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ゆっくり行こう

日々のこと徒然なるままに

友達とマラソンに出たら疎遠になった話

2023-09-14 13:25:00 | 日記
小学校からの友達でした。

時々近況報告している時、お互いランニングしていることにびっくりしあいます。

友達はすでに大会にも出ていて

「一緒に出ようよ」

と誘ってくれ、それから地元の大会に出るようになりました。

遅かった私、今も遅いですがそれでも少しずつ練習をしタイムは縮んでいきました。

3回目に一緒に走った時のこと。

無事ゴールして、友達に電話をかけ合流。

しばらくして

「タイムはー?」

と私の完走証を見た友達の表情がみるみる険しくなっていくのを

見逃しませんでした。

私の方が少しだけ速くゴールしていたのです💦

「どこで?いつ追い越したの?」

納得いかない様子^^;ちょっと怖い…

言葉を濁すしかありませんでした。


そういえば…

大会に出てるって初めて聞いた時タイムを聞いて

「そんな時間で走れるなんてすごいね!」

今思えば決して速いとはいえないタイムですが

レース経験のない私は何もわからず褒め言葉で言ったのに

「ちょっと!それってどういう意味?💢」

怒られてしまいましたf^_^;


今考えるとそんなやり取りが昔からあったなー

私はハッキリ言われると黙ってしまうタイプなので、

私が悪いんだろうな、とずっと思っていましたが…

ちょっと多すぎる…

もしかして上から私のこと見てた?

対等な友達関係じゃなかった?

疑問が湧き出して止まらなくなりました。


そして友達はそれ以降マラソン大会に出ることはなく

山登りに趣味を変えたそうです。

よく考えてみたら、友達のことよくわかってなかった。

仕事頑張っていてすごいな、ちょっと短気だな、料理得意ですごいな

だけど本質的な彼女の心の部分を私は全然見ずに付き合ってきたんだ、、

反省しました。

ランニングの話もできなくなり、彼女は山の話ばかりになりました。

女友達とて心はすれ違います。

少しずつ溝が出来てきて…

今は疎遠になりました。

私の友達は年賀状のやり取りをしている子1人だけになってしまいました。

その子を友達と思っていいのかも微妙なのですが(^^;;

色々面倒くさくなった私はLINEもやめてしまいました。

どうしても連絡取らなければいけない方とは

iMessageでお願いして事なきを得ています。


近い友達とマラソンは危険と感じた出来事でした。

私に限っての話ですが(T ^ T)


母との最期

2023-09-14 05:36:00 | 日記
母は火曜日に私の家に遊びにきてくれました。

その時母は私に

「もうここには来られないからね。」

と少し口調を強めて決意したように話してきました。

その口調にただびっくりして頷きました。


記憶には残っていませんが、水曜日も木曜日も会ったと思います。

最期に会った金曜日、私達はドライブをしていました。

何か食べたりしながらドライブしてたように記憶しています。

夕方5時半頃…実家の前で母を降ろしました。

車の窓越しに

「あんたには今までいっぱい迷惑かけたね。ごめんね。」

と言い

「何言ってるの。これからだってもっと迷惑かけるくせに」

「そうだね」

と微笑んでいました。

それが母の最期の姿になってしまいました。

土曜日も会うつもりだったのですが、

夫と出掛けることになり母には会いませんでした。

その日夕方、私は疲れたのか急激な眠気に襲われ寝てしまいました。

その日の夜、私が寝ている間に母は心室細動で亡くなりました。


後で聞くと前日に孫に会いに行っていたり、

亡くなる1週間前から親戚に電話かけまくっていたり…

みんなにお別れの挨拶をしていたようです。

亡くなった日の朝は、早起きして得意なカップケーキを作って

近所の人にも配っていたようでした。

私と夫は私に残してくれてあったカップケーキを

母が亡くなってから半分こして食べました。

涙が出ました。

この世にいない母が作った物を食べるなんて複雑でした。


突然すぎて亡くなった実感がなかなか湧かない日々、、

居るのか居ないのか…みたいな感覚の数年でした。

勝手な思い込みですが、急激な眠気も直感的にこれから直面する母の死への現実逃避、、

だったのかな、と思っています。


私は病院へ行くまで父に何かあったんだと思って

出ることのない母の携帯へ何度も電話をかけていました。

顔を見て姿を見て初めて頭の中で理解が追いついた…感じでした。



私は共依存から解放され、病気を良くしたいと強く思い動き始めます。

少しずつ減薬して、禁煙外来にも通い…

不妊治療を始めて間もなく妊娠し子供を授かることができました。

40歳のことでした。

母と強制的に会えなくされ、おかげでやっと自立することができ、

病気は随分良くなりました。

夫はいつも言います。

「お母さんがいなかったから息子を産むことができたんだよ」

スーパーポジティブな夫です^ ^

でも、私もそう感じています。

亡くなってから変わろうと必死で努力しました。

減薬しなくては子供を妊娠することはできない。

母との別れで学んだ物は大きかったと思っています。


ただ…母はさらさらそんな気はなくて、

天国で自分が天国に居ることを一番びっくりしていたんじゃないかな。

もう15年経とうとしています。