扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

謝ることは敗北なのか?

2007-03-10 23:51:33 | Work & Study & Make
いろいろと考えると答えが見えてきます...........

今の訴訟問題が大きくなる原因として謝罪の有無があります。
プライドによって塗り固められた、いわゆる「大人の世界」と呼ばれるところでは「謝ることは恥だ」とさえ考える人が多いんです。
特に欧米化が進む日本の企業では事実を認めないことも多々あります。
しかし日本の歴史を見てみると謝罪の歴史だと言っても過言ではありません。
特に近代日本は敗戦によって謝罪を強要されてきました。
おいらの見地からするとアジア諸国に対する責任がほとんど無い若年層にまで謝罪を求めるアジアの国には嫌気がさします。
「こんな(↑)考えだから日本は駄目なのだ」という人間が多いのでしょうけどね。

自分の国を愛することを危険な兆候と受け取る人々を見るとどうかと思います。
愛国心を培うことのどこが行けないのでしょうか?
今の日本人が無気力無感動なのは自分の行うことに喜びを見いだせないからに他なりません。
そして必要以上に謝罪してきた大人を見てきたからでもあります。
確かに必要な謝罪は人間としてしなければなりません。
これは倫理的に基本的なことだと言えるでしょう。
しかしその謝罪に増長してさらなる必要以上の謝罪を求める人たちにはしなくても良いのです。

クリスチャンなので日本の国が好きだというと誤解を招くのですが、おいらが好きなのは「日本人の精神」が好きなのです。
「制し、律し、己を問う」事を美しいことだと感じるのです。
今の教育の現状ではこのようなことは教えられなくなっています。
「欧米か?!!」と思わず突っ込みたくなるやりたい放題にされていては、いい人間にはなり得ません。
日本人の精神と謝罪は全く関係がないように感じるかもしれませんが、もし中国のようなその場の空気で発言するような国民性では心からの謝罪は得られず、欧米のようにプライドでがちがちの人たちには謝罪を求めるだけで怒り出すでしょう。
「心から謝れる国民性」というのは貴重なことなのです。
まあ日本人全員が謝ることが出来るかと言われると少数なのでしょうけどね。
それでも他の国の人たちと比べると良く謝る国民だと言われています。

普段の生活でも口癖で「すみません」とか「ごめんなさい」という言葉をよく使います。
生活をしているとそれが普通で自然に謝れることは素晴らしい文化だとおいらは思います。
こんな文化を否定するようなことがよく起こっている事が非常に残念でなりません。
少なくともおいらは自分に非があるのであれば謝りたいと思います。
色々としがらみがありますが、謝れないようになれば「人間おしまい」とまでは言いませんが、人間性に大きな欠陥を作ったことになってしまうでしょう。
それは年上でも年下でも関係ありません。
自分より歳がしたなら謝らなくても良いという考えは非常におかしいことだと思いますし、年上ならば当然です。
また学歴や理解力や言語能力も全く関係がないでしょう。

しかし必要以上に謝ることは間違いです。
アジアの問題はこの部分を履き違えている事だと思います。
人間は過ちを犯すのは仕方がありませんし、戦争という異常な状態では悪い状態というのは顕著に発展し、倍増し、その勢いというのは人間の考える以上に周りを見え無くさせます。
悪に染まるのは非常に簡単で、人によってはそれに依存するようにもなります。
そのような人間が指揮系統を占めているのですから、悪い方向に行かないのは不可能なのです。
人間は良いことをしようとする事には消極的で尻込みしますが、悪いことをするのは率先してしますし発展させることも簡単に考え思いつきます。
悪を行う異常な事態だからこそより悪いことを行うことに向かい、それを発展させるようになるのです。
異常な方法で殺し、異常な方法で傷つける事に特化していくのです。

傷や殺人というのはお金では解決することは出来ません。
感情問題で日本政府は緩慢な中でも動ける範囲で出来ることを行ってきました。
アジアの問題は日本が貧しいままであったならばこのように長期化していなかったでしょう。
しかし日本人は努力で今の経済力を身につけ、それがアジア諸国のねたみを買った事によって長期化しているに過ぎないように感じます。

もし戦争当時のままで何も発展してこなかったなら期待もしなかったでしょうし、何も求めることはなかったでしょう。
加えて謝罪をしてお金も払ったのですからある程度で「終わり」にしておけば良かったのです。
自分に出来ることをしたなら、それまでで良いと思うのです。
ずるずる引きずり中途半端な対応をしてきたことにより長期化しているに過ぎません。

ところで繰り返しになりますが、

なぜ人間というのはこのように悪い方向に行くようにしかならないのでしょうか?

悲しくて情けなくてたまりません。

「アダムとイブ」が神に逆らわなかったなら、悪い傾向は無くなっていたのだろうか?

という疑問が大きくなっていきます。
もしおいらがアダムの立場であれば悪魔のささやきに誘われなかったのだろうか?という疑問を感じますし、怖さを感じます。
もしおいらがアダムの立場だったなら断る自信がありません。
おいらは中途半端な人間ですし、自分の性格の根幹を成す部分というのは悪に向かっていることを感じますので余計にそう感じるのかも知れません。

よって少なくとも悪い場合には謝ることをしたいと思うんですな。
何がなんだか解りませんし、収拾がつかない記事になっていますが、中途半端な対応をしたくはありません。
優柔不断は悪いことだと思いますし、何も出来ないことをしめします。
最善を尽くすことにやぶさかではありませんが、おいら自身が出来ることをしたなら忘れてもらうしかありません。
人間一人に出来ることはほとんどありませんしね。
もしおいらが悪いことをしたなら、それを償えるような人間でもありませんし、賄えることはないでしょう。
無責任きわまりない人間ですが生きています。

何とか生きていることによってのみ責任を果たすことになるのでしょうかね~.......

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