もう六冊目なのに、感情移入できず、哀しみさえ覚えている。主に通勤の電車で読み進んでいるのだが、10分もすると眠くなり、居眠りすることも屡々。もしかしたら、加齢によって、新たなものに集中したり体得したりできなくなったのではないかと不安さえ催すのだ。
とはいえ、概要がわかってきたのは収穫だといっていいだろう。今後はもう未知の領域ではないのだから、三国志に関するものへの接する感じがだいぶ変わるだろう。
本当はこういう出会いを、十代のうちに済ませておけば、その後の収穫に味わいも生まれただろうし、さらに他のものにも手を伸ばしていたかもしれない。しかし手遅れではないと信じたい。これからも食わず嫌いを排除して、様々な文芸作品を開拓していこうと思う。
という感慨に至った第六巻の通読であった。中国という国の風土や雰囲気を学ぶにも、多少は役に立つかもしれない。21世紀は、中国、米国、インドあたりの“三国志”が繰り広げられるのだろうから。
