扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

勘違いの応酬 2007.06.14

2007-06-14 23:06:07 | Illust
え~っと、おいらは芸術家肌だと考えられがちです............

しかしそうではありません。
そうありたいとは願っていますが、芸術家肌だと評価されるほどの写真も撮れませんし、Illustも描けません。
芸術家肌の人は無駄なカットや無駄なIllustrationを必要以上に沢山量産しないでしょう。
おいらは非常に多くの出来損ないを描いたり撮ったりしてきました。
常人よりも多いはずです。

それでも納得できるモノは有りません。
というか納得してしまうとそれ以上成長しないことには大きな恐怖を感じます。

よって描き続け、撮り続けなければならないと考えています。

普通の人より劣っているからなおのことそうし続けなければならないという衝動に駆られます。
しかしもっと他の人の作品にも撮影する側からではなく作品そのものを一視聴者として見なければならないと感じます。
ここ最近は撮り手の手法を分析することしか考えず、カメラとレンズ、ストロボ、三脚の有無などでしか見れていませんでした。

確かにこれらを考慮した上でその手法の素晴らしい作品というのは有りますが、余りに分析に費やしすぎると純粋に楽しめることが無くなっていきますよね。

でも時折作られる作品の傾向として自分の技術を見せつけることが目的のようなものがあります。
あんな作品を見るとなんだかみすぼらしいとか感じるんですよね。
以前に何度も書いてきましたが、作品というのは

「如何に素材の良さを提示できるか」

につきるとも思うわけです。
そこに自分の自己顕示欲を載せてしまうと目的を見失ってしまうことが多いんですな。
つまりPortraitであればその人の内奥の感情を切り取ることに専念することをメインに持ってくる必要があるとも思いますね。
風景であれば、自分の琴線に触れる風景をそのまま撮した方が見る側からは純粋に伝わると解ってきました。
どこにでもある風景だけど普段ちゃんと見る余裕のない風景が指示されるとも思います。
花なんかは構図がポイントになってきますが、それでも決まってきます。

とにかくおいらはセンスが全くありません。
よって「芸術家肌」という勘違いには困ることがあります。
これまでにプレゼントをたまに頂くことがあったのですが、スケッチブックであったり色鉛筆であったりするのですが良いモノを掛けないので困っているんですよ。
お礼にスケッチブックの中の一枚とか色鉛筆を駆使したイラストなんかを渡したいと考えて描くのですが、良いモノを描くことが出来ないことから劣等感が生まれ、情けなくなってくるんですな......
最近はだいぶん軽減できてきましたが、描かなければならないという重圧に苦しむことが結構ありました。

でも未だに渡せていないんですよね。

何か描いて渡せたら良いのですが、何を描くかを考え始めるとどんどん泥沼にはまっていって結局何を書いたらいいのか解らない状態になってしまいます。

自分に声を大にして言いたい......

結局、何がしたいんだよ~

と........
また他の人全てに解って貰いたい


おいらは芸術家肌ではない

ということをね。

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