その一の続き
第二章は「地母神が支配する世界」、古代オリエントの地母神が解説されている。ただ、この地母神については私も含めよく理解できない読者も少なくなかったのではないか?字面だけ見ると地母神とは、単に多数の子を産み育てる母神の印象があるが、かなり違っている。
日本の地母神としては夫とともに国生み、神生みを行ったイザナミが知られるが、著者は典型的に発達した地母神とは言えないと述べている。古代オリエント世界では地母神信仰が大いに発達していたが、この女神たちは一般に日本人がイメージする慈愛に満ちた優しい女神とは正反対なのだ。
歴史時代の地母神には三つの属性があり、処女性と愛欲及び戦闘が見られ、本書ではそれらへの詳しい説明がある。処女性と愛欲なら分からなくもない。しかし戦闘性については違和感を覚えた日本人が多かったのだろう。何しろ猛々しく好戦的、残忍な野心家でもあるのだ。
本書では代表的な地母神としてイナンナ(別名イシュタル)を挙げており、「イナンナの冥界下り」の物語が紹介されている。著者はイナンナが冥界に下ったのは、この地域への支配を目論んだことからと記しており、当然姉でもある冥界の女主人の怒りをかって殺害される。
幸いにして味方の神の助けでイナンナは蘇るが、冥界の神々は地上に戻る条件として身代わりを要求する。その身代わりに彼女が差し出したのが夫のドゥムジとその姉だった。夫はイナンナが死んでも喪に服さず、着飾っていたことに怒ったからだ。
豊穣神でもあるイナンナは夫を持ちながら120人を越える恋人を抱えていたと言われ、これでは夫が喪に服さずとも仕方ない。地母神ではないが、インドにもカーリーのようなどぎつい戦いの女神がいる。しかし、カーリーは少なくとも夫には貞節だった。古代ギリシアの愛と美の女神は、夫がありながら浮気三昧だったが。
対照的に日本のイザナミの何と大人しいことか。離縁されたことに激高、1日に1,000の人間を殺すと脅した程度だし、主神であるはずのアマテラスさえ乱暴者の弟を恐れ、洞窟に引きこもる始末。女神たちも日本と古代オリエントでは極めて違っているようだ。
本書で最も興味深かったのは、第二章の中の4節「ブランコ奇譚」。4節はこう書きだされている。
「長い時間が過ぎていく中で、異教の神々はいつの間にか忘れ去れらるものの、信仰としてでなく、儀礼だけは楽しさの故か、風俗習慣として残っていることもある。こうした儀礼の一つでブランコが使われ、農耕社会を伝播していった……」
1938年、マリ遺跡(現シリア)から、高い背もたれのある椅子に座った女性の小像が出土し、マリと交流のあったクレタ島からもブランコに乗った小像が出土している。ギリシア本土にもブランコを使った儀礼があったという。
ブランコといえば現代では子供の遊具のイメージだが、古代ギリシアでは少女たちがブランコをこいでブドウの豊作を祈ったという。マリの小像も地母神で豊穣の女神ニンフルサグを祀る神殿から出土していた。
一説ではブランコの起源はインドとも言われるそうだ。インドでのブランコを使った複数の儀礼は古くから知られ、そのひとつがバラモン教の神官が司る「ブランカ儀礼」。これは太陽の象徴になる座板と大地の結合で、座板には女性が座る。天父、地母の「聖婚」が一年のはじまりで、農耕の開始を告げた。
ブランコそれ自体をインドでは太陽とみなしていた。女性たちがブランコに乗ることは「聖婚儀礼」であり、春の祭「ブランコ祭」では神像を乗せたブランコを動かす儀礼もあったそうだ。
インドに限らず、ブランコの儀礼は世界各地で見られ、南欧や北欧、ロシアにもあるという。タイでもこの儀式はあり、ブランコに乗るのは他の地域と異なり男性の神官だったが、神官はブランコをこいで稲の豊作を祈願した。単なる子供の遊具と思っていたブランコが、実は豊作のための娯楽を兼ねた呪いでもあったことを本書で初めて知った。
その三に続く
ええええええええ!
しかしMUGIさんのページ来るようになったころ
インドラ神が報復に千の女性器を埋め込まれた件で
驚きましたが、イナンナもなかなかに強烈ですね。
さてゼウスとイナンナどちらのほうが浮気相手が
多いのやらwww
何事にも上には上があり、アラビアンナイトには570人の男と交わったと豪語する魔神の情婦が登場しています。これに比べればゼウスなど大人しい。