トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

大地のうた 1955/印/サタジット・レイ監督

2008-01-24 21:21:01 | 映画
 インド映画といえば、ヒットした「ムトゥ踊るマハラジャ」のため、B級おバカ映画のイメージがすっかり定着してしまったが、それ以前はシリアスな印象だったのだ。特にそれを決定付けたのが1956年カンヌ国際映画祭で人間的ドキュメント賞を受賞したサタジット・レイ監督の「大地のうた」。主人公の成長を描いた続編「大河のうた」「大樹のうた」があり、主人公の名をとりオプー三部作とも呼ばれる。この三部作のあらすじを紹介したサイトもある。オプー三部作では、私はやはり第一作「大地のうた」が最も気に入っている。

「大地のうた」の舞台は戦前のインド、ベンガル地方の貧しい農村。少年オプーは両親と姉、親戚の老婆と暮らしている。文盲が大半のインドの農村で、父は書や経典を読むほどの知識人なのでバラモン・カーストなのは確かだろう。父は人はよいが世渡り下手、地主の秘書でやっと食いつないでいる有様。食に事欠くこともしばしばな赤貧ゆえ、オプーの母は苦労が絶えず、家族にガミガミ当たることもある。貧しくともオプーと姉ドゥルガは明るく屈託のない子供たちであり、2人とも活発でいたずら好きだった。

 生計を立て直すため父は出稼ぎに行き、その間老婆は死ぬ。この老婆は暫らく前から未亡人となっており、親戚に身を寄せるも貧しさゆえ行く先々で厄介者扱いされていたのが伺える。オプーの母とも折り合いが悪く、母は老婆に怒鳴ってばかりだが、貧しい生活ではどうして十分な面倒が見れようか。だが、オプーは老婆になついていて、彼女もオプーをとても可愛がっていた。
 オプーと姉は大変仲が良かったが、姉は風邪をこじらせ肺炎になっても、一家は薬も買えない。嵐の晩、母に看取られながら、ついに姉は息を引き取る。日本ならまだ中学生くらいの年代だった。

 姉の死後、オプーは生前姉が隠していたネックレスを偶然発見する。それは姉の友人のものであり、友人から盗みを疑われていても姉はしらを切っていたが、姉がやはり犯人だったことを知ったオプー。装身具ひとつ持ってない姉からすれば、年頃の娘ゆえ欲しくなるのも無理はない。インド人は男女ともアクセサリーで身を飾るのを好むのだ。そのネックレスを、近くの池に投げ込むオプーの痛ましさ。
 出稼ぎから戻り、娘は死に、嵐で家は崩壊したのを知った父は、聖地バラナシに移住することを決意する。残された一家は村を出て、聖地に向かうところで終幕となるが、廃屋となった空き家に蛇が主のようにぬっと入り込むシーンがよい。ベンガル地方ならずとも、インドに蛇ならさぞ多いだろう。

 2作目「大河のうた」も、1957年ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を取っている。しかし、インドでは悪評だったらしい。オプーの母は息子に大事な試験があるため、心配をかけまいと自分が病気であることを告げず、息子に看取られず亡くなるのだが、これが不道徳と言われたそうだ。息子を思いつつ死ぬ母なら、日本では感動と共感をよぶだろうが、たとえ知らなかったにせよ母を看取らぬのは子の義務を果たさぬとインドでは見られるようだ。
 オプーが学んでいる学校に、我が物顔で牛が入り込んでくるのも、いかにもこの国らしい。とかく牛の態度がデカイ。経済成長著しい最近のインドでは、野良牛さえ少なくなっているかもしれない。

 1作目では愛くるしい少年だったオプーも成長し、3部「大樹のうた」では結婚する。花嫁はとても美しい。新婚初日が明け、起きようとした新妻は夫が着物の裾を結んでいたのを知る場面がある。3作目ではこのシーンが最も気に入っている。互いの服の裾を結び付けるなど、日本では滅多にないだろう。
 しかし、妻は子供を出産した後、死亡する。子供は無事だったが、絶望したオプーは子供に会いもせず各地を放浪する。妻の死と引き換えに生まれたゆえ、子に複雑な感情を持つオプーに、5年間も見捨てられた息子。ついに父子の心が通い合い、息子を肩に抱いて旅立つラストシーン。

 このシリーズは3部ともモノクロで、ゆったりした展開となっている。近年日本で公開されるインド映画と異なり、歌や踊りの場面は一切ないのも面白い。歌や踊りのシーンが長すぎるのがインド映画の欠点。
 それにしても、インド人は眼が大きく少年の頃はとても可愛いのに、大人になるといきなりオッサン然となるのは不思議だ。3部目の最後のオプーなど、ヒゲもじゃの熊のようであり、肩に抱いた愛くるしい子供も成長すれば、この通りとの見本よろしく、いささか興ざめだ。

◆関連記事:「サタジット・レイの描いたチベット

よろしかったら、クリックお願いします
   にほんブログ村 歴史ブログへ


最新の画像もっと見る