扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

生活がガタガタ 2008.01.29

2008-01-29 23:59:41 | Work & Study & Make
習慣とは恐いモノですな............

夜の七時から学ぶ事だという認識がある集まりなのですがね。
今月に入ってから日中の集まりに移動することになっているんですよ。
でも日中に集まって学ぶとしても午前中なら対応できるのですが中途半端な午後二時という時間に手こずっています。
日中に集まるのは仕事をしていない人たちでおいらのように別にどうでも良い人間からすると本当に迷惑な話でしかありません。
おいらは聖書の研究に関しては別に家族と一緒に行動する気がありませんし、一緒に行動しなければならないという考えには賛同しかねます。
おいら的に都合の良い言い方をするとおいらはもう30歳ですしね。
一緒に住んでいても一緒に行動する必要はないと思う訳ですよ。

まあ聖書的には「家族は一致しているべき」だという教えがあるのはたしかですがね。
これは心で通じていればいい訳で他人が行動にまで干渉してくるのはどうかと思ってしまいます。
おいらは心の調子を崩してからはマイペースで参加していかなければ持たないところがありますしね。
昼に集まる方達は頭の固い方達が多くてどうも相容れないと感じてしまいます。
もっと柔軟に考えて「規則第一主義」的な考え方から脱却しなければならないでしょう。

聖書の教えというのは原則であって規則ではありません。
規則であれば漏れるような反則も原則であれば漏れるようなことはありません。
学べば学ぶほど原則によって動機を問うような生き方をしていくようになっていくからです。
たしかに個人研究の量は多いのかもしれませんがね。
.......たしかに聖書を調べて聖書によって生きていくことは素晴らしいことですけどね。
人は文字だけでは生活できません。
それに神の存在というのは創造物「=造れたモノ」から確信に至ることは非常に大きいんですよ。

おいら的に全く考えの相容れない方が数人いますので気が狂いそうになってしまいます。

言葉を受け付けないというか生理的に受け付けないんですよ。
まあ極端な書き方なのですが、多生は我慢していますが精神的負担が大きくて集まりに行く動機も弱くなっています。
んで集まりのことを考えると夜も眠れない状態でたまりません。

調整が必要ですな。
形式的な注解というのはおいらは嫌いなんですよ。
綺麗な言葉で感情のこもらない発言というのはただ単にシンバルを鳴らすような行為でしかありません。
深い注解、考え抜かれた注解、心情に訴える注解、動機に訴えるような注解を心が欲していても無意味な言葉しか発言できない方達にはおいらの気持ちなんかわかるはずもないでしょう。
研究した資料をひけらかしていかにも「自分は調べているんですよ。」的な注解というのはおいらからすると嫌悪する類のモノです。

そんなことよりも

あなたはこのことについてどう感じているんですか?

とか

あなたはこのことについてどう考えているんですか?

とか

このことからどのように行動したいんですか?

という質問に対する答えのような注解をして頂きたいモノです。

多少調子を崩していますので義に過ぎているようですな...........
調整しなければならないな~.......

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