古書店に行ったとき、子供が「読みたい」と言うので買った。私も懐かしくて、たまに読むシリーズなので異存はなかった。
子供はけっこうな集中力を発揮、二日で読んでしまった。思えば私が活字に親しむきっかけとなったのは、このポプラ社のシリーズであり、感慨深いものがある。小学校でこれらに親しんだ結果、活字に対する抵抗がなくなり、小学校高学年くらいにはジュール・ヴェルヌ等を、中学では夏目漱石等を読んだ。私が文学青年になる素地を作ったのが、江戸川乱歩の少年探偵シリーズといっても過言ではない。
当時は、表紙や挿絵のおどろおどろしさに惹かれていた。そのイラストに想像力を喚起され、活字から映像を妄想していく。私は学校が苦手で、よく朝に体調を崩し、休んでいた。そういうときに読む江戸川乱歩は、子供心に世捨て人じみた心境にリンクし、甘美で、切ないものがあって、いまでも私は風邪をひいたりすると、無性に読みたくなるのである。
逆に言えば、心身の健全なときには、あまり適さないのはこれまでにも感じてきた。その荒唐無稽さ、使い古したトリック、ホントに乱歩が書いたのか? という疑念・・・これらが醒めた気分にさせる。本書も、冷静に読むと、乱歩らしからぬ、いい加減な描写で、実は犯人は怪人20面相だったという無理な結末にも呆れさせられ、ちょっとがっかりした。小学校以来で読んだ懐かしさを味わうまでもなく。
しかし、小学6年の子供には面白かったのだから、感じ方、琴線の在処は、年齢によって180度変わるのであろう。気持ちが病んでいたら、また違う印象になるのは、私自身、これまで実感してきたことでもある。
