近未来的な疑惑がこれほど身近なモノで行えるようになるとは時代も変わったモノです...............
Smartphoneが生まれ出て9年。
恐ろしいほどのスピードで進化しており、これからもモバイル機器によって世界は改編されていくのでしょう。
現代人の生活様式の変化の中でスマホほど影響を与えているものは無いでしょう。
以前は「携帯電話」だったモノが今では「情報端末」となり万能型コンピュータといっても過言ではありません。
このような性能のモノがポケットの中に収まって、どのような情報でも簡単に入手出来る時代なのです。
数年前まで、将棋はボードゲームの中で人がコンピュータに勝てる「最後の砦」として扱われてきました。
それが覆されたと言わしめた切っ掛けを作ったのが今回の疑惑を掛けられている三浦弘行九段が対戦した2013年頃からでした。
2~3年でソフトが勝てるかどうかだったのが勝ち越しに変わりつつあったのです。
わたしは将棋が好きで羽生善治さんの7冠にはしびれたモノでした。
みんなで集まりよく将棋をしていましたし、お年寄りも好きなことが多くて介護施設に勤めていた頃は対戦相手になったモノです。
「将棋指し」の傾向として老弱男女問わず感じるのは「負けたら悔しい」のは当然のことですが、「勝っても改善点がある」という認識です。
上記のことは当然のことなのですが、「将棋が強いというだけでリスペクトしていただける」というのがありました。
明らかに将棋を理解しようとせずに、将棋の駒の動きと勝敗条件しか知らない人との将棋をするよりは指さない方がマシだったりします。
これは将棋に対しての関心度の度合いが明確に出るからに他ならないでしょう。
「将棋を理解し勝とうとする」ということは「人として高尚なこと」だとお年寄りは捉えていることが少なくなかったのです。
更に面白いことにリスペクトの度合いはプライドの高いお年寄りで有れば有るほど強くて、我が儘を言い出したりする事があっても将棋が強い人が対応するとこちらの言い分を尊重して下さることが少なくありませんでした。
お互いに対してのリスペクトというのは人間関係として非常に重要なのですよ。
このことを覚えておいていただきたいのですが、まして純度の高い将棋指し同士であれば、尚更に強者は尊敬に値するモノなのです。
将棋というのは研究や思考の量によって勝敗は決すると言っても過言ではありません。
ただし、ここには質的なモノが加味されていません。
最近はコンピュータとの研究が多くなってきているようです。
しかし、質を求めようとするとどうしても何処かの時点で「人間同士」での検討なり研究が必要になります。
ここで将棋の特徴というよりボードゲームの特徴が出て来ます。
ボードゲームというのは最低でも2人以上の人間が関わってでしか成り立ちません。
そして研究や検討で望ましいといわれているのは同レベルの2人であると言うことです。
理解度が同じ程度で無ければ一方的な情報しか発生しないことが多く、得るものが公平には成らないからです。
ここで興味深いかも知れないことを書いておくと、もっとも成長出来る機会というのが
対局
であると言うことでしょう。
対局をするということは人間としての自分を曝け出す機会でもあります。
よって対局の取り組み方や指し用は「将棋指し」としてというよりも「人間として」の対戦になりがちです。
どのカテゴリでもですが、上に行けば行くほど人間性が高くなければ成長できず人間性が低い状態では到達し得ないと言うことです。
もし到ったとしても、その人がスタンダードになるということは滅多にありません。
彼が実際にソフトを使用したかどうかは連盟の対処方法が最低でしたので今後も追求も出来ませんし、確定も出来ないでしょう。
そしてこの疑惑は恒久的に、ずっと彼について回ることになります。
三浦九段が怪しいと言われている要因として、席を離れる表情が将棋に集中していないと見受けられるところです。
何か他のことをする事に集中していると言っても良いかもしれません。
将棋のことに集中して居なさそうであるということが素人のわたしでさえ勘づくことが出来るぐらいなのですから、年に何度も対戦したり盤を並べて指す棋士の方達にしてみれば疑わしいと思っても仕方が無いとも思います。
将棋以外の事をされてきたのであれば、もっと巧くやれていたのであろう事なのかも知れません。
これはもしもの事であって彼が絶対に行ったとは本人以外は誰も言えないのです。
やっていないなら、「なぜ席を立つのだろうか」ということを推察してみましょう。
三浦九段は最近、結婚されました。
年が離れた方のようでその生活が楽しいということは考えられないでしょうか。
そのことを考えながら将棋を指して、盤面の前では集中できないからこそ1人になりたかったと考えればあのような表情も納得できます。
今日(2016.10.18)、三浦九段から弁護士を通して各所に文面が届きました。
正直なことを書くと彼の提示した証拠には彼の潔白を証明する能力は全くありません。
写真だけでは全く価値が無く、証明は絶対に不可能です。
三浦九段の弁護士が「この程度の証拠」を「証拠能力あり」として提出する辺りに、周りの人間の疑惑はより深めさせるだけなのではと思ってしまいます。
また疑惑を掛けた棋士が複数いるということも三浦九段がソフトを使っている可能性が高い証拠だと言えるのかも知れません。
将棋というのは相手の思考をトレースしながら相手のロジックを読み取る勝負事です。
そしてそれが一発勝負ではありません。
ここで断っておかなければならないのは、プロ棋士集団というのは人の中でも天才の集まりであると言うことです。
また個々の人間が強靱な思考力、論理力を有しており、それに基づいて対戦していると言うことですね。
つまり人間同士が人間を高め合うモノであり、それ以外のモノつまり「=違和感」に対して非常に敏感なはずなのです。
それが数分離れただけで出された結論なのか、外的要因が加わって到った結論なのかに対しても一度であれば解らないかも知れませんが、続くとおかしいと思うのは仕方が無いと思うのです。
一人の棋士が複数の専門家である棋士に「違和感がある」という結論を出されるという事は非常に危ういという事なのです。
これは病院に置き換えてみましょう。
1.癌の専門家が癌を見つけるためにレントゲンを撮ります。
2.そして癌の傾向を考えて影を見つけようとしますよね。
3.癌が見つけられなかった場合は安心しますし、見つかった場合は然るべき措置を講じます。
1.棋士にとって判断基準は「指し筋」、及び「棋譜」となります。
2.棋士にとってはこれまでの彼の指し用と研究による伸び代などを加味した判断となります。
3.棋士にとっての対処方法は連盟に対して疑わしい旨を伝えると言うことになります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
番号では解りづらいかも知れないので段階を合わせておきます。
癌の専門家が癌を見つけるためにレントゲンを撮ります。
・棋士にとって判断基準は「指し筋」、及び「棋譜」となります。
そして癌の傾向を考えて影を見つけようとしますよね。
・棋士にとってはこれまでの彼の指し用と研究による伸び代などを加味した判断となります。
癌が見つけられなかった場合は安心しますし、見つかった場合は死勝つべき措置を講じます。
・棋士にとっての対処方法は連盟に対して疑わしい旨を伝えると言うことになります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
羽生さんの書かれている本をたまに読むのですが、棋士同士のコミュニケーションは対局である事が良くわかるんですよね。
これは勝負事全てに当てはまりますし、仕事であれば生み出すモノ全てで判断されると言っても良いでしょう。
良いモノを作り出し、疑われるようなことはしないでいきたいモノですね。
Smartphoneが生まれ出て9年。
恐ろしいほどのスピードで進化しており、これからもモバイル機器によって世界は改編されていくのでしょう。
現代人の生活様式の変化の中でスマホほど影響を与えているものは無いでしょう。
以前は「携帯電話」だったモノが今では「情報端末」となり万能型コンピュータといっても過言ではありません。
このような性能のモノがポケットの中に収まって、どのような情報でも簡単に入手出来る時代なのです。
数年前まで、将棋はボードゲームの中で人がコンピュータに勝てる「最後の砦」として扱われてきました。
それが覆されたと言わしめた切っ掛けを作ったのが今回の疑惑を掛けられている三浦弘行九段が対戦した2013年頃からでした。
2~3年でソフトが勝てるかどうかだったのが勝ち越しに変わりつつあったのです。
わたしは将棋が好きで羽生善治さんの7冠にはしびれたモノでした。
みんなで集まりよく将棋をしていましたし、お年寄りも好きなことが多くて介護施設に勤めていた頃は対戦相手になったモノです。
「将棋指し」の傾向として老弱男女問わず感じるのは「負けたら悔しい」のは当然のことですが、「勝っても改善点がある」という認識です。
上記のことは当然のことなのですが、「将棋が強いというだけでリスペクトしていただける」というのがありました。
明らかに将棋を理解しようとせずに、将棋の駒の動きと勝敗条件しか知らない人との将棋をするよりは指さない方がマシだったりします。
これは将棋に対しての関心度の度合いが明確に出るからに他ならないでしょう。
「将棋を理解し勝とうとする」ということは「人として高尚なこと」だとお年寄りは捉えていることが少なくなかったのです。
更に面白いことにリスペクトの度合いはプライドの高いお年寄りで有れば有るほど強くて、我が儘を言い出したりする事があっても将棋が強い人が対応するとこちらの言い分を尊重して下さることが少なくありませんでした。
お互いに対してのリスペクトというのは人間関係として非常に重要なのですよ。
このことを覚えておいていただきたいのですが、まして純度の高い将棋指し同士であれば、尚更に強者は尊敬に値するモノなのです。
将棋というのは研究や思考の量によって勝敗は決すると言っても過言ではありません。
ただし、ここには質的なモノが加味されていません。
最近はコンピュータとの研究が多くなってきているようです。
しかし、質を求めようとするとどうしても何処かの時点で「人間同士」での検討なり研究が必要になります。
ここで将棋の特徴というよりボードゲームの特徴が出て来ます。
ボードゲームというのは最低でも2人以上の人間が関わってでしか成り立ちません。
そして研究や検討で望ましいといわれているのは同レベルの2人であると言うことです。
理解度が同じ程度で無ければ一方的な情報しか発生しないことが多く、得るものが公平には成らないからです。
ここで興味深いかも知れないことを書いておくと、もっとも成長出来る機会というのが
対局
であると言うことでしょう。
対局をするということは人間としての自分を曝け出す機会でもあります。
よって対局の取り組み方や指し用は「将棋指し」としてというよりも「人間として」の対戦になりがちです。
どのカテゴリでもですが、上に行けば行くほど人間性が高くなければ成長できず人間性が低い状態では到達し得ないと言うことです。
もし到ったとしても、その人がスタンダードになるということは滅多にありません。
彼が実際にソフトを使用したかどうかは連盟の対処方法が最低でしたので今後も追求も出来ませんし、確定も出来ないでしょう。
そしてこの疑惑は恒久的に、ずっと彼について回ることになります。
三浦九段が怪しいと言われている要因として、席を離れる表情が将棋に集中していないと見受けられるところです。
何か他のことをする事に集中していると言っても良いかもしれません。
将棋のことに集中して居なさそうであるということが素人のわたしでさえ勘づくことが出来るぐらいなのですから、年に何度も対戦したり盤を並べて指す棋士の方達にしてみれば疑わしいと思っても仕方が無いとも思います。
将棋以外の事をされてきたのであれば、もっと巧くやれていたのであろう事なのかも知れません。
これはもしもの事であって彼が絶対に行ったとは本人以外は誰も言えないのです。
やっていないなら、「なぜ席を立つのだろうか」ということを推察してみましょう。
三浦九段は最近、結婚されました。
年が離れた方のようでその生活が楽しいということは考えられないでしょうか。
そのことを考えながら将棋を指して、盤面の前では集中できないからこそ1人になりたかったと考えればあのような表情も納得できます。
今日(2016.10.18)、三浦九段から弁護士を通して各所に文面が届きました。
正直なことを書くと彼の提示した証拠には彼の潔白を証明する能力は全くありません。
写真だけでは全く価値が無く、証明は絶対に不可能です。
三浦九段の弁護士が「この程度の証拠」を「証拠能力あり」として提出する辺りに、周りの人間の疑惑はより深めさせるだけなのではと思ってしまいます。
また疑惑を掛けた棋士が複数いるということも三浦九段がソフトを使っている可能性が高い証拠だと言えるのかも知れません。
将棋というのは相手の思考をトレースしながら相手のロジックを読み取る勝負事です。
そしてそれが一発勝負ではありません。
ここで断っておかなければならないのは、プロ棋士集団というのは人の中でも天才の集まりであると言うことです。
また個々の人間が強靱な思考力、論理力を有しており、それに基づいて対戦していると言うことですね。
つまり人間同士が人間を高め合うモノであり、それ以外のモノつまり「=違和感」に対して非常に敏感なはずなのです。
それが数分離れただけで出された結論なのか、外的要因が加わって到った結論なのかに対しても一度であれば解らないかも知れませんが、続くとおかしいと思うのは仕方が無いと思うのです。
一人の棋士が複数の専門家である棋士に「違和感がある」という結論を出されるという事は非常に危ういという事なのです。
これは病院に置き換えてみましょう。
1.癌の専門家が癌を見つけるためにレントゲンを撮ります。
2.そして癌の傾向を考えて影を見つけようとしますよね。
3.癌が見つけられなかった場合は安心しますし、見つかった場合は然るべき措置を講じます。
1.棋士にとって判断基準は「指し筋」、及び「棋譜」となります。
2.棋士にとってはこれまでの彼の指し用と研究による伸び代などを加味した判断となります。
3.棋士にとっての対処方法は連盟に対して疑わしい旨を伝えると言うことになります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
番号では解りづらいかも知れないので段階を合わせておきます。
癌の専門家が癌を見つけるためにレントゲンを撮ります。
・棋士にとって判断基準は「指し筋」、及び「棋譜」となります。
そして癌の傾向を考えて影を見つけようとしますよね。
・棋士にとってはこれまでの彼の指し用と研究による伸び代などを加味した判断となります。
癌が見つけられなかった場合は安心しますし、見つかった場合は死勝つべき措置を講じます。
・棋士にとっての対処方法は連盟に対して疑わしい旨を伝えると言うことになります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
羽生さんの書かれている本をたまに読むのですが、棋士同士のコミュニケーションは対局である事が良くわかるんですよね。
これは勝負事全てに当てはまりますし、仕事であれば生み出すモノ全てで判断されると言っても良いでしょう。
良いモノを作り出し、疑われるようなことはしないでいきたいモノですね。