その一の続き
ゆとり教育で学級崩壊が問題になるご時世なので、かつての愛知県のような管理教育はなくなったのかと思いきや、先日会った友人の話から、必ずしもそうではないことを聞いた。友人の息子は仙台の私立高に通学しており、中学・高校・大学まで備えた教育施設。前身は明治時代に開校されたミッションスクール(プロテスタント系)であり、「キリスト教教育に基づく教養教育」を掲げている。ただし、友人及び息子はクリスチャンではない。
友人の話ではこの私立高はとにかく校則が厳しく、髪の長さも何㎝までと決められ、教師が長さをわざわざ測るそうだ。学生カバンにも規定があり、荷物を入れたカバンを振り回さないこと等の規則が生徒手帳に書かれているとか。友人は幼稚園ではあるまいし…と不満を漏らしていた。
今時の高校生に携帯は必需品だが、当然携帯の使用は厳禁。持ち込み禁止ではないが、校内で使用すれば没収となり、迂闊に校門の側で携帯をかけた友人の息子はそれが没収され、始末書を書いて取り戻したという。携帯をかけたにせよ、帰宅が遅くなるといった家への連絡だったそうだし、友人の性格からも息子は、学校の窓ガラスを割って粋がるような頭の弱い学生ではないことは確かだ。他県は不明だが、宮城県ではどうも公立よりも私立が校則に厳しいらしく、私の高校時代でも私立女子高は服装に喧しかったと聞いたことがある。
実際に教師に反抗せずとも、管理教育が行われていた学校の生徒なら、フラストレーションを感じていたのも無理はない。「のらくろ」さんも愛知県の管理教育公立高の実態を紹介している。
-ローカルな出版ではあったが当時記されたルポルタージュでも、あの種の公立高校の卒業生のうち男子生徒の大部分が、卒業式の日に校門を出た直後に、近くを流れる川へ、橋の上から「叩きつけるように」制帽を捨てていき、それが毎年繰り返され、これまた毎年のように地元民が「ゴミ拾い」をさせられたとのこと。その学校は共学校でしたから、女子はどうしていたのかわからないが、教育方針に男女差はなかったはずですから、おそらく女子生徒も「世間に見えない形で」、3年間の諸々を「発散」していたとみて間違いないでしょう。
学校の先生方は「卒業した=もうウチの学校の生徒ではなくなったのだから、そのあと何をしようが感知せず」という態度だったとのこと。そこには情熱を持った教育など介在する余地はなく、ただ単に「国公立大学」への進学者数の数値(それも難易度の低い特定の大学への進学を「強制的」に近いやり方で進路指導することによる)を引き上げて、先生社会-県教育委員会の中での「昇進、出世」のステップにすることだけが、「管理教育」への動機づけであったことを、生徒にも地域住民にも見抜かれていたことを象徴する出来事だったと、今、当時を省みて思うのであります。
80年代は校内暴力が問題となり、メディアでは散々「荒れる学校」を取り上げていた。おそらく「荒れる学校」も一部だったと思うが、あたかも日本の学校全てが荒れているかのような報道をするのがマスコミ。そんな社会風潮の中で尾崎豊の歌が大ブレイク、これまたメディアの絶大な支持があったのだ。
10月23日付けのネットニュースには、「今の若者は尾崎豊に全く共感しないらしい」とあった。流行歌ほど時代が変われば廃れも早いものだが、そのサイトに寄せられたコメントで傑作と思ったモノを引用したい。
64:名無しさん@涙目です。(SB-iPhone):2011/10/23(日) 21:00:13.91 ID:U9CIMbj10
いま共感が湧くとしたら、のうのうと隠居してる老人宅のガラスを壊して回ったとかだろ。
182:名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/23(日) 21:05:00.62 ID:iHMAGuRz0
昔の大人「尾崎豊は反社会的!」
今の大人「尾崎豊に共感しないなんて若者終わってる!」
私の母校のような“温泉”学校は管理教育にはほど遠かったし、自由を満喫して高校時代を謳歌できた。強圧的な教師や息詰まる校則もなかったのならば、どうして「この支配からの卒業」等の気持ちになるだろう?学生時代こそ、一番自由だった。
ただ、その「自由」こそが曲者かもしれない。生徒の自主性を重んじ、校則違反の生徒を咎めなかったのではなく、今にして思えば事なかれ主義が多分にあったのかもしれない。目に見えるかたちではないが、これまた別の「管理教育」ではなかったのか…というのはうがち過ぎた見方だろうか?管理されていることも感じさせないのこそ、優れた管理体制なのだから。
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教育論、いろんな意見がありますね。そのどれが正しいのか、なかなか、結論を簡単に出せる問題でもないような。
小生の場合は、自分の経験から、幾つかの持論を持っています。それが正しいのかどうか、教育学の視点から見てどうか、必ずしも自信はないけど、一つだけ、少し披露させていただきます。
★教師の熱意こそが重要
管理教育とか、学校全体の方針というレベルではなく、個々の教師として、どういう教育をしたいのか、どういうことに熱意を注いで生徒、学生を育てたいのか、教育したいのか、そう言うことが重要なような気がする。
(1)中学教師
小生の記憶では、中学時代の社会の先生は、それこそ歴史とか、地理とか、そう言うことに関して、徹底して細かく自ら事前に整理した上で、1時間の授業時間に、渾身の情熱を注いで教えてくれた。黒板にもかなり書いたけど、言葉として、多岐にわたる内容を、ともかく我々の頭に分かりやすくたたき込もうと、必死の様相でしゃべってくれた。その熱意に押されて、すっかり歴史、地理が大好きになりました。ともかく面白かったのです!!
(2)小学教師
また、前に紹介した小学校高学年の「青竹先生」は、今の教科書では教えなくなった、日本の神話とか、中国大陸での戦場での話、自分が育った台湾の話など、豊富な話題を持っていて、知能程度の低い生徒達にも分かりやすく、教えようと努力していた。今でも覚えているのは、「質屋」との交渉の仕方で、本当は質草を流す気はなく、狭い自宅のスペースを空かせるために質屋を利用するのだが、質屋相手には、生活に困っているような風情で頼み込む、等々、色々なテクニークを教える、というようなユニークな内容もあった。ともかく、生身の人間として、きちんと生徒と対話して、我々を飽きさせることがなかった。
(この先生の嫁さんは、実は大変な美人で、子供も5人だったか、ともかく子沢山だった・・・これは、余談ですが。)
(3)大学講師
大学時代に小生が注目したのは、豪州から来ていた英語の教師で、ともかく英語劇(シェークスピア劇中心)に執心していて、しょっちゅう宿題が出ました。○○日、○○大学で○○の英語劇があるから見学して、感想のレポートを提出すべし、とか、劇を見る前に、台本としては、ペーパーバックでペリカン文庫のが出ているから、読んでから劇を見ると良い、とか、懇切丁寧に教えてくれるから、小生は、全ておっしゃるとおりに、事前に英語の台本を読み、英語劇を見学して・・・とつきあっていたら、確かに英語で書いたレポートの提出もきちんとするから、大変だった。英語科専攻の学生として、英語を学ぶのは当然だが、日本人の先生方とか、もう一人の外人教師とかは、緩くて、宿題も少ないし、ほとんど何もしなくて良いけど(さぼり放題)、この先生(Petermanという、ピーターパンのような名前で覚えやすかった)は、台本を読め、英語劇を見に行け、感想文を出せ・・・と宿題だらけで、まじめにつきあうと、他の先生の授業の勉強などしておれないほど。
でも、面白かった。ペーパーバックの台本を買ったり、他の大学までの電車賃とか、金もかかったし、何より宿題をこなすだけでも、英語作文で苦労するし、時間を取られてたいへんだけど、感想文にはきちんとコメントが付いて戻ってくるし、やりがいがあったのです。
先生も、大学の英語サークルの学生に演技指導したり、衣装を縫ったり、膨大な時間を教育のために費やしていた。独身者だから時間はあったけど。
だから、授業時間でも、他の先生のように、眠たい授業は一切無しで、1時間中神経を張りつめた授業!!中身は、英語劇ばかりですが。
こういう、授業に熱中する先生は、他の同僚教師とのつきあいとか、余計な時間はないから、彼ら自身も大変です。疲れるはずです。でも、彼らは、生徒・学生に伝えたい内容が一杯だし、自分の趣味と授業内容が一致しているから、教室内がぴーんと神経が張りつめ、居眠りする者は一人もいません。
円満で、性格的に偏りのない教師、というよりは、偏りだらけですが、自分が教えたい中身、そのことへの情熱がすごい人たちでした。そして小生が好んだのは、何時もこういう、一種の野心家先生です。かれらは、実は変わり者という側面も大きく、出世主義では全然ないし、同僚の先生と仲がよいとも見えないこともあるけど、クラスの生徒からは絶大な人気を確保するし、自分の生徒、学生を育てることに、一生懸命でした。
そして、小生の理想の授業というのは、やはり、これら主として3名の、小生の理想の先生のような人が、今後も教育者として、頑張って欲しいと言うこと。
ある教育の専門家に、この小生の経験を語ったことがあります。すると、その人は直ちに、「要するに、事なかれ主義で、当たり障り無い授業ではなく、非常に生徒、学生に対しても、demandingで、宿題も一杯出す、そう言う先生ですね」、と確認した。自分の生徒に対しても、うるさいほどにdemandingで、しかし熱狂的に、自分の道筋に生徒を乗せようとする、そう言う先生が、結構成功する、とその人は指摘していました。これらの先生は、実は、時として、父兄と衝突もするし、校長とも衝突するのですが、クラスの生徒とは完全に一体となって、一つの課題に向けて突進する、というのです。なるほど・・・!!
それにしても、小生は、偶々とはいえ、幸運にも、素晴らしい教師に出会うことが出来ました。demandingだけど、面白い授業!!そういう経験をすれば、誰でも、少しは自分でも何かしたくなります。小生が、ブルガリアに関して、余り皆が感心がないようでも、平気で情熱を傾けて、勉強を続けていけるのも、偏った教師の情熱に共感しているからです!!
上で室長さんもカキコしておられますが、
>ある教育の専門家に、この小生の経験を語ったことがあります。すると、その人は直ちに、「要するに、事なかれ主義で、当たり障り無い授業ではなく、
ということが、室長さん仰せの「熱血先生」への道を開いていたのであろうと思われます。その「道が開」かれていたのはなぜか。かなりラジカルな考え方だが、「もはや戦後ではない」と誰かが言った時期の前もしくは前後だったからではなかろうか。戦後-すなわち敗戦直後-はあらゆる既存の秩序が崩壊、あるいは形骸化していた時期であり、まともな職業人なら誰もが「新しい建設」を模索していたと思われる。室長さんが取り上げる先生方も、どう子どもと向き合っていくかを、それこそ四六時中模索したいたに違いない。学校-教育委員会-文部省の秩序維持、というなの「締め付け」が今より「効きにくい」時代だったと考えられる。
それがいまではどうだ。「構内暴力」から「いじめ問題」へと学校を取り巻く諸問題が大きくうねっていくなかで、教育委員会-文部(科学)省は学校現場に矢継ぎ早に「報告」を求めるようになった。おそらくかつて-少なくとも私やmugiさんが「児童・生徒」だった時代まで-はそのような「報告物」の作成は管理職たる主任-教頭-校長の仕事だった(そして、そのような管理職がいとも簡単に仕上げることのできた)のだろうと考えられる。ところが、今は現場の先生方までガンガンこの種の報告が求められているようだ。ために以前と比べれば、先生方が児童・生徒と向き合う時間は大幅に削られてしまったのではないか。つまり、以前よりは「熱血先生」の存在できる「余地」が大幅に削られてしまったのだろうといえる。
本エントリーにかかる「管理教育」教師は、引用していただいた私のカキコにもあるとおり、熱血先生などではありえず、その本質において「事なかれ主義」であり、「国公立大学への進学率」という「中身のない数字」の「実績作り」だけに「教育エネルギー」をつぎ込む連中だったのだろう。すでに引退しているはずだが、彼らがいまの事態に学校現場にいたとしても、真っ先に文科省の「報告物」を仕上げて、児童・生徒には「正規の時間の授業」以外は全く向き合わないに違いない。そうして、そういう教師こそが教育委員会の人事権者に気に入られ、出世する構図というものが強固にできあがっているのだろう。
もうひとつは、「悪しき成果主義」だ。なんでもかんでも数値化して、先生方の「実力」がこのような児童・生徒への向きあい方とはなんら関係のない「報告物」が「何件できたか、どれだけ早くできたか」が人事考課の大きなウェイトを占めるようになってしまったのではなかろうか。それだけならいいが、こういう「事務仕事」を放置して児童・生徒に向き合う先生方は、解雇とはいかなくても「減給や左遷」の対象になってしまっているのではないか。もちろん「ニッキョーソ」の過激活動家などは徹底的に排除すべきだが、それが未だにできていないのは、この連中には「組合」という「人数を圧力にした恫喝」という対抗手段がある。対して「熱血先生」はもともとが孤立しており、個人の資質、能力は非常に高くても、「教育委員会-文科省」体制に敢然と立ち向かうことは極めて困難。ところが「ニッキョーソ」の教師なども本質は「事なかれ主義」だから、ここでは体制側とニギってしまい、かくして「熱血先生」は学校現場において完全に孤立無援となってしまう。昨今教育現場で精神を患う先生方が増えている背景には、こういう事情も大きく作用しているのではなかろうか。
のらくろさんへ、
確かに時代が違うと言われると、そういう要素もあるかも。
文部省の役人達と小生も少し議論しようとしたことがある。ブルガリアなど共産圏で盛んだった、特別の英才を育てる、エリート学校制度です。
普通の才能とは別に、異才達を早期に発見して、例えば数学専門学校で、幼児から天才教育したり、新体操の専門学校を作ったり、共産圏では、そういう国威発揚のための制度があった。こういう教育にも、それなりのメリットはあるし、豊かな経済力を持つ日本も、やはり特別の才能を育てる教育機関もあってよい、そう思いました。
しかし、文部省の役人というのは、本当につまらない連中が多く、素人が口出しするな、と言う態度で、議論にも乗りません。全て黙りで、無視、無視です。呆れて小生も議論を止めました。将来の日本は心配だと思いましたが、案の定、最近までろくな教育が行われていないと思った。
ましてや、のらくろさんの言うように、教師達に「報告書の作成」ばかり命じているようでは、ダメです。本来、教育論には決め手はなく、色々な方法論が存在すべきでしょう。特に私立などは、独自の教育思想に基づき、自由な体制を許すべきです。ところが、私立に対しても、補助金などを出しつつ、口出しして統制下に置こうというのが文科省らしい。
大阪府知事だった橋本氏が、府の教育委員会は腐っている、と言ったように、教育委員会と日教組の裏提携というか、そういうのが問題の県も多いらしい。
小生は、国とか、教育委員会が、秩序ばかり気にして、本当に生徒のために熱意を燃やす「熱血先生」を潰すようでは、ダメだと思う。
しかし、熱血先生は、何時の時代にも、居るとは思う。小生の場合でも、本当に感激した先生は、上記の3名で、小学1名、中学1名、大学1名です。いや本当は、高校の英語教師も好きだったから、4名と言うべきでしょう。
割合としては、決して多くはないのですが、それでも、それ以外にも、良い先生は居たし、これからも居ると思う。「若い世代に教える、クラスの生徒を教えることに熱中する」それ以外に、もっと重要なことなどあるのでしょうか??
そして、そういう先生が存在し得ないような、「管理教育」というのは、何なのでしょうか?何が目的??
>それ以外にも、良い先生は居たし、これからも居ると思う。
わたしもそう願いたく思います。でも、ちょっとした比較をしてみても、どんどん難しくなっているとわかります。
例えば、室長さんが児童・生徒だった時代は、先生自身が学校の「宿直」をやっていたはず。宿直は輪番のはずで、夜の学校の警備なんかを先生がしていた。
でも、本当はその「タテマエ」に意義があるのではなく、宿直の先生のところへ児童・生徒、あるいは卒業生が来ては、勉強を教えてもらったり、授業では授業では言えないような、文字通り「先生(先から生きているという意味)」の人生経験を聞いたりして、「肥やし」にしていった。
ところが、今は昼間しか先生が学校にいることは難しくなっているようだ。隣県の三重のとある学校で、夜8時頃、60代の学校警備員が自転車置き場で殺害されるという事件があった。つまり、学校の先生たちは、仕事が終わったらさっさと帰るようにとりきめられているということなのだろう。これは、教師のサラリーマン化以外の何物でもあるまい。それも、個々の教師の問題というよりも、学校管理の体制、すなわち最終的には公立校なら都道府県や市町村の問題となる。
>「若い世代に教える、クラスの生徒を教えることに熱中する」それ以外に、もっと重要なことなどあるのでしょうか??
ありません、が、「熱中する」ことを望まないのが今の「主任、教頭、校長」クラスだとみてほぼ間違いないと思う。教育というのは、相手が子どもとはいえ人間である以上、40人なりの集団を相手にしていても、成果は一人ひとり、全く違ったものになる。問題はそこを「誰がどう評価するか」ということにある。親にとっては自分の子が全てだから、自分の子が学校に通っていてその年に「伸びない」なら、ほかの児童・生徒にとっていくらよい先生でも、その親にとっては悪い先生ということになる。ましてや、宿直の時に特定の子だけに「なんとなく補習」なんかしたら、他の子の親から「依怙贔屓」と後指指される。だから、「最低限やることはやっています」という「言い訳」を先に考えるようになる。先生といえども税金で禄を食んでいる以上、役人化は仕方がないとも言えるが、先生方を「減点主義」ではなく「加点主義」で評価できないものだろうかとは思うところ。ただし、評価者を親(もしくはその総意)にしたら、絶対に話はまとまらない。さりとて親を一切排除しての評価というのも無茶だろう。ここのバランスとりは本当に難しい。で「難しいことは」だれもが避けるので、結果として現場の教師に過重な負担が行く、という悪循環というのが現状だと思われる。
私自身も教育者ではないため、教育学についてはよく分かりません。しかし、「教師の熱意こそが重要」というのは納得させられました。学校生活を送る上で校則のようなルールは必要ですが、その取締りに熱中しているのでは、何のための教育なのか?と言いたくなります。まるで点数稼ぎのために交通違反取締に熱中する警察官のようで、生徒としては堪ったものではありません。
「管理教育」も結局は事なかれ主義や、教師社会の中での「昇進、出世」のステップにするためと思えますね。昔から「でも、しか」教師、つまり「先生にでもなろうか、それしかない」の類の質の低い教師はいましたが、事なかれ主義が蔓延ると教育のレベルダウンになるのは明らかでしょう。
貴方の体験談は興味深く読ませて頂きました。私の歴史好きは父も同じだったこともありますが、中学の社会教師に「熱血教師」がいたことも少なからず影響していると思います。その教師がイギリス嫌いだったようで、それに感化されたのか私もイギリス嫌いになり、以前「イギリス嫌いの弁明」という記事を書きました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/7178044c5691161ba9e702064d60c2cd
特に面白かったのが、貴方の大学時代に豪州から来ていた英語の教師のケース。英語劇を熱心に学ばせれば、英語学習に大いに効果的です。宿題も沢山だすけど、それこそが英語を身につけることに繋がる。緩くて、宿題も少ない教師は生徒には好ましくとも、やはりこのような先生の下ではさぼり放題になってくる。英文科を出ても、ロクに英語の読み書きも出来ない人や、せっかく海外留学しても現地の新聞さえ読めない日本人もいるのは、結局のところ学習していなかったことが原因だったのですね。
いくら世の中知らずの学生でも、教師に熱意があるか否かはすぐにわかります。私の高校時代の歴史教師は、事なかれ主義で当たり障り無い授業…というより間違ったことを教えることもあった。そのため生徒たちにはバカにされていたし、こんな教師のいうことは鵜呑みにはできないと感じ、自分で調べたりすることもありました。素晴らしくない教師ゆえに、自ら学ぶこともあるのです。
先に愛知県の管理教育の実態を教えて頂き、有難うございました。何しろ私も“温泉”学校に在学していたし、他の公立校も似た様な有様だったので、それが当たり前だと思い込んでいました。そのため、つい「牧歌的な」記事を書いてしまいましたが、愛知県とのあまりの違いに驚き、これは是非エントリーにしたいと思い、貴方のコメントを引用させて頂いた次第です。
貴方の仰る通り室長さん小学校高学年の頃の「青竹先生」は、敗戦間もなく故に今のような教育界の「締め付け」が「効きにくい」時代だったのでしょう。私の小学校時代でも、「青竹先生」など考えられませんでした。
私の従姉は小学校教師で、かつては日教組にいました。以前、そのことを記事を書きましたが、学校や教育問題より組合活動についての議題が中心だったそうで、生徒と向き合う時間が削られると話していたことがありました。私の小学校低学年の頃は放課後でも生徒と遊んでくれる先生がいましたが、今はまず考えられないでしょうね。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/4879be97643efb360f0adfc17c731c99
「ニッキョーソ」の過激活動家こそ、教育界のガン細胞そのものですよ。平日昼間からデモ行進をしていたことがネットでも紹介されていたし、本質は「事なかれ主義」という貴方の意見に私も完全に同意します。本性は怠け者で、教育問題に名を借りたタカリ行為です。ただし、いくら教師としての質が悪くとも、組織に加入しているのは強みです。多勢に無勢で「熱血先生」は立場が元から弱い。
教育の成果などすぐに結果が出るものではないし、やる気のある教師ほど悩みを抱えてしまうかもしれません。実はこの記事で取り上げた友人の息子の小学校(公立)時代の担任教師の1人は、何と自殺したそうです。
本来なら教育に相応しい「熱血先生」がいなくなり、日和見主義の教師がまかり通るのこそ、学級崩壊と学校の荒廃が進行していくことになります。最近は公立校より私立がレベルが高く、教育熱心で年収に余裕のある親ほど、私立に子弟を入学させたがるのも頷けます。私の子供時代など、私立に行くのは出来の悪い金持ちの子供と思われていましたが、今や仙台のような地方都市でもステータス化しつつあります。
小生の経験では、夜の宿直部屋に先生を訪ねて、補修してもらう、と言う経験はゼロだったから、どうもピンと来ません。でも、そういう交流もありとは思う。
先生をどう評価して、どう採点して、と言う話になると、校長や教頭の仕事と思うけど、普通の会社で言えば、管理職の仕事です。小生の経験から言うと、管理職時代には、やはり公平を心がけて、私的な好みで採点したことは一度もない。人間は、その良い点を評価してやるべきで、悪いところばかり減点するのは、小生は嫌いです。だから、そういう風にやりました。
しかし、あなたも言われるように、熱血先生達は、生徒の評価そのものは、ある程度気にするけど、校長とか、教頭の顔色には興味もないかも。
何しろ、偏った趣味の変わり者でも良い、教育そのものに熱心であれば、と言うのが小生の基準ですから。
上記の豪州人英語教師は、小生卒業後、ホモだったので、シェークスピア研究会(英語劇クラブ)の学生にちょっかいをだして、問題となり、結局学校から辞職処分(解任)となったのだから、まあ、欠点もあったというか。
それでも、小生は、クラブに入らなかったし、クラスで教えを受けただけで、クラブ員のように先生の家に合宿することもなかったから、何の被害も受けなかったし、未だに、英語の世界に小生の興味を導いてくれた熱血先生として、感謝しています。
事なかれ主義で、何のメリットもない役人のような先生よりは、ホモでも、長所が多ければよいと思う。
青竹先生も、自宅には美人の妻が居て、支えていたし、教師も自分の生活はしっかり守っても良いとも思う。
その意味では、単なるガンバリズムが横行する日本社会は困りもの。
欧米基準で言うと、日本のように、一クラスが40名以上というのは異常です。普通欧米の教師は、20人以下のクラスでなと無理と言うでしょう。その上、フィンランドなどの例では、先生は生徒と向き合う、そのことに熱中すべきで、事務的なことはしなくて良い・・・と言うシステムらしい。すなわち、文科省が課する様な事務的な報告事項とか、生徒のテスト結果の採点とか、クラス成績の分析とか、そういうことも、教師ではなく、教師の補助役、事務職員が別に雇用されて、彼らが面倒見る、と言うシステムとか聞きました。
日本の教育予算では、クラスの人数が20名以下とか、補助役の事務職員が教師それぞれに1名配置される、などというのは、ほとんど不可能と思うけど、それが出来ないのなら、余計な事務系の仕事を教師に多く押しつけるようなシステムは止めて、簡素化すべきです。
現実には、小生の娘も、私立高校の教師をしていたとき、毎日朝7時には家を出て、夜8時頃帰宅、更には深夜まで自宅のPCで採点、クラス成績の表計算など・・・しかも、当時は土曜日も休みでなかった。あまりの激務に、驚き呆れたのですが(娘は3年後に結婚して退職した)、このような学校のあり方は、やはりおかしいと感じました。
教師も、忙しすぎては、クラスで熱弁をふるえないでしょう・・・。
クラスの人数が多すぎると、生徒にスピーチさせたり、自発的な学習を促したりと、きめ細かい指導も難しくなる、と言う欠点もある。
もっとも、それでも、小生の体験では、40名強のクラスでも、熱血先生のクラスは、皆が真剣に授業に没頭していた・・・との記憶です。必ずしも、先生も、疲労困憊していなかったし、むしろ何時も先生の方がエネルギッシュだったし・・・。どこに秘訣があるのか??不思議ですが、昔は、今ほどは、色々な報告義務など無かったのかも。確かに、小生の娘が教師になった頃から、PCの発達で、Word、Excelを使っての書類作成が増え、先生方もかえって仕事が増えたような気がする。
他方、生徒の非行、その他の私生活面での指導は、私立校の場合、割合に学校そのものが対応して、教師の負担はそう多くはなかった様な気がします。私立校は、けしからん生徒には、退学してもらうという、最終手段があるから、統制は取りやすそうでした。
投稿文が大量なので、とりあえずここでは1点だけ。
>小生の体験では、40名強のクラスでも、熱血先生のクラスは、皆が真剣に授業に没頭していた・・・との記憶です。必ずしも、先生も、疲労困憊していなかったし、むしろ何時も先生の方がエネルギッシュだったし・・・。どこに秘訣があるのか??不思議ですが、昔は、今ほどは、色々な報告義務など無かったのかも。確かに、小生の娘が教師になった頃から、PCの発達で、Word、Excelを使っての書類作成が増え、先生方もかえって仕事が増えたような気がする。
教育の本質に「のみ」集中できる環境があった、ということだと思いますよ。ご令嬢にしても、それこそ帰宅されてから深夜まで様々な「仕事」をしておられたようですが、そのあたりは「本質ではない雑務」も相当あったのだと思う。前コメで「宿直時の補習」と書きましたが、これは先生から働きかける、一般的な補習ではなく、生徒の自発的質問から生じる「結果として補習になった」事象を指すので、教室の授業で先生から「教え込む」のと違って、すでに「教えられる側」のニーズが顕在化しているから、教える側の先生も気合の入り方が違うはず。そういう場合は、自分のやっていることが徒労に終わらないという確信があるから、結果として数値的には同じ時間「教えた」としても、疲れ方は気の進まない雑務などとは比較にならない「いい疲れ方」ができるのではないだろうか。
だから、末尾にある「PCの発達で、Word、Excelを使っての書類作成が増え、先生方もかえって仕事が増えたような気がする」は、「量」もさりながら「内容」が先生方をうんざりさせるものだと思われる。どう考えてもモチベーションをどーんと落されながら手を付ける仕事は、先生であってもなくても、絶ていてき分量がわずかであっても、とんでもなく気が重いというのは想定されることではないだろうか。
○→絶対的
貴方の大学時代の豪州人英語教師は実に個性的でしたね。独身だったのもあちら系が原因でしたか(笑)。学生にちょっかいを出して解任されたそうで、強姦(?)は論外ですが、双方の合意があれば問題はないと私は思いました。たとえ教師の性的志向がどうあれ、貴方の仰るように事なかれ主義で、何のメリットもない役人のような先生よりずっとマシでしょう。
まだ私が高校生の頃、教職でのキツさは小学校、中学校、高校の順で、大学は一番楽と言っていた教師がいました。もちろん異論もあるでしょうが、受験を控えた三年生の担任でもない限り、高校教師は比較的楽だろうと思っていました。学校にもよるでしょうが、少なくとも貴方の娘さんはハードワークだったとは…
公立の小学教師をしている従姉も似た様な状況だったし、PCで宿題やテスト、成績表などを作成すると話していたことがあります。私の学生時代など、テストはわら半紙にガリ版印刷されていましたが、今の三十代前半の方は「わら半紙」を知らないそうで、時代を感じさせられました。
教師といえ生身の人間ですから、激務が続けばダウンしてしまいます。どうも日本人は教師への要求が強すぎるのかもしれませんね。元からエネルギッシュな熱血先生ならともかく、一般の教師はガンバリズムを続ければ、燃え尽きてしまいます。