その①、その②の続き
それでもキーン氏は、日本としていちばんの危機はおそらく奈良朝の次の世紀、つまり西暦でいうと9世紀だという。当時は最も中国文学が流行っており、場合によっては日本文学がそこで消えたかもしれない時期と見ている。
しかし、どうしたものかまた日本文学が強くなり、9世紀の終わり頃には『竹取物語』や『古今集』などの文学が生まれたが、一時的には非常な危機だったはず、とまで述べている。ことによっては朝鮮やベトナムと同じように、文学は中国の言葉で書かれるべきものだという観念が強くなり、日本語を使うことは、ただ何も知らない召使に命令する場合に限るとか、そういう風になる可能性があった。
そうならなかった背景のひとつにキーン氏は、男女の地位の問題ではなかったか…と推測している。つまり、当時の宮廷では女性の地位が高かったからというのだ。宮廷の女性は原則として中国語を勉強しなかった。紫式部がいい例で実際には学習していたが、直接には誰も彼女に中国語を教えた訳ではない。
もしそういう社会の中で、男性は中国語をいつも使う、女性はそれを知らないというのであれば、男性が女性に何かの意志を伝えたいと思ったら、どうしても女性が解る言葉でなければ通じない。そういうことで和歌が流行ったのではないでしょうか、と見るキーン氏。
ただ花を渡すとか、贈り物をするとかは礼儀として非常に良くない。何か気持ちを書かなければいけない。しかし、漢文を書いてもどうせ解らないから、歌を付けて送った(笑)、というのだ。
キーン氏の見解は、一日本女性として実に嬉しい。「カーブースの書」が収録された『ペルシア逸話集』(東洋文庫134)を以前読んだことがあるが、著者はズィヤール朝ペルシアの第7代君主カイ=カーウース。11世紀末に書かれたとされ、著者は息子に教育の大切さを重ねて説いている。
だが、奇妙なことに大きな禍の元となるので娘には読み書きを教えるな、と言っているのだ。書からは著者の高い教養が浮かび上がるのに、女には読み書き不要としているのは興味深い。平穏な日本と乱世のペルシアという国情の違いもあろうが、女にとって読み書きは大きな禍の元だったのか?ズィヤール朝が特殊だったことも考えられるが、少なくともイスラム諸王朝では、優れた文学を生んだ女官の存在は考えられないだろう。近代以前の中国など、文盲は婦人の美徳とされていたほど。
キーン氏はアラブ人の美学についても話しているが、日本人にも通じる処があるというのは意外だった。バーラックというアラブ語があり、この言葉は欧州の言葉バロックと密接な関係があるそうだ。バーラックとは宝の意味があり、例えば美術品では時代を感じないと面白くない、という考えが強く、骨董品でも昔と全然変わらないものを現代でも見られるとしたら、バーラックではないというのだ。
対照的に西欧の場合、レンブラントの画なら、描いた当時と全く変わらない色彩のものが最高に尊ばれる。経年劣化でひびの入った作品より、新品同然の方を好むという。この辺りは金箔の禿げた古い仏像を有難がる日本人の方がアラブ人の感性に近い。
和歌について、司馬遼が面白い見方をしている。菅原道真の漢詩を挙げ、息子を亡くした悲しみを綿々と綴っており、中国人ならもっと男性的だという。中国の詩人にも色々あるが、士大夫階級であれば、それに相応しい詩を作ればいいのに、道真はもうべったりで感情を述べる。
あのべったりの感情というものは、案外日本人の感情であって、どうも漢詩はそれを表現するのに不自由である。やっぱり普通の大和言葉の方が、なよなよ、くねくねいけるということがあったのではないか……と司馬は語る。彼はさらに踏み込んで、こう言っているのだ。
「やっぱり漢詩では表現しにくいという思いというものはあるかもしれないですね。ひょっとすると、これは少し大胆すぎる言い方ですけれども、上代日本人は「ますらおぶり」というものを、中国言語を通して学んだのじゃないか。だから原型的には、日本人というものは「たおやめぶり」の民族じゃないか。これはいかがでしょうね」(30-1頁)
キーン氏の返答も面白かった。
「日本人としては、そうおっしゃることはできるでしょう。しかし外国人として私がそう言うことはちょっと危険があるように思いますね(笑)」 (31頁)
その④に続く
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万葉仮名にも見られる通り、最初の記述は日本語を音で記すことから始まっているので、漢字の伝来より前に『日本語』が成立していたことは明らかです。
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ところで、日本語は自然描写がまことに細かいのです。『雨』でも豪雨や小雨は当然として通り雨やら驟雨やら、霧雨さらに粉糠雨なんてものまである。雪にしても歌謡曲にも『津軽には七つの雪が降る』とある通り、その数たるや他の言語には類がないと思います。
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これを英語や中国語で表現するのは至難のワザです。色の表現が四つしかない言語で七色の虹を表現しようとするようなものです。
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日本に豊かな四季があり、日本人がアニミズムの信仰を持っていたために、日本語は生き残ったのではないかと思うのです。
その②へのコメントにあったように、基本的に日本は孤立した文明でした。日本は外国と接触しているのが例外的な状況だったし、島国という幸運な地勢が大です。日本も陸続きであれば、『万葉集』は決して成立しなかったでしょう。自然への繊細な感性もなかったと思います。
サンスクリット学者の松山俊太郎氏は、中国語による思考の弊害を挙げています。言葉による具体的な細かい思考というものが出来難く、理論的に体系化するという抽象性が欠けているので、言葉の上ではすぐ大上段な議論になったり、原則論になったりするというのです。確かに教科書の漢文を見ただけで自然描写は荒く、古典も心理描写は粗雑な印象。インド文学の描写はもっと細かいのですが。
日本人がアニミズムの信仰を保てたのも島国の利点です。古代ローマの多神教がキリスト教に滅ぼされたのも、神道と同じく強力なドグマや聖職者階級がいなかったことも一因と思います。