扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Book Lover No.07 2010.09.09

2010-09-09 20:55:13 | Book & Manga & Illustration
この頃また読書をしています..............................

前回の06の時に傷物語と化物語を借りたという事を書きました。
今日は、その続編の「偽物語」を読み終えたところです。

そして先日、Full Metal Panicの本編が最終巻を迎えました。
おいらが今まで生きてきた中でNo.1に輝くLight Novelです。
かなり寂しいものですね。
Animationになる前から読んでいて続編なんかも期待しているのですが、United States of Americaの方で実写化されるという話があります。
Hollywoodなどで日本の原作が実写化される際には文化の違いを第一に考えねばなりません。
日本人というのは情緒豊かで微細な描写まで描ききる作風に対し、欧米は日本人の見解では大味で適当なんですよね。
確かにFull Metal Panicの世界観は全世界での戦闘を前提に描かれています。
よって予算を沢山用意出来るHollywoodなどでの撮影というのは向いていると言えば向いているのかもしれません。
しかし描き方は日本人の監督やStaffではなければ満足のゆく演出を出来ないでしょうね。

其れこそ「化物語」などの方が実写化しやすいはずなのですが、内容や描写としては成人指定になりそうなモノなのでされないでしょうね...........
ところで西尾維新さんの小説を読んで感じたのは語彙が沢山あっておもしろいという事でしょうか。

「この人は博学だな~」

と思うと共に

「無駄知識を良く知っているな~」

とも思いました。
とにかくネタの内容一つ一つが濃いんですよね。
知っているモノもありましたが、これって凄くDeepなネタだな~と感心しました。
よって知らないネタでもDeepなモノなのだという安心感がありました。
怪異に関してもかなりの資料を調べられているのでしょう。
描写もしっかりしていてブレる事がありませんでした。
設定なんかも作り込んでいるのでしょう。

というか個々の人間のIdentityやPersonalというのは人格形成以前の所から描かれなければ説得力がありません。
宮崎駿さんのAnimationが支持される要因として此の辺りの作り込みに起因しているような気がします。
確かに必要な情報というのは人格形成が終わってからの方が重要でそれ以前というのはTraumaやTurning Pointとなった出来事などが描かれれば十分な場合が少なくありません。

日本の原作というのは往々にして日本でしか説得力がない事が少なくありません。
これは日本の文化の特殊性があるでしょう。
日本文化というのは世界から見ても非常に独特である事は日本人でも理解出来るほどです。
それに対して欧米の文化というのは「対日本」と考えると小さいような気がします。
近年日本に欧米の文化の影響が強く出てきていると謂われはしますがね。

資本主義というよりも「拝金主義」という方が適切になってきている人間が増えてきていると個人的に感じています。
確かな事として仕事ではなく

「作り手として良い物を使ってもらいたい」
「専門家として良い物を使ってもらいたい」

というおいらの認めるProfessionalのような人が必ず居るという事も理解しています。
おいらはこのような人間の所でしか買い物はしたくはないと思うのですがね。
「Professional=専門家」というの図式が成り立ちますがね。
然う言えば先日Johann Wolfgang von Goetheの名言集を少し読みました。
その中の一つに、

「一番良いモノは世間では認められにくく、
 二番目程度のモノが世の中で幅をきかせている」

というような名言がありました。
これは非常に通りに適った言葉だと思われます。
この見解を適応すると日本の文化で作られねばならないモノをHollywoodで作られる現象というのは非常に的を射ていると言えるでしょう。

そしてがっかりするんですよね。
Godzillaにしても今までの日本の「着ぐるみGodzilla」とは全く違う内容でした。
Dragon Ballにしても見る気さえ失せるようなPVでした。
このような現象の事を2ちゃんねるなどでは

「原作レイプ」

という表現で言われています。
全く以てその通りだと思いますけどね。
小説をAnimation化するに当たっても何処を省略するかで印象は全く異なります。
それだけでも随分違うのですから、実写化になると更に制限が多く、大きくなります。
確かにその辺りを鑑みて評価しなければならないのでしょうけどね。
原作を読んでいる人間にとってはいかに原作に忠実に描写されるのかが重要視される事が少なくありません。
全く別物だと認識していれば良いだけの話なのかもしれないな~.............

最近のおいらの心境の変化は結構大きいんですよね。
慣用に見られるようになっているという事を自分自身で実感出来るのですから他人から見ても違うかもしれません。

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