靖国神社の銅像からは、勇ましく美しい若大丈夫というイメージしかなかったが、作中の大村益次郎は、まったく異なる姿で描かれている。
もともと武士ではない。それが医師として蘭学者としての能力を買われて士分という扱いになる。どんどん栄達して、司令官になってしまう。それでも相応に馬に乗れるようになろうともせず、おかしな服装で歩いている。
そういう描写を読み、物語の主人公というのは、義経型と、その正反対の型とがあり得るんだなと感じ入った。後者は、癖が強く、個性的で、孤独、堅物、偏屈なやつが多い。例えば新田次郎『孤高の人』も、その手の魅力ある人だった。
生き方のみならず、恋愛も不器用である。作者の想像、創作もあろうが、しかしこのような異才が必要とされ、実際に活躍し、そしていなくなったのは、まるで小説のようではないか。
司馬遼太郎作品はブックオフではズラリと在庫が並んでいるが、『花神』は意外に見つかりにくい。¥100棚には、ほぼ置いていない。皆、手元に置いておきたい作品なのかもしれない。
というわけで、まだ下巻が入手できてない。
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