その一、その二の続き
ロマノフ朝の歴代ツァーリの中で、私的にはやはりピョートル一世が最も印象的だった。ピョートルが広く欧州視察を行い、西欧の先進的文明を母国に取り入れようとしたことは知られている。西欧化のひとつとして、ヒゲ剃りを貴族以下一般民衆にも強要する。そらぬ貴族には年間60ルーブルの支払いを命じた。俗にいう「ヒゲ税」の導入だった。
但しピョートルが振り回したのは、ハサミだけではなかった。英国から持ち帰った抜歯用の鉗子を気に入り、歯科医に習ったからと、傍にいる誰彼の口を開けさせて虫歯を見るなり抜きまくったというから、本人自身は西欧化からほど遠い。
ピョートル個人は何時まで経っても西欧の宮廷のような華やかさには無縁だった。洗練された西欧に憧れながら、相変わらずの暴飲暴食、乱痴気騒ぎ。気まぐれ、膂力(りょりょく)の誇示、豪快な(言い換えれば粗野な)振る舞いがピョートルらしさだ、と著者はいう。それはロシア自体がトップに求めた資質でもあったが、あんがい今もそうかもしれない、と。
実はピョートルと謁見した日本人がいたことを本書で初めて知った。漂流民デンベイがその人で、ピョートルは生活保障とシベリアにおける日本語教師の職を与えたというが、デンベイの生涯は殆ど知られていない。エカチェリーナ二世に謁見した大黒屋光太夫のおよそ1世紀前のことだ。
ピョートルで不可解なことは、いかに不仲でも跡取り息子に死刑を宣告、息子は獄死したこと。これも本書で初めて知ったが、癇癪を起して息子を殴り殺したイワン雷帝とも違うような。そのくせ不義を繰り返す妻は殺さず、間男は処刑している。
ちなみに現ロシア大統領プーチンはピョートルを尊敬しており、人前でこれ見よがしに寒中水泳するのも膂力の誇示なのだろう。
著者は第4章でロシア社会について、以下のように述べている。書かれている内容は、欧州というよりも南隣の国に酷似していると思った読者は少なくなかったのではないか?
―ロシアでは、国の最高権力者がある日突然失脚、というパターンはすでにもう延々続いてきたし、これからも延々続いていくだろう。ソ連時代のジョーク集には、夜明けにドアを乱暴にたたく音で死ぬほど怯え、逮捕者が自分ではなく隣人と知るや「人生最高の幸せを感じた」、などというブラックジョークがたくさんある。
今たとえどんな地位にあろうと安心できない、いつ引きずりおろされるかわからない。いや、すでにもう権力は手の中にないのに、気づいていないだけかもしれない。
しかも政争に敗れた者の運命は、ヨーロッパ先進国の場合とは比べ物にならぬほど残酷だ。罷免や財産没収、国外追放などで終わることはなく、それらに加えて苛烈な拷問、シベリア送り、四肢切断などの公開処刑、妻子や一族も巻き込まれる。メンシコフ一家などは、シベリアへ護送される途中で民衆から石をぶつけられ、彼の妻は心労のあまり流刑地到着前にもう死んでしまったほど。
これでは誰も彼も疑心暗鬼に囚われ、寝首を搔かれる先に敵を陥れねばと、絶えず陰謀をめぐらすことになる。男も女も。君主も臣下も。(80-81頁)
「おそロシアの意味を象徴するロシアの怖い特徴11選!」という記事がある。私が一番おそロシアを感じたのは、7番目の「言い訳禁止令」。
2007年、シベリア西部の町メギオンで町長が町役場で働くスタッフに対し「言い訳禁止令」を発令、実際に施行されたそうだ。なんと27ものフレーズを禁止、言い訳を続けた場合はシベリアの奥地に送られるという罰則付きだったとか。
いくら町役場で働くスタッフが怠け者ぞろいだったとしても、この発令だけで驚く。やはりロシアは欧州ともアジアとも違う国だったのだ。
自ら拷問したとか、息子を葬る際に切られた首を縫い合わさせたとか、唖然とする噂があります。真偽は不明です。しかし、こんな話が出る事自体、ロシアが異質ですね。でも、同じスラヴでも、ポーランドやチェコはイメージが異なります。ブルガリアやウクライナやベラルーシはどうなのでしょう?
サンクトペテルブルク建設では土地が脆弱なため大勢の労働者が死に、苔を熱湯で消毒して家の隙間に詰めていたとか、よく建設できた、と言うレベルです。
でも、寒い中、人助けに河に飛び込み、それがきっかけで死去するので、残酷なだけでもありません。善悪に異常な振り幅がある人物です。
ポーランドやチェコにはまるで浅学ですが、東欧でも文化水準が高いイメージがありますよね。ブルガリアやウクライナやベラルーシなども全く浅学ですが、ブルガリアやベラルーシにはそれほど反ロシア感情は見られないような……一方ウクライナは明らかに違うでしょう。
サンクトペテルブルク建設では5万人の農奴が動員されたことが本書に載っています。農奴がいくら死んでも気にも留めなかったはず。苔を熱湯で消毒して家の隙間に詰めていた話は初めて知りました。専制君主だからこそ、湿地帯でも大都市建設がやれたのでしょう。
人助けが元で死去したのも異色です。記事でも取り上げた抜歯も人助けでやっていたと思います。周囲は大迷惑でしたが。
大体、先祖や子孫にピョートルの様な人物が出ていたのかと。特異点ですよ。このような人物でないと、ロシアのような国は動かないのでしょう。
> ポーランドやチェコにはまるで浅学ですが、東欧でも文化水準が高いイメージがありますよね。
私も東欧は全く知識がないのですが、ポーランドやチェコは有名な作曲家や科学者が出てますからね。カフカもチェコ出身です。
>記事でも取り上げた抜歯も人助けでやっていたと思います。周囲は大迷惑でしたが。
ある時、ピョートルは病人の手術をして水腫を取り出したのですが、その病人は手術後すぐ死にました。無論、家族は有難がるしかありませんでした。当時の手術に麻酔がないことを考えると、恐怖です。
ピョートルの父親も「温厚」とされているし、息子は凡庸。少年時代の彼は危うく暗殺されかけ、異母姉とは熾烈な権力闘争を行って皇帝になったとしても、滅茶苦茶すぎます。尤もイワン雷帝のような残忍さは感じられませんが。
ロシアも有名な作曲家や科学者を数多く出していますが、人口も多い上に暴君も輩出しています。国土が広大過ぎて独裁者でないと国を治められないのやら。
ピョートルは病人の手術まで行っていたのですか!ひげそりや抜歯は命に関わりませんが、皇帝自らお医者さんゴッコするのは恐ろしい。当人は西欧の先進医療を学んできたと自負しているから始末が悪い。以前のコメントでは臣下にアルハラをしていたそうで、周囲は泣き寝入りする他なかったでしょう。
他、愛人の一人を斬首した際(理由は失念)、首の切り口を周囲に見せながら、神経や血管の解説を行い、最後は首にキスをして投げ捨てました。18世紀の前後にこんなことをする君主なんて想像ができません。行動だけ聞くと猟奇犯罪で、科学的な頭脳と野蛮な精神が混在しています。
教会絡みなら、取り巻きと大勢で行進して穢らわしい内容の祈りを唱えたと言うエピソードもあります。このような事をすれば、教会関係者が激怒するのも当然です。また、戦勝パレード(だったと思います)ではお気に入りの道化が真っ先にいて見得を切り、料理人が死亡した際は、葬儀参加者全員に料理人の格好させたと言う話もあったような。やることが完全に中世です。
ピョートルの抜歯は歯茎を剥がしたケースもあったのでしたか!麻酔のない時代、これは殆ど拷問でしょう。素人療法としても危険すぎます。
愛人の一人を斬首したエピソードも初耳です。実はオスマン帝国のメフメト2世も似たようなことをしていました。ただ、その理由は明らかに違っています。
メフメト2世の招へいしたイタリア人画家が斬首された聖人の絵を描き、メフメト2世は絵の出来は褒めました。しかし首の切り口から神経や血管が出ているのはおかしい、斬首されたばかりなら血管や神経は引っ込むはずだ、というのです。そして側にいた奴隷の首を刎ねて切り口を見せ、己の意見の正しさを証明しました。
塩野七生さんがこのエピソードを紹介していましたが、専制君主の非情さにドン引きしました。しかし彼は15世紀の君主だし、ピョートルの方が野蛮に感じます。
トルコの専制君主も聖職者を激怒されることはしなかったでしょう。ロシアの方がトルコより中世的だったのやら。