その①、その②、その③、その④、その⑤の続き
一般にトルコの知識人は、国の同化政策やトルコ語強制を非人道的とは思っていないようだ。小島氏がサムスン郊外に住むO夫人の夕食会に招かれた時のエピソードも興味深い。クルド人の話題が出た際、一家は「トルコは社会主義国ではないから少数民族に言語自治を与えることができない」と主張、小島氏と意見が合わなかったという。
「ここはトルコよ。国民全部がトルコ語をしゃべるのは当然だわ。クルド語を話したい者はクルディスタンに行ってしまえばいいのよ」とO夫人は金切声で叫んだそうだ。O夫人は婦人科医、夫君O氏はサムスン・ロータリー・クラブ会員なので、エリート層なのは間違いない。
ではクルディスタンは一体どこにあるのか、と尋ねた小島氏に、「ソ連よ」と返答するO夫人。正確なクルディスタンの地理をトルコでは教えていないのだろう。氏がO家を去る時、閉めた戸の向こうでは、「共産主義者」「ソ連の犬」と言っていたのが聞こえたという。(203-4頁)
2013-1-12付で記事にしたが、トルコ訪問の後、感想をブログで述べた北大の教授がいた。トルコ人の助け合い精神精神を称賛、それに引き替え「社会的弱者を叩くことを恥じない連中が多く見られる日本社会」を非難している。全くお目出度いというか、トルコでの少数民族や女性の扱いを知らないのか、或いは知らないフリをしていたのか?トルコなら「社会的弱者」を叩く前に始末することも珍しくないけど。
トルコも含め中東世界の人々は自己主張が美徳となっている、と言っていたのはトルコ史研究家の故・大島直政だった。小島氏の著書にも同じような箇所がある。
「謙譲の美徳という概念はトルコにもヨーロッパにも実生活では存在しない。謙譲は、美徳ではないどころか、ことにトルコでは、愚劣なことである。「私にはなんの取り得もありません」と言えば、「本人が言うのだから間違いない。それにしても気の毒な人だ。なにもわさわざ言わなくてもいいのに」と誰しもが考える。
「沈黙は金」も同じく空文である。口数が少ないことは日本では美徳のうちだが、フランスでは「頭が空っぽである証拠」と見なされる。誰にも好かれない。敬遠ではなく「《蔑》遠」される」(160頁)
学問と政治には一定の距離を置く日本と違い、トルコでは学問と政治は切り離せない関係となっているらしい。随行員のH大学の助教授W氏は小島氏に対し、こんな質問したという。
「あなたの言語研究の政治目的はなんですか」「あなたがラズ語の研究をすることで日本政府はどんな利益を得るのですか」(208頁)
学問研究の目的は知識そのものである、と考える小島氏はトルコの教授には理解できない存在だったようだ。本にはY氏というトルコの外交官が登場しており、温厚な紳士のY氏は小島氏をこう評している。
「君の研究態度は純粋だ。一文の金にもならないことを知的な好奇心だけで十六年間も続けたとはたいしたものだ。僕が今まで一度も会ったことのない型(タイプ)の人間だ。君の研究はわれわれにとっても役に立つはずだ……」(151頁)
アマゾンには「大陸型専制国家の実態」というレビューがある。投稿者ertdg氏は「この本を読んで感じたのは、トルコもやはりロシア、中国のようなユーラシア大陸型の専制国家で、そうした国々において政治から独立した人文社会科学研究などあり得ない、ということだった」と結論を出したのは素晴らしい。さらに日本の隣国を引き合いにした次の意見には共感する読者が多かったはず。
「それで思い出すのは日本近隣の半島国家である。その国は広範に分布する「ツングース系民族」との関わりだけを根拠に、近隣諸国の文化や偉人をすべて自国起源として教育ている。また歴史や科学をすべて現行の政治的権威に適合するように解釈し、歪めることがよく指摘される。こうした非実証的態度に我々は常々呆れ、不思議に思っていたが、そういう思考は決して近隣東アジアだけではないのだということがよく分かる。
こういう現象はむろん教育程度の問題もあるだろう。だが同時に、領土を取って取られ、虐殺し、虐殺され、という経験を繰り返した人々にとって、国家権力は絶対不動のものでなければならないのだ。したがって、あらゆる知識や科学は政治秩序の維持と正当化のために奉仕するべきものであり、そこに価値中立的な科学的・実証的精神を育み、志向するような余裕はない。そういうユーラシア大陸国家の悲しい現実がここから見えてくる……」
いくら政治的には何の関心もない、と言ってもトルコでは通用しないのが本から伺えよう。本を見てトルコに失望した読者も少なくなかったかもしれない。尤もトルコとは関係の深いドイツでも、トルコ人には手を焼いているようだ。
2013年4月9日付のブログ記事「トルコに対しての怒り」は面白い。ブログ主は在日ドイツ人だが、トルコ人を「あんな幼い性格のむっとしやすい連中」と言い、「トルコと日本ほど国民性が合わないのがこの世の中には他にないだろう」とまで書いていた。
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