トーキング・マイノリティ

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女の敵はおんな その①

2010-11-06 20:42:04 | 読書/日本史
 平安時代は日本史上でも稀なほど、女流文学者を輩出した時代だった。その最高の文豪こそ清少納言紫式部なのは子供さえも知っている。王朝文学の代表格であり、共に才女を謳われた2人である。特に後者など、現代でも読み継がれる世界最古の長篇小説の著者であり、さぞ頭脳明晰で立派な女性と思われがちである。だが意外にも『紫式部日記』で、あの源氏物語の作者とは思えないほど、清少納言への殆ど中傷にちかい非難をしていた。wikiにはその原文が載っている。

-清少納言こそ したり顔にいみじうはべりける人 さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見れば、まだいと足らぬこと多かり かく 人に異ならむと思ひ好める人は かならず見劣りし 行末うたてのみはべれば え心になりぬる人は いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ をかしきことも見過ぐさぬほどに おのづからさるまてあだなるさまにもなるにはべるべし そのあだになりぬる人の果て いかでかはよくはべらむ…

 解釈をすれば、次のようになる。
清少納言こそ得意顔で高慢に振る舞っていた人。やけに利口ぶって真名(漢字や漢文。当時これは男が書くものとされ、漢字を書ける女は少なかった)を書き散らしているが、よく見ればまだ未熟なことが多く十分とは言えない。このように人と違い特別だと思い自惚れる人は、おそらく後には見劣りがし、悪くなっていくもの。いつも風流ぶり、それが身についた人は、まるで寂しくつまらない時でも感動しているように振る舞い、趣を見逃さないようにしているうちに、自然とよくない浮薄な態度になるだろう。そのような性質になってしまった人の行く末に、どうしてよいことがあろうか…

 実に辛辣であり酷評といってよい。同輩の女性歌人・和泉式部赤染衛門にはべた褒めではないが、その才能を評価している。特に前者には素行(※うかれ女とあだ名される恋多き女だった)は感心しないが、歌は見事と述べている。ただし、その歌に学は足りないと保留を付けている。これも当時の歌は感情のままにものにするのではなく、古歌の言葉を使い、さりげなく教養を見せるのが高等技術とされていたことによる。一方、対照的に清少納言は紫式部に全く言及していない。

 紫式部が清少納言をこき下ろした背景について、王朝文学者や歴史学者は様々な考察や推測を寄せている。最も有力なのは前者が中宮彰子に仕え、後者の主人は中宮・定子であり、女主人同士がライバル関係にあったからというもの。また、清少納言の才能を知った紫式部がそれに嫉妬したと見る者も少なくない。ただ、2人は年齢も宮仕えの期間が10年近くも異なり、実際に面識はなかったものと考えられている。清少納言の方が年長というが、ならば面識がなかったにも関わらず、あれほどの酷評は不可解だ。また、たとえ同じ主人に仕えていても、彼女たちの性格は対照的であり、友人同士にはなれなかっただろう。

『紫式部日記』では、自分についてこう述べている。
私は小さかった頃、兄が書物(もちろん漢文)を読むのをそらで聞き覚え、兄よりスラスラ読んだので、父が男の子でなくて残念だ、と言ったものだ…その私さえ一の字も書けないフリをし、屏風に書いた字も読めないフリをしているのだ。中宮様にも人のいない時に、そっとお教えするようにしているのに…

 一見、賢明かつ謙虚な姿勢にみえるが、これもある意味自慢話である。学をひけらかす清少納言と本質は変わりない。才能を隠そうとしない清少納言と違い控えめにせよ、日記で露骨にこうも書いたのならば、かえって嫌味に思える。能ある鷹が爪を隠すのは賢明な処世術だろうが、それでも式部の才能は同僚たちには隠せず、敬遠され気味だったという。ただ、あの『源氏物語』の著者の素顔があまりにも“女性的”だったのは興味深い。才能と人格はやはり別物らしい。
その②に続く

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