扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

文具の魅力 その51 2008.04.12

2008-04-12 23:59:54 | Stationery & Supply
どこにいても文具のことを考えていますな........................

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2008.04.10から少し時間がずれてしまっていたので記事の時間を調整しました。
記事の内容は当日に書いたモノなのであしからず。
Computerから離れて生活するのもたまには良いな~と思いましたな。
ほとんど丸々二日間に渡ってComputerからは離れていましたが相変わらず文具のことは考えていました。
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道具というのは単独では絶対的に生命力を感じることが出来ません。
道具というのは人が使って始めて道具たり得る訳ですからこれは間違いないでしょう。
道具に命を吹き込むのは人間で、道具と人間が触れあっている時にしか其処には活動力が流れないのです。
この「触れあう」という繋がりは視覚的にも認識的にも適応されます。
ただ単に使っているという行為が「手で操っている」というだけに限定されるのはおかしな事でしょう。
人は様々な方法で認識しますし、感じますし、触れあえるんです。
例えば音楽を聴く行動ですが、物理的な繋がりは全くありませんが聴くという行動を行なって触れあっている訳です。
まあ空気を伝達して伝わっている音を認識する訳ですから、空気を含めた繋がりがあるといわれると全くその通りです。
またComputerを使用する際には一見するとKeyboardを使わず、Mouseも使わない時間があるかも知れません。
しかし作業をComputerにさせる事が触れあっているとも言えるでしょう。

これはある一部のクリスチャンなら良く解るはずです。
英語の「Force」というのは流れが存在してそれを得る為にはそこから得ようとする努力が必要です。
Forceというのは力という意味ですが、川に置き換えられることが多くてそこから力を得る為には水車なりダムなどを設けてエネルギーを得ようとする必要がある訳です。
まあダムは労力と比較すると非常に無駄遣いだという意見もありますがね。
話を戻します。
力というのは一方向に流れていくことが多いですよね。
台風などを見ていると渦を巻いていますが、それでもエネルギーは流れが絶対的に存在しています。
そして台風のエネルギーの多くは人が使用するならば天文学的な家庭の電力を賄うことが出来るともされることが多いでしょう。
しかしこれらを生かす技術が存在していません。
また雷の電力というのも凄いことはよく知られています。
もしこの電力を丸々蓄電できるのであれば上記の事と同じような電力が発生するとも言われています。
これまた台風のエネルギーと同じで生かすことが出来る技術というのは確立されていません。
大自然のエネルギーというのは人の生命活動からするととんでもないエネルギーが毎日のように大発生しているのに人は科学技術を持ってしてもこれらを制御することが難しいのが現状です。
そして自分たちが制御できるものからでしかエネルギーを得ようとしないんですな。
風力発電、火力発電、水力発電、原子力発電のような発電方法です。
でもこれらでさえ制御できていないというのが現状でしょう。
完全には制御できていないのは明白です。
風力発電というのはプロペラを回して得るエネルギーですが、羽が風から得る動力というのは全ての風から比較するとごくごく少ないでしょう。
火力発電は何かしらを燃やして得る必要があります。
これは勿体ないですよね。
資源を有効活用する為には火力発電をしながら他にも熱エネルギーを使用する方法があるとも考えられます。
工夫はされていますが、長期的に有効活用できるかというとそうでもありません。
ダムは貯水量を維持する為には出すことと貯めることをしなければなりませんが、時に降水量が多すぎて放流する量が多くて発電には使えないことも起こり得ますし、少なくなりすぎて枯れかかってしまうこともあります。
そして原子力というのは人間が制御しているとされていますが、制御できているのであれば事故なんてそもそも起こるはずもないんです。
ということで人は無駄にエネルギーを使用していると結論できるでしょう。
しかし人は様々なモノを制御して物事を行なってきました。

これは良く研究される素材ほど制御し使用できてきたんですな。
そもそも人間はもっと有効にエネルギーを使用できるように神様から創られているんですよ。
でも知る時間がなかったんですな。
人の一生というのは80年程度です。
世界の平均はもっと低いんでしょうけどね。
日本ではこれぐらいでしょう。
人が一生で扱える道具というのは一人の人間自身からすると凄い数の人もいれば少ない人もいます。
一人の人が沢山の道具を所有し熟練し練達したとしても、沢山の人間が一つの道具を一人一人使い込みその作業に一生を捧げる人の技量と比較すると全く違うでしょう。
明らかに一つの道具を使い込みその道具の善し悪しも出来ることも知った人の方が上手に扱えるでしょう。
まあ現実的に一人の人間が一つの道具で食っていけるかというと100%無理なんですけどね。

例えとして野球のProfessionalであるイチローさんの事を書きましょうかね。
おいらはイチローさんが好きで年末年始の「Professional~仕事の流儀~」のイチローSpecialを再放送も見ました。
野球というのは他の仕事と比べても道具は少ないのですがそれでも幾つか必要になってきます。
野球をするに当たっては
・グローブ
・バット
・ユニフォーム
・スパイク
・下着や靴下など
ですな。
しかし仕事というのはこれらを使用する際に最も高いパフォーマンスをする必要がありますので、どちらかというと「野球以外のこと」に野球を実質的に行なう以上のお金をかけている訳です。
そして身体に馴染ませていくのにはいつでも触れるようにしておく必要も求められますのでどれだけ手で持つことが大切なのかが解るような職人ぶりを見ることが出来ました。
この種の人間というのはいつでもImaginationを働かせていますし、どうすれば改善できるかを常に求めています。
よって「Imageの中で完結できる」という人がいるかも知れません。
でもこれには無理があるでしょう。
理想的なフォームや理想的なタイミングというのは実際に身体で感じて身体を動かすことでしか行えないからです。
上記のことを多くの場合に「机上の空論」と言われていますが、上手いこといったものだと感心しますな。

イチローさんの感覚的には「バットの先まで神経が通っているようだ」と言われていることも印象に残っていました。
この種の感覚というのはおいらは様々なモノで知っていましたので取り立てて書くようなことでもないんですけどね。
茂木さんが脳の感覚的にもこれは神経が通っているような感覚になるということは解明されているとも言われていました。

この「神経が通っている」という所と今回記事を書こうと考えた「触れあう」ということはおいらの感覚では熟練の差は在りこそすれ同じだと感じている訳です。
確かに神経が通ってい琉ような感覚を覚えるほど細かな変化も見逃さない人の作業というのは凄いことだと思いますし、おいらもそのようになりたいとも思います。
でも人はだれしも何かしらの感覚を有していて反応を起こすことは「触れ合っている」といえるでしょう

もう風呂に入って寝なければならないので、今日はこれぐらいにしておきます。
次の「文具の魅力」の内容は「道具に命を吹き込む」というようなものにしたいですな。
今日は書ききろうと考えていたのですが、疲れていることと無駄なくだり(発電云々)を書いてしまったので出来ませんでした。
あしかららず.....................

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