気に入った道具は買い溜めする方してしまいます.........................
同じモノをストックできると安心するんですよね。
これには理由があります。
学生時代に使用していた製図用Mechanical Pencilが廃盤になっていて手に入れることができないんです。
製図用のMechanical PencilというのはPen先のSleeveが長くなっています。
その部分が折れてしまい使えなくなったんです。
しかも1本だけではなく2本も駄目にしてしまいました。
あの完成度の高い製図用のMechanical Pencilを探しているのですが、個人の所有しているモノしか無いでしょうね。
今、現行で販売されている製図用のMechanical Pencilは大きくて、何だか間延びしているような気がするんですよね。
どちらかと言うと「小さめなのに中身は詰まっています」的なあの手に持った感覚が忘れられないんです。
学生時代は1,500~2,000円ぐらいだったと記憶しているのですが、今の金銭感覚では「×100」ぐらいの感覚でした。
つまり
150,000~200,000円ぐらい
の感覚で本当に高い買い物だったんです。
しかしあの満足感はCost Performance以上でした。
幾つも資格を取れたのはあのMechanical Pencilの功績があったんです。
所有している喜び、使っている喜びを感じながら使っていました。
あれ以上の製図用Mechanical Pencilは無い
と製図用は避けるようになっていました。
万年筆は現在、LAMY AlsterをMainに使用するようになりました。
そして今のMyboomはMechanical Pencilに戻ってきました。
これは今使用しているNotebookに理由があります。
今使用しているNotebookは
PAPIER IMPERIAL
Etranger di Costarica
MAISON FODEE EN 1985
Blanc deNoirs
www.etrangerdicostarica.com
fabrique en japon
と表紙に書かれていて紙が黒いんですよね。
このNotebookは白のPenを使うのが前提と解っているのですが、
”敢えて”黒に黒の文字を書くのも面白いではないか
と考えてMechanical Pencilに戻ってきたんです。
今使用しているMechanical Pencilは
・PILOT S3 0.9mm x4
・LAMY Scribble 3.15mm & 0.7mm
・Pentel GRAPHLET 0.9mm
と言った感じです。
Scribble以外は廉価なモノばかりですが、使用感と価格はある程度までは関係ありません。
因みに金属Bodyのモノは実店舗では1,000円以上は掛かってきます。
製図用となると1,000円以上にはなってきますね。
製図用と言えばRotringやSTAEDTLERが有名ですが、わたしが愛したMechanical PencilのSilhouetteとは似ても似つかないんですよね。
わたしが使用していたのは日本人が作ったモノではないでしょうかね~。
日本人向きになのでしょう、小さくて重心が低く、書き心地というか筆記感がとても良かったんです。
胴長ではなくペン先に向けて細くなっていき、持つ部分が最も太く、そこから細くなっていました。
Mechanical Pencil(シャーペン)の肝心な部分は芯を入れる所にもあります。
取りやすくなるように、ただデカくすれば良いというものではありません。
程よく外す時に重量感というかトルクが有りながらも、抜けにくすぎるのも、ポンッと飛んでいってしまいます。
調和よく組み合わされた、大きさというのがいいんですよ。
あのシャーペンは最高でした。
わたしが高校生の頃の話ですから20年程度も前になります。
RotringやSTAEDTLER、UCHIDA、Pentel、三菱鉛筆、ゼブラなどなど現行品を見ても無いですね。
uni SHIFTの持ち手から上が細くなっていれば近い感じなのですが、構造が変わる仕様の時点でどうなのかと考えてしまいます。
3,000円ぐらいでも良いので復刻してくれないかな~と願ってしまいます。
それほど好きなMechanical Pencilで、文具が好きなのを確認できたモノだったのです。
わたしの文具好きは保育園に行く前から始まっていたのでしょう。
小学生の頃にはNotebookを集めるのがBoomで紙袋がパンパンになるぐらい集めていました。
子供向けのNotebookもありましたが、大人が使う格好良い紙面のモノも好きで買っていました。
興味深いもので現在もあの頃の感覚は抜けていません。
以前に
まっさらなNoteにも価値があり、記入後のNoteにも価値がある
という内容の記事を書きました。
綺麗な紙面を見ているだけで嬉しかったんです。
書くのが目的ではなく集まったNoteを見ているのが目的という文具の変態でしたね。(笑)
今はかく(書く、描く)のが楽しくなりましたが、学校に行っている頃はNoteが貴重だったんです。
つまり書くということは消費してしまいますよね。
ということは「無駄にできない」ということです。
そして無駄にするような事をするということは「悪いこと」という論理になります。
Noteを使うことが罪悪感を生んでいたんですね。
100円のNoteが今の金銭感覚では10,000円です。
それほど金銭的に貴重なものだったんですよ。
ただそれで勉強が捗らなかったのも事実なのかもしれません。
気兼ねなく沢山の文字を書けるのであれば、人間は学習効率が確実に高まります。
文字を書くという作業は記憶の助けになり、多くの情報を繋ぎ留めておける大きなツールなのです。
子育てされている方に、ぜひともお薦めしたいのは
子供に気兼ねなくかく(書く、描く)ということに罪悪感を感じさせない
ように育ててあげてほしい、ということです。
むしろ書くことを楽しみとし、喜びとし、歓びとし、「嬉しい」と感じさせるべきです。
そしてそれを刷り込む為には親が書くことを楽しいと感じていることを模範として見せる必要があります。
親は最も身近な、そして一番最初の教育者です。
まず、怪我をしにくいパステルやクレヨンなどで書いてみせるといいでしょう。
これらで書くことを覚えると先が尖っているモノを使わせることも出来るようになります。
先が尖っているということを肌で感じさせる為に「痛い」ということを軽く肌に刺して見せると良いかもしれません。
これが「虐待」だと言われるとなんとも言えないのですが、一生涯へ教育なんですよ。
もし「痛い」とか「怪我をする可能性がある」ということを教えないとどうなるでしょうか。
先が尖っているモノを振り回して目を怪我をするかもしれません。
医療技術というのは確かに向上していますし、治るかもしれません。
しかし経験しなくても良い怪我をすることほど愚かなことはないでしょう。
「痛い」ということ、怪我をする可能性があるということを教えることは大事なんです。
そして、ここからが更に重要ですよね。
道具というのは、どのようなモノでも
”正しく扱えば有用”
なのです。
「正しく扱う」事ができて初めて、それ以上の使い方が出来るようになります。
確かに子供の教育を大人が決めた「正しく扱う」という枠で縛ってしまうのは勿体無いとも言えますが、最低限のことは教えなければならないのも事実でしょう。
遊びでさえRuleの上に成り立っています。
ましてや趣味、しいては仕事に至っては「一般常識」が外せなく成って来ます。
この一般常識のおかしい点は
「その道のProが正しい方法としている事がが正しいとは限らない」
ということでしょう。
言葉遣いなどでも一般常識と”正しい日本語”では違うことも少なくありません。
謙譲語や尊敬語、丁寧語、美化語など正しい国語を知っていても対人関係上で、わざと間違った言葉を使わなければならない場合が多いのです。
ただ、正しい方法を”知っている”のと”知らずに”間違った言葉を使うのとでは違ってきます。
Baseはやはり正しく使う方法を知っている必要性ですね。
言葉も”道具”です。
言葉によって人格が形成され、言葉によって成長していきます。
人間は森羅万象を最終的に言葉で処理しています。
「言葉に出来ない」事象も「感動」とか「壮大」、「理解できない」などの言葉で頭のなかで処理しているはずなんですよ。
絵や写真などの光景を捉える道具などもDigitalでは0と1で処理される時代です。
世の中は専門の論理で構成され、それを応用することで成り立っています。
それを理解できないと弾き出されて、益を得られないことが少なくないんですね。
極端な事柄になりましたが、かく道具も同様です。
正しい用い方をするならば、そこからの可能性は大きくなります。
それを教えこむことは最重要課題だといえるでしょう。
そして言葉を学ぶ重要性も後々わかってくるでしょう。
何だか変な記事になってしまいましたが、久しぶりに書くと風呂敷を広げすぎるものですね~。
幾つかに分けたら良かったな~………………
同じモノをストックできると安心するんですよね。
これには理由があります。
学生時代に使用していた製図用Mechanical Pencilが廃盤になっていて手に入れることができないんです。
製図用のMechanical PencilというのはPen先のSleeveが長くなっています。
その部分が折れてしまい使えなくなったんです。
しかも1本だけではなく2本も駄目にしてしまいました。
あの完成度の高い製図用のMechanical Pencilを探しているのですが、個人の所有しているモノしか無いでしょうね。
今、現行で販売されている製図用のMechanical Pencilは大きくて、何だか間延びしているような気がするんですよね。
どちらかと言うと「小さめなのに中身は詰まっています」的なあの手に持った感覚が忘れられないんです。
学生時代は1,500~2,000円ぐらいだったと記憶しているのですが、今の金銭感覚では「×100」ぐらいの感覚でした。
つまり
150,000~200,000円ぐらい
の感覚で本当に高い買い物だったんです。
しかしあの満足感はCost Performance以上でした。
幾つも資格を取れたのはあのMechanical Pencilの功績があったんです。
所有している喜び、使っている喜びを感じながら使っていました。
あれ以上の製図用Mechanical Pencilは無い
と製図用は避けるようになっていました。
万年筆は現在、LAMY AlsterをMainに使用するようになりました。
そして今のMyboomはMechanical Pencilに戻ってきました。
これは今使用しているNotebookに理由があります。
今使用しているNotebookは
PAPIER IMPERIAL
Etranger di Costarica
MAISON FODEE EN 1985
Blanc deNoirs
www.etrangerdicostarica.com
fabrique en japon
と表紙に書かれていて紙が黒いんですよね。
このNotebookは白のPenを使うのが前提と解っているのですが、
”敢えて”黒に黒の文字を書くのも面白いではないか
と考えてMechanical Pencilに戻ってきたんです。
今使用しているMechanical Pencilは
・PILOT S3 0.9mm x4
・LAMY Scribble 3.15mm & 0.7mm
・Pentel GRAPHLET 0.9mm
と言った感じです。
Scribble以外は廉価なモノばかりですが、使用感と価格はある程度までは関係ありません。
因みに金属Bodyのモノは実店舗では1,000円以上は掛かってきます。
製図用となると1,000円以上にはなってきますね。
製図用と言えばRotringやSTAEDTLERが有名ですが、わたしが愛したMechanical PencilのSilhouetteとは似ても似つかないんですよね。
わたしが使用していたのは日本人が作ったモノではないでしょうかね~。
日本人向きになのでしょう、小さくて重心が低く、書き心地というか筆記感がとても良かったんです。
胴長ではなくペン先に向けて細くなっていき、持つ部分が最も太く、そこから細くなっていました。
Mechanical Pencil(シャーペン)の肝心な部分は芯を入れる所にもあります。
取りやすくなるように、ただデカくすれば良いというものではありません。
程よく外す時に重量感というかトルクが有りながらも、抜けにくすぎるのも、ポンッと飛んでいってしまいます。
調和よく組み合わされた、大きさというのがいいんですよ。
あのシャーペンは最高でした。
わたしが高校生の頃の話ですから20年程度も前になります。
RotringやSTAEDTLER、UCHIDA、Pentel、三菱鉛筆、ゼブラなどなど現行品を見ても無いですね。
uni SHIFTの持ち手から上が細くなっていれば近い感じなのですが、構造が変わる仕様の時点でどうなのかと考えてしまいます。
3,000円ぐらいでも良いので復刻してくれないかな~と願ってしまいます。
それほど好きなMechanical Pencilで、文具が好きなのを確認できたモノだったのです。
わたしの文具好きは保育園に行く前から始まっていたのでしょう。
小学生の頃にはNotebookを集めるのがBoomで紙袋がパンパンになるぐらい集めていました。
子供向けのNotebookもありましたが、大人が使う格好良い紙面のモノも好きで買っていました。
興味深いもので現在もあの頃の感覚は抜けていません。
以前に
まっさらなNoteにも価値があり、記入後のNoteにも価値がある
という内容の記事を書きました。
綺麗な紙面を見ているだけで嬉しかったんです。
書くのが目的ではなく集まったNoteを見ているのが目的という文具の変態でしたね。(笑)
今はかく(書く、描く)のが楽しくなりましたが、学校に行っている頃はNoteが貴重だったんです。
つまり書くということは消費してしまいますよね。
ということは「無駄にできない」ということです。
そして無駄にするような事をするということは「悪いこと」という論理になります。
Noteを使うことが罪悪感を生んでいたんですね。
100円のNoteが今の金銭感覚では10,000円です。
それほど金銭的に貴重なものだったんですよ。
ただそれで勉強が捗らなかったのも事実なのかもしれません。
気兼ねなく沢山の文字を書けるのであれば、人間は学習効率が確実に高まります。
文字を書くという作業は記憶の助けになり、多くの情報を繋ぎ留めておける大きなツールなのです。
子育てされている方に、ぜひともお薦めしたいのは
子供に気兼ねなくかく(書く、描く)ということに罪悪感を感じさせない
ように育ててあげてほしい、ということです。
むしろ書くことを楽しみとし、喜びとし、歓びとし、「嬉しい」と感じさせるべきです。
そしてそれを刷り込む為には親が書くことを楽しいと感じていることを模範として見せる必要があります。
親は最も身近な、そして一番最初の教育者です。
まず、怪我をしにくいパステルやクレヨンなどで書いてみせるといいでしょう。
これらで書くことを覚えると先が尖っているモノを使わせることも出来るようになります。
先が尖っているということを肌で感じさせる為に「痛い」ということを軽く肌に刺して見せると良いかもしれません。
これが「虐待」だと言われるとなんとも言えないのですが、一生涯へ教育なんですよ。
もし「痛い」とか「怪我をする可能性がある」ということを教えないとどうなるでしょうか。
先が尖っているモノを振り回して目を怪我をするかもしれません。
医療技術というのは確かに向上していますし、治るかもしれません。
しかし経験しなくても良い怪我をすることほど愚かなことはないでしょう。
「痛い」ということ、怪我をする可能性があるということを教えることは大事なんです。
そして、ここからが更に重要ですよね。
道具というのは、どのようなモノでも
”正しく扱えば有用”
なのです。
「正しく扱う」事ができて初めて、それ以上の使い方が出来るようになります。
確かに子供の教育を大人が決めた「正しく扱う」という枠で縛ってしまうのは勿体無いとも言えますが、最低限のことは教えなければならないのも事実でしょう。
遊びでさえRuleの上に成り立っています。
ましてや趣味、しいては仕事に至っては「一般常識」が外せなく成って来ます。
この一般常識のおかしい点は
「その道のProが正しい方法としている事がが正しいとは限らない」
ということでしょう。
言葉遣いなどでも一般常識と”正しい日本語”では違うことも少なくありません。
謙譲語や尊敬語、丁寧語、美化語など正しい国語を知っていても対人関係上で、わざと間違った言葉を使わなければならない場合が多いのです。
ただ、正しい方法を”知っている”のと”知らずに”間違った言葉を使うのとでは違ってきます。
Baseはやはり正しく使う方法を知っている必要性ですね。
言葉も”道具”です。
言葉によって人格が形成され、言葉によって成長していきます。
人間は森羅万象を最終的に言葉で処理しています。
「言葉に出来ない」事象も「感動」とか「壮大」、「理解できない」などの言葉で頭のなかで処理しているはずなんですよ。
絵や写真などの光景を捉える道具などもDigitalでは0と1で処理される時代です。
世の中は専門の論理で構成され、それを応用することで成り立っています。
それを理解できないと弾き出されて、益を得られないことが少なくないんですね。
極端な事柄になりましたが、かく道具も同様です。
正しい用い方をするならば、そこからの可能性は大きくなります。
それを教えこむことは最重要課題だといえるでしょう。
そして言葉を学ぶ重要性も後々わかってくるでしょう。
何だか変な記事になってしまいましたが、久しぶりに書くと風呂敷を広げすぎるものですね~。
幾つかに分けたら良かったな~………………
確か、その中に定価1500円のボディが金属の製図用シャープペンシルが何本か並んでいたように思います。
お捜しのシャープペンシルか解りませんが、コメントさせて頂きました。
では、失礼します。