扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Workaholic Always No.04 2009.03.10

2009-03-10 23:55:55 | Work & Study & Make
仕事の勉強をしてきました.....................................

いろいろと出来ていないことが沢山あって吃驚ですが、まあこれから適応していけばいいだけの話なので努力あるのみのようです。
問題山積な仕事ですが、Start Lineが一緒なのは嬉しい限りです。
おいらは結構なMy Paceぶりなのが意外でした。

元々おいらはかなりおとなしい動物です。
例えるならば地中に眠る幼虫のような感じでしょうか。
他には害にならないようにしているが脱皮して昆虫になっても幼虫のような行動の遅さから親にも怒られたぐらいです。
自己評価が低いのは子供の頃から変わっていないのだと痛感しますな。
自己評価が低いと何事にも自信というモノがそもそもありません。
よって「優柔不断」だとか良く思われていたはずです。
しかし断じて「優柔不断」なのではありません。
心では決まっているのですが、他の人の影響を受けすぎることによって変えるのが多いのに過ぎません。
だからいろいろと自分に苛ついているのは自分自身なんですよね。
端から見ると「この人は優柔不断だな~」と感じるならば、それは本人が一番敏感に認識しているという事実ですな。
優柔不断の原因は本人ではありません。
我を通して他の人を傷つけたり、怒られたりした経験をした事からかなり敏感に他の人の感情を汲み取ろうとするんですよ。

最近は自分が思うとおりのモノを手に入れたり、それを所有したり使ったりすることを認められるようになってきました。
自分の中での整合性が機能しつつあると言うことなのかも知れません。

ところで今日は1日勉強しっぱなしでした。
1時間半掛けて勉強の会場まで行き、午前10時から午後4時半まで勉強して、その後家に帰って復習する為にNotebookやMemoを並べて読んでいます。
いま風呂から上がってComputerの前に座っていますが、風呂に入る前は聖書研究をしていました。
頭に情報が沢山入って情報過多なのではないかと危惧したのですが、それほどでもないようです。
頭が少し痛いのですが、これはただ単に「寝不足なだけ」..........
半年程度前は聖書研究に時間を費やしすぎて同様な感じだった覚えがありますし、より深くより濃い内容を追求していたのでその頃のことを思うとお茶の子さいさいですよ。

どうもおいらは勉強がまだまだ大好きなようです。
人というのは死ぬまで勉強ですからね。

勉強というのは一朝一夕では意味がありません。
継続してこそ価値があります。
集中力に関して書きたいのですが、文が長くなりそうです。
睡眠不足なので直ぐにでも寝たいんですよね~...............

一人の人間が物事を行うのは知れています。
知れている中での一日なのですから、爪の垢程度だと考えても良いでしょう。
爪の垢でもおいらにしてみれば上出来ですがね。
おいらはSlow Starterですので大概の人には置いて行かれます。
ビリッけつから捲り立ててやっと平均程度に収まるような感じでしょうかね。
おいらが行う行動には意味があるのですが、勘違いされることが多くて困ります。
回り諄すぎるとか感じたり、そもそも何の為にしているのかが他の人には気が付かないことが少なくありません。

段階的に物事というのは行えることが増えていきます。
しかし新しいRepertoryが増えると珍しい時は意識して使うかもしれません。
ところが真価を問われるのは無意識で使う時です。
つまり意識して使うことには意義や意味はありますが、本当に必要になった時に使えるかどうかに掛かっていると言っても良いでしょう。
どうしても必要で「それを実行できるか否か」に掛かっている訳です。
まだ上手いこと行えないならば練習させて貰うという意識で物事に当たり実行する必要があるでしょう。
何事も練習の上に成り立ち、修練の上に成長があり、熟達の上に無があるのです。
ここで使う「無」という意味を書いておかねば解りづらいでしょうね。
モノを作る時に最終的に行き着くのは自分の価値観や感情が入り込む余地がないほどの材料の本質に気が付きます。
つまり材料を最高の状態で用いてモノを作り上げるには自分の感情や価値観は見窄らしくなっていくと言うことでしょう。
自分が色褪せ、嫌悪感さえ感じ、材料の一番美しい状態は神が作られた様で提示することに到るということです。
よって自分を無にする境地に到ることがSenseに繋がると考えてもいます。

SenseというのはIdentityの一つで様々な事で問われます。

いろいろなモノに対してのSenseを問われると感じるかも知れませんが、事象事象である程度の知識を保有するようになると対応する形や色などは自ずと見えてくるモノです。
それにSenseも無意識でやっと価値が生まれるとも感じています。
Naturally(自然体)の自分が一番なのだと理解できるようになってきました。
他の人の機嫌を伺っているだけでは駄目である程度の自己主張や自分が行った事への対価としての「分」の確保も容認できるようになってきました。

物事を適正に行っていきたいモノです。

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