トーキング・マイノリティ

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マスコミの御用映画人 その三

2014-09-15 21:40:27 | マスコミ、ネット

その一その二の続き
 9月11日、朝日新聞社長・木村伊量(ただかず)がついに記者会見を行い、「吉田調書」をめぐる報道記事の取り消しとかたちばかりの謝罪ショーを披露した。翌日の河北新報はこの出来事を第一面で取り上げたがトップ記事ではなく、紙面には顔写真だけで謝罪する姿は載せなかった。河北の第一面では「河北春秋」というコラムが毎日連載されており、大事件があると必ずネタにするものだが、朝日新聞事件には触れずじまい。
 一方、この宮城の地方紙は今年6月に起きた東京都議会議員のセクハラ野次騒動では、深々と頭を下げる野次主の都議の写真を第一面の中央に持ってきている。大の男が首を垂れる姿はどちらも醜悪だが、朝日社長のそれは“載せない自由”を行使したのは、同業者のよしみであろう。

 9月12日付河北新報の第四面には「作家の森達也さんの話」として短評が載り、以下はその全文。
メディアは社会への影響が大きく、誤報があったとすれば謝罪では済まされない。誰がどういう経緯で吉田調書の評価を間違ったのか、報道に関与した記者たちの名前を出すくらいの覚悟を持って検証してほしい。慰安婦報道の訂正が遅くなった理由についても、納得がいく説明が求められる。
 一方で、メディアも完全ではない。必ず間違いはあるし、情報はあくまで一つの視点に過ぎない。読者は鵜呑みにせず違う視点もあるという意識を常に持って接するべきだ

 メディアを鵜呑みにする読者側にも問題があるといわんばかりの意見だが、ネットをしない高齢者すら、もうマスコミを全面信用しないだろう。尤も森氏の主張は彼自身にも当てはまる。wikiに載った氏の様々なエピソードには、2010年出版の『A3』に対しても、オウム真理教事件を手がけた滝本太郎弁護士などから、「松本死刑囚からの指示を認定した確定判決にほとんど触れず、ノンフィクションとは言えない」と批判されたとある。『公開討論云々-森達也氏』というブログ記事に見る応酬経緯には次の一文があった。
オウム真理教事件とその本質については、裁判記録さえ碌に読んでいないこと明らかな森さん、無視ないし軽視する森さん、そして下手な屁理屈ばかりをこねる森さん…

 森氏は以前にも河北新報に投稿しており、2011年11月22日付で「オウム裁判 終結」というコラムを書いている。内容にあまりにも違和感を覚えたため、2011年12月4日付の拙記事にも取り上げた。河北では「特別寄稿」と持ち上げていたが、サヨク文化人の戯言そのものだったので憶えている。『公開討論云々』にもあるように、所詮は森氏は「売らんかな主義」のようであり、死刑囚の心境など飯のタネなのだ。

 Darknessの9月13日付けの記事で、現朝日新聞社長・木村が東京本社編集局長時代の2005年にも新党日本に関する捏造事件を起こしていたことが載っており、遅まきながら私はこれを初めて知った。森氏の9月7日付のコラムの趣旨は、「メディアの責任 自覚を」に尽きるが、空疎なお題目に過ぎない。メディア側にその自覚が全くないことは明白であり、それは森氏も熟知しているはず。氏自身、ノンフィクションでの誤記述をミスに過ぎず、意図的な捏造ではない、謝罪はしないと強弁する人物なのだ。

 新聞記者が直接言うと不都合なため、マスコミは森氏のような人物に代弁させる手段をとっているのだ。いわば権力の御用映画人かつ奉仕人。今日付の河北新報にも第二面で、森氏が寄稿している雑誌『創』篠田博之編集長のコラム「朝日新聞誤報問題」が載っており、中央の大見出しは「ジャーナリズム萎縮 懸念」。
 森氏同様お為ごかしコラムで、批評する気にもなれない内容だった。捏造を疑われる誤報を連発、自覚も責任もない記事をジャーナリズムと呼ぶならば、委縮した方がよいし、そうあるべきだ。

「【戦前の朝日・戦後の朝日】マスコミだけが戦争責任を回避できた理由は?」というサイトは興味深い。だが、回答では軍部への言及はあっても、軍需産業には触れていないのは惜しい。今も昔もマスコミは広告主の代弁者でり、朝日以外の新聞も戦争賛成・戦争賛美報道で国民を煽っていた。21世紀にも戦争があった方が軍産複合体には望ましく、戦前の日本も同じだったのだ。
 もちろん広告主は軍需産業に限らず、敵対国や同盟国の政府機関ということも珍しくない。私がジャーナリストをしばしば“ペンを持った男娼”と謗るのも、それが理由なのだ。

◆関連記事:「軍縮問題
 「ナショナリズムの光と影
 「偽りのヒロイン/9.11の売名家

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2 コメント

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Unknown (牛蒡剣)
2019-09-17 22:55:40
間違っても訂正しないなどぬかす思い上がり
ぷりが腹立ちます。


私は常々おもってるのですが戦前の新聞法では
訂正があった場合、誤報してしまった時と
同じ分量で訂正記事を書く義務があったそうです。
実際誤報で人生台無しになる人もいるわけですから
このの法律を復活させてほしいです。
マスゴミは第4の権力でありながらそれを掣肘
する制度がないこと自体おかしい
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牛蒡剣さんへ (mugi)
2019-09-18 21:49:58
「誰かに迷惑をかけたら謝る。確かにそれは社会の常識でありルールだ。でもその規範を、そのままメディアに当てはまるべきではない」の一文だけでメディア業界の途方もない思い上がりが表れていて、実に不愉快でしたね。しかもノンフィクションと銘打っても、記憶通りに書いたというズサンさ。これで自分が間違ったことをしたとは思っていない、という厚顔ぶり。

 戦前の新聞法のことは知りませんでした。抑えの無いマスゴミは第4の権力というより実質的には第1の権力となっています。オウム裁判記録さえ碌に読んでいないこと明らかな人物を識者というのだから。
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