まず先に断っておかなくてはならないことは、おいらは「馬鹿」で理解力に乏しいこと、日本文学に疎いことです。
日本文学を本格的に読もうと思うようになったのは最近であり、読破した本はまだ無いことも書いておきます。
「日本文学の革命」さんの最初の宣言書を読ませていただきました。
『日本文学の革命・宣言書』
この宣言書を読んで思ったことは確かにその通りだな~、と感じています。
しかし可能性については「半分」と表現されている所については「これからの日本文学には無限の可能性がある」とも思うのです。
日本文学の衰退の原因について
まず教育のあり方が今の衰退を作り出しているのは確かでしょう。
俗にゆう「ゆとり教育」は更に衰退に拍車をかけており、「教育」のあり方を見失っているのです。
そのような教育を受けた人は「日本の言葉の美しさ」を理解できず、外国の言葉に魅力を感じるように教育されてもいます。
おいらが感じることは自分の国の言葉も十分に使いこなせない人間が「他国の言葉」を習おうとすることは「僭越」なことだと感じるのです。
かくゆうおいらも日本文学の1割も読んだことがありません。(1%と書いても良いぐらいでしょう)
それに「日本の言葉の美しさ」を理解するのは調べないと解らないことも確かなのです。
よって日本文学の衰退は国が招いたと結論せざるをえません。
国は早急に「教育制度」を見直す必要があり、早急に改善しなくてはならないでしょう。
クリスチャンなので国に敵対するつもりは全くありません。
しかし日本文学を復興させるには「教育」の改善なくしてありえません。
これはおいらの個人的な希望です。
文学の賞について
「直木賞」などの文学についての権威ある賞は近年「デキレース」になっており、本当に実力のある方がそれらの賞を受けることができることはほとんどありません。
このような賞の制度に付いても見直される必要があるでしょう。
まず選考される方達の人選から変えていく必要があると感じます。
選考される方たちの多くは今の日本文学において大きな貢献をされていることは確かでしょうし、これからもそうあるでしょう。
選考される方の中には自分の考えに固執するあまり「批判」や「否定」までする人がいます。
人の書いたものを否定することは「個性や人格を否定」することと一緒なのです。
そうなるとお互い物書きですので「批判」や「否定」の応酬が始まり泥沼の様相を呈するのは目に見えて明らかです。
このようなことは現在の文学の中では多く見られており嘆かわしいことです。
よって選考する人を厳選することは非常に大切なことなのです。
日本の教育がここでまた影響してくるのですが日本の教育は「減点法」です。
よって悪い所から見ていくように教育されており、そのように評価されるのです。
これは根本から変えていかなくてはならず「加点法」によって人を評価する教育を願います。
おいらが願うのは
「良い点」を見て評価して欲しいと言うことです。
人は誉められると「自己の重要感」が満たされ「成長し伸びる」のです。
しかも誉められることによってその成長は「爆発的&劇的」なものになるでしょう。
おいらも人のことは言えないのですが、日々いい点を見るように心がけ、いい点を誉めるように心がけています。
赤の他人でも誉められるとうれしいのに、その道のスペシャリストで知れ渡っている人に誉められると歓喜に満ち、創作意欲も恐ろしいほど湧いてくるはずなのです。
すべての選考委員の方にそうあって欲しいと願います。
以上、おいらの感想でした。
PS:「日本文学の革命」さんへ
とても考えさせられた宣言書でした。
良い話題に感謝します。
しかしあなたの意図をすべて汲み取ることができてないのは確かです。
申し訳ありません。
日本文学を本格的に読もうと思うようになったのは最近であり、読破した本はまだ無いことも書いておきます。
「日本文学の革命」さんの最初の宣言書を読ませていただきました。
『日本文学の革命・宣言書』
この宣言書を読んで思ったことは確かにその通りだな~、と感じています。
しかし可能性については「半分」と表現されている所については「これからの日本文学には無限の可能性がある」とも思うのです。
日本文学の衰退の原因について
まず教育のあり方が今の衰退を作り出しているのは確かでしょう。
俗にゆう「ゆとり教育」は更に衰退に拍車をかけており、「教育」のあり方を見失っているのです。
そのような教育を受けた人は「日本の言葉の美しさ」を理解できず、外国の言葉に魅力を感じるように教育されてもいます。
おいらが感じることは自分の国の言葉も十分に使いこなせない人間が「他国の言葉」を習おうとすることは「僭越」なことだと感じるのです。
かくゆうおいらも日本文学の1割も読んだことがありません。(1%と書いても良いぐらいでしょう)
それに「日本の言葉の美しさ」を理解するのは調べないと解らないことも確かなのです。
よって日本文学の衰退は国が招いたと結論せざるをえません。
国は早急に「教育制度」を見直す必要があり、早急に改善しなくてはならないでしょう。
クリスチャンなので国に敵対するつもりは全くありません。
しかし日本文学を復興させるには「教育」の改善なくしてありえません。
これはおいらの個人的な希望です。
文学の賞について
「直木賞」などの文学についての権威ある賞は近年「デキレース」になっており、本当に実力のある方がそれらの賞を受けることができることはほとんどありません。
このような賞の制度に付いても見直される必要があるでしょう。
まず選考される方達の人選から変えていく必要があると感じます。
選考される方たちの多くは今の日本文学において大きな貢献をされていることは確かでしょうし、これからもそうあるでしょう。
選考される方の中には自分の考えに固執するあまり「批判」や「否定」までする人がいます。
人の書いたものを否定することは「個性や人格を否定」することと一緒なのです。
そうなるとお互い物書きですので「批判」や「否定」の応酬が始まり泥沼の様相を呈するのは目に見えて明らかです。
このようなことは現在の文学の中では多く見られており嘆かわしいことです。
よって選考する人を厳選することは非常に大切なことなのです。
日本の教育がここでまた影響してくるのですが日本の教育は「減点法」です。
よって悪い所から見ていくように教育されており、そのように評価されるのです。
これは根本から変えていかなくてはならず「加点法」によって人を評価する教育を願います。
おいらが願うのは
「良い点」を見て評価して欲しいと言うことです。
人は誉められると「自己の重要感」が満たされ「成長し伸びる」のです。
しかも誉められることによってその成長は「爆発的&劇的」なものになるでしょう。
おいらも人のことは言えないのですが、日々いい点を見るように心がけ、いい点を誉めるように心がけています。
赤の他人でも誉められるとうれしいのに、その道のスペシャリストで知れ渡っている人に誉められると歓喜に満ち、創作意欲も恐ろしいほど湧いてくるはずなのです。
すべての選考委員の方にそうあって欲しいと願います。
以上、おいらの感想でした。
PS:「日本文学の革命」さんへ
とても考えさせられた宣言書でした。
良い話題に感謝します。
しかしあなたの意図をすべて汲み取ることができてないのは確かです。
申し訳ありません。