ミュウタントのブログ

日本国憲法第9条は地球人類の宝、それを改悪するための日本国憲法第96条の改正に反対!

日本国憲法第96条を変えるとはどういうことなのか

2013-05-05 01:39:05 | 戦争・平和
安倍総理は自民党が先の衆議院選挙で掲げた公約だとして、さらに強固なものにするとして参議院議員選挙の争点としたいと日本にいる内に言っていたが、トルコで国際記者団に囲まれて、あろうことかここで自説を展開し憲法第96条の改正を参議院議員選挙の公約とし、日本維新の会やみんなの党に呼びかける形で改正のための仲間を募ると明言し、記者会見を行った。
 日本国内の政策をなぜ海外に行って発表しなければならないのか。しかも自分たちを縛る憲法という国の基本法の改正の手続きを緩和し、改正の発議要件を国会議員の2/3以上を1/2にしようというのだから呆れる。その先にあるものを語ろうとしない薄気味悪さが残るが、本丸の日本国憲法第9条を変えようとするための前段だということが見え見えなのだ。
 国家権力を縛る憲法の規定を自分たちの都合の良いように変えるってことを許したら、普通の法律と変わらなくなってしまうじゃないか。日本国憲法第9条をターゲットにした日本国憲法第96条の改悪に反対する。

日本政府はヒロシマ・ナガサキの顔に泥を塗る気か

2013-04-26 13:29:22 | 戦争・平和
現在スイスのジュネーブにおいて核拡散防止条約再検討会議に向けた第2回準備会が開かれている。その中で南アフリカが提案した共同宣言に「いかなる状況であっても核兵器は使わない」という文言を削除するように日本政府は求めていて、共同宣言には署名しなかったという。
 広島や長崎の原爆忌に世界に向けて被爆国として核廃絶を訴えてきた両市の顔に泥を塗るようなことを平気でやるのが安倍政権だった。もう被爆国からの核廃絶の声に、広島長崎の声に誰も耳を傾けてくれなくなってしまう。
日本政府は直ちに共同宣言文に署名すべきだ!

日本の国会はイラク戦争の総括をすべきだ

2012-01-28 06:32:20 | 戦争・平和

<a href="http://photofriend.jp/photo/choice/37437/1201950/" target="_blank"><img src="http://photofriend.jp/u/37437/d1b5a9b7b4abe3ae4e513f507d29c83f70000000000001201950.jpg" width="320" height="240"></a><br>

photo by <a href="http://photofriend.jp/photo/list/37437/" target="_blank">ミュウタント</a> from <a href="http://photofriend.jp/" target="_blank">OCNフォトフレンド</a>

 こどもの命を、たくさんの命を奪った米国のイラク侵略戦争に加担した日本は、あの戦争の総括をすべきだ!


反対派に対する言論の自由というレトリック

2011-01-27 03:48:34 | 戦争・平和
 かつてのユダヤ人迫害で名を馳せたナチスドイツの特にゲシュタポといわれる連中の追及は今も行われている。そしてドイツやスペイン、イタリア、またとくに旧東ヨーロッパに属していた国々においてネオナチが生まれている。ナチスの旗の下に集えなどと若者を扇動しているらしい。ここにおいて言論の自由を彼らも唱え、自分たちの主張を封じ込めようとすることは、言論の自由を保障した人権規約、人権法、憲法に違反していると唱え始めているが、言論の自由は法の下での自由であって、差別排外主義を助長するような、またナチスのとった行動を賛美するような発言や論文までも自由に訴え書き進められることを意味してはいない。この辺を履き違えてはいけないのだ。
 私のコメント欄は誰でも書き込めるが、ひとつだけgooID保持者だけという制限をつけた。これならコメントを書いた人がgooblog利用者であり、ブログのコメント欄に足跡が残るからである。

65年目の長崎原爆忌 長崎平和宣言全文

2010-08-09 13:00:36 | 戦争・平和
 長崎で65年目の原爆被害者慰霊式典が行われました。

平成22年長崎平和宣言



 被爆者の方々の歌声で、今年の平和祈念式典は始まりました。
 「あの日を二度と繰り返してはならない」という強い願いがこもった歌声でした。
 1945年8月9日午前11時2分、アメリカの爆撃機が投下した一発の原子爆弾で、長崎の街は、一瞬のうちに壊滅しました。すさまじい熱線と爆風と放射線、そして、燃え続ける炎……。7万4千人の尊い命が奪われ、かろうじて死を免れた人びとの心と体にも、深い傷が刻みこまれました。
 あの日から65年、「核兵器のない世界」への道を一瞬もあきらめることなく歩みつづけ、精一杯歌う被爆者の姿に、私は人間の希望を感じます。

 核保有国の指導者の皆さん、「核兵器のない世界」への努力を踏みにじらないでください。
 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議では、当初、期限を定めた核軍縮への具体的な道筋が議長から提案されました。この提案を核兵器をもたない国々は広く支持しました。世界中からニューヨークに集まったNGOや、私たち被爆地の市民の期待も高まったのです。
 その議長案をアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有国の政府代表は退けてしまいました。核保有国が核軍縮に誠実に取り組まなければ、それに反発して、新たな核保有国が現れて、世界は逆に核拡散の危機に直面することになります。NPT体制は核兵器保有国を増やさないための最低限のルールとしてしっかりと守っていく必要があります。
 核兵器廃絶へ向けて前進させるために、私たちは、さらに新しい条約が必要と考えます。潘基文国連事務総長はすでに国連加盟国に「核兵器禁止条約」の検討を始めるように呼びかけており、NPT再検討会議でも多くの国がその可能性に言及しました。すべての国に、核兵器の製造、保有、使用などのいっさいを平等に禁止する「核兵器禁止条約」を私たち被爆地も強く支持します。

 長崎と広島はこれまで手を携えて、原子爆弾の惨状を世界に伝え、核兵器廃絶を求めてきました。被爆国である日本政府も、非核三原則を国是とすることで非核の立場を明確に示してきたはずです。しかし、被爆から65年が過ぎた今年、政府は「核密約」の存在をあきらかにしました。非核三原則を形骸化してきた過去の政府の対応に、私たちは強い不信を抱いています。さらに最近、NPT未加盟の核保有国であるインドとの原子力協定の交渉を政府は進めています。これは、被爆国自らNPT体制を空洞化させるものであり、到底、容認できません。
 日本政府は、なによりもまず、国民の信頼を回復するために、非核三原則の法制化に着手すべきです。また、核の傘に頼らない安全保障の実現のために、日本と韓国、北朝鮮の非核化を目指すべきです。「北東アジア非核兵器地帯」構想を提案し、被爆国として、国際社会で独自のリーダーシップを発揮してください。
 NPT再検討会議において、日本政府はロシアなど41か国とともに「核不拡散・軍縮教育に関する共同声明」を発表しました。私たちはそれに賛同すると同時に、日本政府が世界の若い世代に向けて核不拡散・軍縮教育を広げていくことを期待します。長崎には原子爆弾の記憶と爪あとが今なお残っています。心と体の痛みをこらえつつ、自らの体験を未来のために語ることを使命と考える被爆者がいます。被爆体験はないけれども、被爆者たちの思いを受け継ぎ、平和のために行動する市民や若者たちもいます。長崎は核不拡散・軍縮教育に被爆地として貢献していきます。

 世界の皆さん、不信と脅威に満ちた「核兵器のある世界」か、信頼と協力にもとづく「核兵器のない世界」か、それを選ぶのは私たちです。私たちには、子供たちのために、核兵器に脅かされることのない未来をつくりだしていく責任があります。一人ひとりは弱い小さな存在であっても、手をとりあうことにより、政府を動かし、新しい歴史をつくる力になれます。私たちの意志を明確に政府に伝えていきましょう。
 世界には核兵器廃絶に向けた平和の取り組みを続けている多くの人々がいます。長崎市はこうした人々と連携し、被爆地と心をひとつにした地球規模の平和市民ネットワークをはりめぐらせていきます。

 被爆者の平均年齢は76歳を越え、この式典に参列できる被爆者の方々も、少なくなりました。国内外の高齢化する被爆者救済の立場から、さらなる援護を急ぐよう日本政府に求めます。
 原子爆弾で亡くなられた方々に、心から哀悼の意を捧げ、世界から核兵器がなくなる日まで、広島市とともに最大限の努力を続けていくことを宣言します。



2010年(平成22年)8月9日
長崎市長 田上 富久



広島での国連事務総長の発言

2010-08-09 10:38:50 | 戦争・平和
 6日の広島原爆忌平和式典において74カ国という過去最高の参加を得た。特に国連事務総長、米国駐日大使、イギリス、フランスと核兵器保有国の参加を見たのは大きい。
ここに改めて、国連事務総長のあいさつ文を掲載する。


潘基文国連事務総長、広島でのあいさつ全文

潘基文国連事務総長あいさつ(日本語訳)は以下の通り
 
 私たちは今、この神聖な場所に身を置き、自らの目で見て、感じ、吸収し、そして深く考えます。

 私は初の国連事務総長として、この平和記念式典に参加できたことを光栄に思います。そして今、深い感動に包まれています。

 広島と長崎に原爆が投下された当時、私はまだ1歳でした。私がここで何が起きたのかを十分に把握したのは、しばらく後になってからのことでした。

 私は少年時代を朝鮮戦争のさなかに過ごしました。

 炎上する故郷の村を後にして、泥道を山中へと逃れたことが、私にとって最初の記憶の一つとして残っています。

 多くの命が失われ、家族が引き裂かれノノ、後には大きな悲しみが残されました。

 それ以来、私は一生を平和のために捧げてきました。

 私が今日、ここにいるのもそのためです。

 私は世界平和のため、広島に参りました。(この一文は日本語)

 私たちは65年前に命を失った人々、そして、その一生を永遠に変えられてしまったさらに多くの人々に対して哀悼と敬意の念を表するため、一堂に会しているのです。

 命は短くとも、記憶は長く残ります。

 皆さんの多くにとって、あの日はまるで、空を焼き尽くした閃光のように鮮明に、また、その後に降り注いだ黒い雨のように暗く、記憶に残り続けていると思います。

 私は皆さんに、希望のメッセージを送りたいと思います。

 より平和な世界を手にすることは可能です。

 皆さんの力は、それを実現する助けとなります。

 被爆者の皆さん、あなた方の勇気で、私たちは奮い立つことができました。

 次の世代を担う皆さん、あなた方はよりよい明日の実現に努めています。

 皆さんは力を合わせ、広島を平和の「震源地」としてきました。

 私たちはともに、グラウンド・ゼロ(爆心地)から「グローバル・ゼロ」(大量破壊兵器のない世界)を目指す旅を続けています。

 それ以外に、世界をより安全にするための分別ある道はありません。なぜなら、核兵器が存在する限り、私たちは核の影に怯えながら暮らすことになるからです。

 そして、私が核軍縮と核不拡散を最優先課題に掲げ、5項目提案を出した理由もそこにあります。

 私たちの力を合わせる時がやって来たのです。

 私たちには至るところに新しい友や同志がいます。

 最も強大な国々もリーダーシップを発揮し始めました。国連安全保障理事会でも、新たな取り組みが生まれています。また、市民社会にも新たな活力が見られます。

 ロシアと米国は新しい戦略兵器削減条約に合意しました。

 私たちはワシントンでの核セキュリティーサミットで重要な進展を遂げることができました。その成果を踏まえ、2012年には次回のサミットが韓国で開催される予定です。

 私たちはこの勢いを保たなければなりません。

 私は9月にニューヨークで軍縮会議を招集する予定です。

 そのためには、核軍縮に向けた交渉を推し進めなければなりません。

 それは、包括的核実験の禁止に向けた交渉です。

 また、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)に向けた交渉でもあります。

 また、被爆者の証言を世界の主要言語に翻訳するなど、学校での軍縮教育も必要です。

 地位や名声に値するのは核兵器を持つ者ではなく、これを拒む者であるという基本的な真実を、私たちは教えなければならないのです。

 皆さん、

 65年前、この地には地獄の炎が降り注ぎました。

 今日、ここ平和記念公園には、一つのともしびが灯っています。

 それは平和の灯、すなわち、核兵器が一つ残らずなくなるまで消えることのない炎です。

 私たちはともに、自分たちが生きている間、そして被爆者の方々が生きている間に、その日を実現できるよう努めようではありませんか。

 そしてともに、広島の炎を消しましょう。

 その炎を希望の光へと変えようではありませんか。

 核兵器のない世界という私たちの夢を実現しましょう。私たちの子どもたちや、その後のすべての人々が自由で、安全で、平和に暮らせるために。 


 

秋葉広島市長による広島平和宣言

2010-08-06 11:24:24 | 戦争・平和
秋葉広島市長は宣言の中に始めて広島弁を採用した。

「ああ やれんのう、こがあな辛(つら)い目に、なんで遭わにゃあ いけんのかいのう」―――65年前のこの日、ようやくにして生き永らえた被爆者、そして非業の最期を迎えられた多くの御霊(みたま)と共に、改めて「こがあな いびせえこたあ、ほかの誰(だれ)にも あっちゃあいけん」と決意を新たにする8月6日を迎えました。

ヒロシマは、被爆者と市民の力で、また国の内外からの支援により美しい都市として復興し、今や「世界のモデル都市」を、そしてオリンピックの招致を目指しています。地獄の苦悩を乗り越え、平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、世界の行く手を照らしています。

今年5月に開かれた核不拡散条約再検討会議の成果がその証拠です。全会一致で採択された最終文書には、核兵器廃絶を求める全(すべ)ての締約国の意向を尊重すること、市民社会の声に耳を傾けること、大多数の締約国が期限を区切った核兵器廃絶の取組に賛成していること、核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれ、これまでの広島市・長崎市そして、加盟都市が4000 を超えた平和市長会議、さらに「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同した国内3分の2にも上る自治体の主張こそ、未来を拓(ひら)くために必要であることが確認されました。

核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回、国連事務総長としてこの式典に初めて参列して下さっている潘基文閣下のリーダーシップの成せる業ですし、オバマ大統領率いる米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も、大きな影響を与えました。

また、この式典には、70か国以上の政府代表、さらに国際機関の代表、NGOや市民代表が、被爆者やその家族・遺族そして広島市民の気持ちを汲(く)み、参列されています。核保有国としては、これまでロシア、中国等が参列されましたが、今回初めて米国大使や英仏の代表が参列されています。

このように、核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつあります。

こうした絶好の機会を捉(とら)え、核兵器のない世界を実現するために必要なのは、被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。核兵器廃絶の緊急性に気付かず、人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に目を瞑(つぶ)っている人もまだ多いからです。

今こそ、日本国政府の出番です。「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全(すべ)ての被爆者に肌理(きめ)細かく優しい援護策を実現すべきです。

また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯(しんし)に受け止め自ら行動してこそ、「核兵器ゼロ」の世界を創(つく)り出し、「ゼロ(0)の発見」に匹敵する人類の新たな一頁を2020年に開くことが可能になります。核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全(すべ)ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。

私たち市民や都市も行動します。志を同じくする国々、NGO、国連等と協力し、先月末に開催した「2020核廃絶広島会議」で採択した「ヒロシマアピール」に沿って、2020年までの核兵器廃絶のため更に大きなうねりを創(つく)ります。

最後に、被爆65周年の本日、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げつつ、世界で最も我慢強き人々、すなわち被爆者に、これ以上の忍耐を強いてはならないこと、そして、全(すべ)ての被爆者が「生きていて良かった」と心から喜べる、核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、私たち人類に課せられ、死力を尽して遂行しなくてはならない責務であることをここに宣言します。

2010年(平成22年)8月6日
                    広島市長 秋 葉 忠 利