
原題“The Dictator”、文字通り独裁者が主人公の作品。ただ、その独裁者を演じるのがサシャ・バロン・コーエン。『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』で主演と脚本を兼ねて、日本でも知られるようになった。この作品でもコーエンは脚本を担当している。一見際どい下ネタや政治コント満載のおバカ映画といった印象だが、ブラックジョークも結構混じっている。以下はwikiにあるストーリー。
―北アフリカのワディヤ共和国を統治するアラジーン将軍は、少しでも逆らう者は気紛れに処刑してしまい、毎夜ハリウッド女優とベッドを共にし、核開発にも手を出すという典型的な独裁者である。
ある日、核開発について弁明するべく「国際サミット」が開催されるニューヨークへ赴いた将軍は、何者かによって拉致され、トレードマークの髭を剃り落とされてしまう。身分を証明できない浮浪者同然の立場に追いやられた将軍は、博愛主義者ゾーイの助けを借りて、自然食品スーパーで働くことになる。一方、サミットでは将軍の替え玉がワディヤ共和国の民主化を宣言していた…
ワディヤ共和国はもちろん架空の国だが、コーエンは本作での演技はリビアの独裁者カダフィに基づいていると述べていたという。蛇足だが2003年11月、韓国の仏教人権委員会はカダフィを反独裁、民族解放運動を支援し、民主主義と自由、平等のために戦う闘争家と称え、外部勢力に対抗して、自由と平等、正義という大義を守るために行った先駆者としての役割を高く評価し「仏教人権賞」授与したとか(wikiより)。
wikiでは博愛主義者となっているゾーイだが、典型的な左翼活動家であり、人権や平和主義、フェミニズムを掲げる若い女である。本来はアラジーンとは正反対の立場にあるはずの女なのに、2人は恋に陥る。それまで美女に不足しなかったアラジーンだが、心から親身になってくれた女はゾーイが初めてだった。
ゾーイは自分が店長の食品スーパーの経営が上手くいかず悩んでいたが、アラジーンに店を任せてから店は繁盛するようになる。アラジーンは彼女の目の届かないところで独裁者としての本性を出し、逆らう店員を排除したり、ライバル店にテロを仕掛けたり等で業績を上げたのだ。当然ゾーイは店の業績を上げたアラジーンに惹かれていく。何かと自分を頼りにする弱い男たちを見慣れていたゾーイも、自信過剰のアラジーンを頼もしく思えたのだろう。
親族が替え玉を使い国政乗っ取りを企み、危うく独裁者の地位を追われそうになったアラジーンだが、ラストでは無事に指導者の地位に返り咲く。それまで独身だったアラジーンはゾーイと結婚、彼女を国民の前で王妃と宣言する。
しかし、人権主義者ゾーイと恋に落ちたアラジーンが改心し、独裁制を止めるという結末ではない。王妃ゾーイの前では極度の男尊女卑思想を隠しても、彼女が女児を産むや、側近にその始末を命じる。現代でも第三世界では、女児を間引きする習慣は珍しくない。
主人公が米国を評した台詞は痛烈である。この辺がユダヤ系イギリス人らしいコーエンの皮肉だと感じた。
「アメリカ!黒人が作り、中国人が金で支える国」
「独裁制のほうが民主主義よりずっといい。1パーセントの国民に富を集中できるし、金持ちに有利な政治を展開できる…」
コーエンの皮肉を適応すれば、アラブ人が作り、米国人が金で支える国がイスラエルである。同時に中国人も金で間接的にイスラエルを支えているとなる。コーエンがイスラエルを諷刺しているかは不明だが、イスラエルが親中反日傾向なのも当然だろう。戦前の名画『独裁者』の監督チャップリンもイギリス人だが、彼はユダヤ人ではないし、ヒューマニズムがテーマの作品だった。
『ディクテーター』で特に面白かったのは、ゾーイがユダヤ人という設定だったこと。結婚式の当日、「言い忘れていたけど、実は私はユダヤ人なの」と、アラジーンに告げる。式の最中に正直に告白して、「言い忘れていた」とは白々しい。これだけで“博愛主義者”とは 思えない。そして出自を隠して他国人と結婚するのはユダヤ人に限らない。
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