トーキング・マイノリティ

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マスコミの御用映画人 その二

2014-09-14 20:40:09 | マスコミ、ネット

その一の続き
 森達也氏の主張には、マスコミ業界人特有の途方もない思い上がりと選民思想がにじみ出ているとしか感じられなかった。自分たちは社会一般の規範には縛られない、委縮するからメディアには謝罪の強要はするな、メディアの権力や民意への従属が強化されるならば、最終的に国民の不利益が発生する等々…
 だが、散々他の業界や政治家、一般国民に対し、大上段で責任追及や反省、謝罪を求めてきたのがマスコミだった。自分たちがこれまでして来たことを、反対にされる側に立った時、この主張は厚かましい言い訳とすり替えであり、身内のかばい合いに過ぎない。

 マスコミは日ごろの行いが悪かったのだ。自分の非をあげて他人を責めるのが人間の業だが、それが十八番だったのがマスコミ。権力の監視役を気取りつつ、己自身は何物からも殆ど制約を受けない巨大な権力組織と化している自覚がないはずはない。
 氏は米紙ニューヨーク・タイムズが記事の過ちや間違いがあった際、言葉で謝罪はしないことを引き合いにしているが、この米紙による「Corrections」のようなスペースを載せる日本の新聞が果たしてあるだろうか?私は朝日を購読したことがないが、宮城の地元紙・河北新報にはもちろんない。たまに誤記事の訂正やお詫びはあるが極めて小さなスペースで、間違えた過程や理由、記者名などが公開されることは滅多にない。おそらく他の地方紙も同じ有様だろう。

 朝日新聞とニューヨーク・タイムズ東京支局が同ビル内にあり、提携関係にあるのを私も含めネットで初めて知った方も多いはず。ならば、なぜ後者の「Corrections」を見習わなかったのか?ことある毎に欧米に学べと叱咤している朝日自身が、そうしなかったのはズサンといってよい。そうしていれば、今回のような謝罪強要までには至らなかっただろう。ちなみに河北新報も朝日新聞とは協力関係にあり、暫く前まではこの全国紙との繋がりを紙面で誇らしげに書いていたものだった。

 ニューヨーク・タイムズの例を挙げるならば、森氏自身は寄稿する新聞に提言するべきだったのだ。彼は決して新聞に、そんな“注進”などしない人物だと私は見ている。当のニューヨーク・タイムズさえ、イラク戦争時は誤報を連発しており、それを検証した「ニューヨーク・タイムズとイラク報道」という記事があるが、実に興味深い文面だった。
 この記事には誤報への経緯と反省を織り交ぜつつ、合衆国政府高官や諜報機関、情報提供者の姿勢に言及、「われわれは政府とともにダマされていたようなものだ」という居直りと被害者意識も見える。間違えた理由や背景をしっかりと明記するというよりも、厚顔な責任転嫁とアリバイ作りの長広舌の標本である。このスタンスは朝日にも通じ、だてに米紙と提携している訳ではなかったようだ。

 wikiには森氏の様々なエピソードが載っており、従軍慰安婦問題についての発言もあったので、是非引用したい。
多くの韓国人女性が自分たちは強制的に連行されたと訴えているならば現場レベルでは絶対に強制はあった。文書や資料が見つかっていないことだけを理由にして、国家は関与していないとか軍は組織的に関わっていないとの言説は成り立たない。

 それ以上に私の関心を引いたのは次のエピソードで、またもwikiから引用する。ここからも森氏の気質が伺えるが、これでは彼のノンフィクションの信憑性も疑わしい。

2004年に発表したノンフィクション『下山事件(シモヤマケース)』において「彼」と匿名で登場する取材協力者が、事件に関わる自動車の車種など著者である森に詳細に語る部分が記されていた。2005年7月、当の「彼」である柴田哲孝が、『下山事件 最後の証言』(祥伝社)を実名で発表。書中で森の書いた証言部分は事実ではないと指摘した
 森は2006年の『下山事件』の文庫化に際し「付記」の中で、「こんな場合、おおむね語られた人よりも語った人の記憶のほうが正しい」「つまり僕は圧倒的に分が悪い」「この本に記したように柴田から聞いた記憶があるけれど、それは糺されねばならないだろう」と、ほぼ柴田の指摘を認め、あくまでもミスに過ぎず意図的な捏造ではないとも述べ、記憶通りに書いたことを理由に、本文自体は変更せず「謝罪はしないなぜなら自分が間違ったことをしたとは思っていないと述べた。
その三に続く

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