそのような力を得るため、山に入り修行する。そこには家もなければ小屋もない。岩屋などがあれば何よりも幸いで、木の根や石を枕に、土や草の上にごろ寝する他ない。それ故彼らは山伏と呼ばれ、山臥とも書かれた。このような修験者は中世以来、日本人の思想に大きな影響を与えてきただけでなく、人里にあって山伏は加持祈祷により病を治し、家相を見たり、八卦占いなどによって様々な困り事の相談に乗り、示唆を与える村の知識人でもあった。
とはいえ、山伏は取り澄ました聖僧ばかりではない。この小説にもモグリの山伏が登場するし、それを防ぐため羽黒山では名前を入れた書付を発行、今でいう証明書のような書類を持たせていたようだ。神社に別当がいないことをよいことに、勝手に山伏を僭称するモグリが村に来ることも珍しくなかったのだろう。
現代人からすれば、加持祈祷で歩けなかった娘を治したり、狐憑きの若い女を元通りにしたり等、バカバカしく思える。医療水準が低く、医療機関もなかった時代の地方なら、庶民は山伏にでも頼る他なかった。それまで元気だった娘が、突然足が立てなくなるのは精神的な背景があるのが殆どだが、医学知識もない時代では狐のせいにされたのだ。もっとも21世紀でも悪霊や動物霊の祟りを信じる者がいるので、昔の人を笑えない。
大鷲坊は子持ちの後家に口説かれ、しばしば関係を持っている。これは合意の上だし、功徳の一種かもしれないが、呪術によって女体を弄んだ不埒な山伏もいたらしい。この小説でも老婆がかつて村にいた山伏の話をしている。
「村の姉コが、2人も腹大きくなっての。誰だ、誰だて騒いだでば、それが山伏で」
女に手を出した山伏は、ある夜村を逃げ出し、行方知れずとなった。この類の不埒者は他の村でも同じような行為を繰り返すかもしれない。これまた現代でも、宗派問わず女に手を付ける聖職者は後を絶たず、少年にまで暴行する僧侶もいるらしい。常に神仏を語る聖職者の方がなぜ俗人よりも色欲に弱いのか?
修験者の多くは妻帯し、家庭を持ったという。僧侶に生涯独身を要求する宗教なら性的トラブルも考えられるが、妻帯を認めた宗派でも不祥事を起こす者がいる。小説に登場した老婆の言葉は今にも通じる格言だろう。
「山伏だって、和尚だって男は男で、油断はなんねえもんださげ…」
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