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アルメニア人虐殺事件 その六

2011-03-03 21:16:07 | 読書/中東史

その一その二その三その四その五の続き
 第一次世界大戦中、再びアルメニア人虐殺事件が起きる。『宗教と民族』というブログ記事から、又も引用したい。

いで、第一次大戦中の1915年(世界の関心が、大戦に向けられている隙に)、より大規模に東部アナトリアからのアルメニア人追放が企てられ、約 175万人のアルメニア人農民家族が、根こそぎ、シリア、イラク方面への強制移住を強いられた。移住・移動中のアルメニア人達をクルド人ばかりではなく、チェルケス人チェチェンなどのカフカース(コーカサス)系ムハージルーンも襲撃して、虐殺に参加した。移住先のシリア、イラクにまでたどり着けたアルメニア人は半数以下で、移住途次に60--100万人という大量のアルメニア人達が虐殺された。これが第二次アルメニア人虐殺事件である…

 クルド人やムハージルーンに加え、さらにアラブ人までも襲撃に加わっている。要するにオスマン帝国のムスリム臣民たちがこぞって虐殺を行ったのだ。19世紀末の虐殺で、トルコへの憎悪に燃えるアルメニア人にはロシアと共闘する者も少なくなかったし、参戦せずともスパイ行為を働く者、ムスリムへのテロを行う者もいた。アルメニア人の利敵行為と蜂起を根絶するため、トルコは強制移住を強行、未曽有の惨事となったのは確かである。
 この時英国はアルメニア人を防衛するため、軍隊を派遣してはいない。アルメニア人居住区に来てはいたが、連合国軍兵士としてアルメニア人を徴集するためであり、英国若しくは植民地兵士を送るためではなかった。革命後のロシアもアルメニア人独立国家を許さず、第一次大戦後はトルコ軍と歩調を合わせ、独立運動を潰している。

 第二次虐殺事件で犠牲者が何名だったのか、今なお正確な数値は不明であり、これ以降も謎のままだろう。一般に百万人説が流布しているが、これも敵国のプロパガンダによる誇張の可能性もある。wikiのアルメニア人虐殺問題にはこう解説されている。

もっとも少なく見積もるトルコ人の推計で20万人から、もっとも多く見積もるアルメニア人の算出で200万人とされる。ただし、 19世紀末にオスマン帝国領のアナトリア東部に住むアルメニア人人口はおよそ150万人という統計があり、その20年後に第一次世界大戦が始まったときの人口も、自然増と流出による減少によりほぼ同数であろうと考えられる。それらのうち、既にロシア領へと逃亡していた者や、カトリック、プロテスタント、イスラム教へと改宗して強制移住の対象から外された者を除く何割かが強制移住に駆り立てられたことになる。その人数はおよそ80万人から100万人ほどとする推定もあり、欧米や日本の研究者の幾人かは、60万人から80万人という犠牲者数の推定が妥当ではないかという見解を述べている…

 仮に犠牲者百万人説が正しかったとしても、戦時でもなかったのにそれを上回る惨禍が19世紀に起きている。アイルランドのジャガイモ飢饉もそのひとつだし、イギリス領インド帝国においては19世紀後半だけで3度も大飢饉がありその間のインド国内の死亡数は28,825,000人に上るという推計もある。もちろん当時の英国女王ヴィクトリアは、死神女王や飢餓女魔などと謗られることはない。
 対照的にオスマン帝国支配下では、これほどの惨い飢饉はまず聞いたことがない。戦時で敵性集団を掃討するのと、平時の大飢饉で餓死させるのと、果たしてどちらが非人道的だろうか?

 今なお続くアルメニア人の反トルコ感情は、2度に亘る虐殺事件が基になっているのは書くまでもない。その憎悪がテロを生み、トルコ側も激しい敵愾心を燃やす悪循環になっている。日本では一般に知られていないが、第二次世界大戦後になっても1915年の虐殺事件に対する報復テロが繰り返され、極左組織アルメニア解放秘密軍は中東や欧州でトルコ外交官を襲撃、40人以上が暗殺されている。
 欧米諸国がアルメニア人虐殺問題を糾弾するのは、同じキリスト教徒のよしみよりも外交手段であり、人権問題は口実である。トルコが責められるのは敗戦国ゆえなのだ。アルメニア人独立を煽っていた列強も、いざとなれば防衛も救援も行わなかった事実は、国際社会の冷酷さを如実に示している。

 希土戦争を描いたトルコの歴史小説『トルコ狂乱』には面白いアルメニア人が登場する。英国側に付いたものの、差別され人間扱いされず、結局トルコに頼ろうとするのだ。このアルメニア人の話を聞いたトルコ人将校たちは「また初心な男もいるものだ…」と苦笑する。フィクションにせよ、この類のアルメニア人がいたことは確かだろう。
 日本でも行動パターンが酷似している黄色い“アルメニア人”を抱えており、トルコの外憂はとても他人事とは思えない。

■参考:『オスマン帝国衰亡史』(アラン・パーマー著、中央公論社)
  『ケマル・パシャ伝』(大島直政著、新潮選書)

◆関連記事:「虐殺の事実はない
 「少数民族の虐殺者

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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (sigeru)
2011-03-05 00:05:29
質問です。
その研究を専門にしていてそれで給料を得ている人は別にして、趣味のブログで過去の大虐殺などの歴史を詳細に書きおこして何が楽しいの?
mugiさんのこうした事柄への情熱の源泉は何なの?
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国民国家建設という革命思想 (室長)
2011-03-05 10:32:10
mugiさん、
 アルメニア人虐殺問題の根っこも、結局は民族という概念のない時代(帝国の時代)と、仏革命後の「国民国家」建設競争という、民族自決主義の時代との、丁度時代の変わり時、潮時に起きた惨事、という気がします。その意味では、フランスも、西欧も、原因を作り出したという意味では、自らの罪も認めるべきなのに、20世紀後半、21世紀になって、トルコを非難し、自己反省はゼロ、というのが納得いきません。

 ロシア帝国が、バルカン半島のギリシャ正教徒を支援する、と称して、黒海から地中海に出る、そのためにオスマン帝国を弱体化して、ボスフォラス海峡を自由に航行できる権利を得ようとした。この故に、露土戦争も仕掛けて、ブルガリア、その他のバルカン諸国を誕生させた。

 同様に、ロシアは南下して、コーカサス地方を征服していき、この過程で、トルコ系のムスリム系諸民族を虐殺し、追放した。追放されたムスリム系少数民族が、オスマン帝国に亡命して、スルタンはアナトリア東部のアルメニア人=キリスト教徒を追放して、農地をこれら亡命トルコ系少数民族に配分しようとした。同時に彼らは、将来のロシアの進出に備えての防壁となることも期待されたのでしょう。
 そして、イラク、シリア方面へと追い出されるアルメニア人農民らを、クルド人、ムハージルーンなどが、集団移住の旅路で襲い、泥棒、虐殺行為を重ねた・・・おぞましい悲劇が生じてしまった。
 
 しかし、何れにせよ、アルメニア人の悲劇の原因の片方が、ロシア帝国の南下、拡大方針にあるし、更にまた、オスマン帝国における諸民族の共生、調和という環境を破壊したのが、「民族主義感情」を喚起し、「国民国家建設競争」を導いたフランス、西欧の政治、軍事動向だった。

 もちろん、直接の責任が、スルタンの政策、ムハージルーンの残虐行為にあるのはもちろんですが、ムハージルーンにしてみれば、かなり長期にわたりロシア軍と戦った末に、遂に亡命してきたわけで、キリスト教徒に対する反感、恨みの感情もつもっていたのでしょう。結局、ロシアの責任も重大です。

 今日国民国家となった(民族基盤は、トルコ系ではなく、ムスリム教徒ですが)トルコにしてみれば、今更20世紀初頭に起こった歴史過程の一部に関し、責任を問うような、欧米議会における問責決議案などは、「歴史を、過去を勝手に裁く権利が、諸外国にあるのか?しかも、キリスト教徒としての連帯感情のみが動機としか見えない、公正ではない」と感じるのではないだろうか。

 ともかく、日本にとっても、諸隣国の言いがかりとか、過去の歴史に関し、一方的に断罪される、そういう風な扱いには、辟易です。我々としては、簡単にアルメニア人の側に立てない気がする。
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sigeruさんへ (mugi)
2011-03-05 20:47:18
 質問があるなら、まず「初めまして」程度の挨拶言葉くらい、入れるのが筋じゃないの?友人でもないのに端から馴れ馴れしい文句で質問するのは奇矯。こんな質問をするキミの動機の源泉こそ何なの?

 ここは個人のブログであり、無料質問板ではないのだから、その程度もわきまえもないの?歴史など虐殺の繰り返しだし、私に限らず歴史ブロガーの多くは戦史や虐殺を描いている。蓼食う虫も好き好き。私は中東史に関心があるし、他の歴史ブロガーがまず取り上げないテーマだったから、これを書いたのだけど。

 今度はキミ自身、何が目的でこの記事を見たのか、何故こんな質問をしたのか、答える番だよ。どうせ、2度目のコメントはないだろうね。
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RE:国民国家建設という革命思想 (mugi)
2011-03-05 20:53:08
>室長さん、

 貴方のコメントのタイトルこそ、アルメニア人虐殺の根本的原因を物語っています。民族意識の希薄なオスマン帝国を瓦解させたのも、西欧式「国民国家」という革命思想でした。19世紀、欧米列強がトルコに近代改革を突き付け、内政干渉する姿勢は、21世紀になっても全く変わらないと痛感させられました。

 ロシアは書くまでもありませんが、西欧諸国も自らの罪を認めたり、自己反省することは決してないと思います。第一次大戦後、英仏両政府は、「久しくトルコ人によって圧迫されてきた諸民族の安全、かつ終局的な解放と住民の自発的、かつ自由な選択に発する、国民的統治並びに行政の確立にある」と宣言していますし、この立場は絶対変えないでしょう。

 アルメニア人活動家たちが、亡命者で帝国臣民ではなかったという事情も興味深いですね。惨劇に遭ったのが一般のアルメニア人農民だったというのも悲惨です。煽動者たちはこれをどう感じていたのやら。
 列強は民族主義を煽った後は見捨てたし、キリスト教徒としての連帯よりも国益が何よりも優先するのが国際政治。スルタンやエンヴェルもそれを見抜いていたから、圧政をとったのでしょう。

 トルコの憤慨は同じ敗戦国である日本人にも、痛いほど共感できます。20世紀までは犠牲者数を百万人と言っていたのに、21世紀には150万人と、根拠もないのに50万人もアップしてきた。ただ、トルコも言われっぱなしではなく、フランスにはアルジェリア独立時の百万人虐殺を挙げて牽制しているし、米国にも基地を使わせないと激しく抗議している。何処かの国の政治家とは段違いです。

 日本にもこの虐殺事件を取り上げ、トルコを糾弾している者もいます。ただ、彼らの意見を見ると、左派のニオイが強い。彼らが共産圏での大虐殺や、スターリンが戦時に盛んにやっていた住民追放も蛮行と言うなら話は別ですが、そんな左派などいるでしょうか。簡単にアルメニア人の側に立つ者は他にも察しはつきますし、こちらは欧米についてダンマリです。
 住民追放のような政策はアッシリア帝国時代から中東で行われていたし、中華帝国でもこれは当たり前でした。
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失礼しました。 (sigeru)
2011-03-05 21:35:26
こんばんは。
昨日は失礼しました。
偶然にネットで見かけて、タイトルが面白そうだったのでついアクセスしました。
以前、アメリカやヨーロッパでこの事件でトルコを糾弾する動きがあって、それに対してトルコが猛反発をしているというニュースを見かけたことがありました。
日本も過去のことでいろいろと諸外国から糾弾されるけれど、それに対しても日本もトルコのように毅然とした態度で挑むべきだと誰かが新聞記事に書いていたのを読んだこともありました。
歴史は嫌いであまり勉強しなかったけれど、mugiさんのブログでいろいろと教えてもらいました。
ぶしつけなコメントを書いてしまって申し訳ありません。
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RE:失礼しました (mugi)
2011-03-06 20:32:45
>こんばんは、sigeruさん。

 私も“ぶしつけなコメント”に対し、昨日はあえて無愛想な返信をしました。実はあなたをアルメニア贔屓か、サヨク系の人と疑ったのです。ネットでもアルメニア人虐殺問題でトルコを責める意見を見かけますが、左派系の特徴が濃い。こんなサイトが典型。
http://homepage3.nifty.com/armenia/genocide.htm

 また、クリスチャンも殆ど欧米べったりで、イスラム過激派を非難してもパレスチナの虐殺は黙殺する。パレスチナへの支援を呼びかけても、当人自身は寄付をしているか疑問だったり。日本でイスラム圏のイメージが悪いのも、彼らのネガティブキャンペーンが少なからず影響しています。
 日本在住の「黄色いアルメニア人」にもキリスト教徒は多いし、ネットでは殊更日本人風のHNを使ったり、拙ブログにも日本名と英名の複数のHNを使っていたコメンターもいた。

 歴史嫌いの人が、たまたま見つけた中東の虐殺問題という、暗く決して面白味のない歴史記事を見たとは不可解ですね。今回は初めのコメントとはかなりトーンが違っていますけど、私としては書込みにはそれ相当に対応するだけです。
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初めまして。 (都民です。)
2015-05-19 09:45:54
 最近 アルメニア人とトルコについて少し調べていました。きっかけは在米韓国人とアルメニア系の連携でした。その後 法王や各国が昔のアルメニア人虐殺への非難を始めました。ブログ主さまのお蔭でやっと何故なのか、過去からの因縁などが分りました。ありがとうございます。
 ただなぜ今なのか?トルコはEU加盟も拒まれ、その為かロシア・中国へと接近しています。これは良くない兆候だと思ってしまいます。

 数年ですが、仙台に住んでいた事があります。別の記事で仙台のお雑煮を見て、一度食べてみたかったと思う事しきりでした。美味しそうですね。
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Re:初めまして。 (mugi)
2015-05-19 21:58:20
>「都民です。」さん、コメント有難うございました。

 在米韓国人だけでなく、在日韓国人もアルメニアと連帯を画策しています。NHK BS世界のドキュメンタリーで、「おばあちゃんのタトゥー~アルメニア哀史~」を放送していたこともありました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/36e70f5e0c5e970a8b1de5183f8fb9dc

 現代でも欧米や法王がトルコを糾弾するのは、イスラムへの牽制があると思います。20世紀の大虐殺といえばナチスが知られますが、アルメニア虐殺事件もナチスに比べれば、中虐殺程度ですよ。イスラムは南米のキリスト教のような布教に伴う先住民虐殺もしておらず、キリスト教徒にとっては、忌々しい限りでしょうね。
 
 イランほどではありませんが、トルコでもイスラム主義が台頭しており、世俗主義はこれまでのような力はないようです。尤も私はトルコとロシア・中国がそれほど緊密になるとは思っていません。中国とは経済面で協調しても、ロシアにはそれほど親密さはないでしょう。

 仙台も含め東北の雑煮は具だくさんで食べごたえがありますが、作る側は正直言って手間がかかります。それでも作るのは、やはり新年には美味しい雑煮が食べたいからでしょう。
返信する
おはようございます。 (都民です。)
2015-05-20 07:37:40
 さっそく教えて頂いたブログを、アルメニア人を韓国人に置き換えて読みあまりの違和感のなさに吃驚しました。連携するのが自然ですね。NHKの番組は、裏付けのない感情的な主張でこれもよく見た景色で笑ってしまいました。
 
 トルコへのご意見を読み、キリストとイスラムという宗教間の争いについて自分が鈍感だったと気が付きました。そうすると、法王や西側諸国の声明した意味が分かるような気がします。お蔭さまで、ずっと引っかかっていましたがスッキリしました。有難うごさいます。

 
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Re:おはようございます。 (mugi)
2015-05-20 22:40:08
>「都民です。」さん、

 私もアルメニアについては浅学だし、韓国人との共通性について述べた人の意見を参考にさせて頂きました。確かによく似ており、連帯というよりも韓国のほうから接近したのかもしれません。ネットの発達でNHKの番組がおかしいのは知られるようになったし、幹部には隣国人がいるはずです。

 トルコと不仲の隣国ブルガリアの専門家ブロガーさんから、興味深いコメントを頂きました。ブルガリアでも4月下旬、アルメニア人虐殺事件への国会審議が行われたそうです。ただし、世論調査ではブルガリア市民の実に61%が、その事件のことは聞いたことが無いことが明らかになったとか。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/6b8de1642e1308e6d99c4635dbc4b236#comment-list
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