戦国時代と明治維新は、大河ドラマや映画の題材となったり、多くの小説となってエピソードに触れる機会が多い。
しかし、何故か私の中で大村益次郎は盲点で、靖国神社の銅像を見て初めて英雄と崇められるほどの大人物と知ったくらいだった。若くして亡くなり、明治時代に活躍することがなかったからだろうか。
その盲点を埋めるべく本書を手にした、わけではない。競技に本腰を入れるに従い、メンタルコントロールの重要性を知り、師匠・鏑木毅氏のリラックス法に倣ってのことだ。特に氏は遠征時、司馬遼太郎の小説を愛読し、その中でも繰り返し読んできたものとして本作を挙げていた。外国で不安に陥りそうなときに読むと、ホッとして寝落ちできるのだという。
時代劇など、勧善懲悪の物語も、精神安定剤みたいな効果があるような気がする。ナラティブの過程にはハラハラしても、その終着点は大団円であり、正義が勝つという安心感が待っている。歴史ものであれば、たとえ結末が悲劇でも、とりあえず知識としては知っている。ナラティブとしてそれを色付け、なぞることで、感銘を受けながら、伏線を回収していき、気持ちが安定していく感覚がある。
鏑木氏が海外で、幕末のものを愛読したのは、また違った側面もあるだろう。列強に飲み込まれそうになりながら、果敢に改革に挑み、常識を覆し、自らは大成できぬまま散った英雄たち。それは儚くも心強く、不安な異邦人を勇み立てるだろう。
とはいえ、精神安定剤としては、面白すぎて、私は電車を乗り過ごしそうになった。繰り返し読むと、安定剤効果が増す、という。初見では熱中しすぎてしまうわけだ。
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