前日の雨も上がってむせ返るような暑い日となった昨日の日曜日、9回目の葛飾憲法集会が開かれた。
講演の前に詩の朗読劇が行われた。朝日新聞の奈良総局の記者 吉岡 一さんに『イラクの崩壊 イラク戦争の実際』を語ってもらった。
戦争協力にNO!葛飾ネットワーク単独で2001年からの3回、2004年からは、葛飾区内で活動する市民団体の葛飾人権ネット、憲法を生活に活かす葛飾の会、かつしかピースウェーブとの合同実行委員会が立ち上がって、6回目となった。
一昨年は亀有リリオホールで300人を超えたが、今年は80名を少し越えたに留まった。実行委員会を立ち上げて、初めて100人を切った最低の人数だった。やはり一番核になる人たちの動きが鈍かったことにもよる。講師が、朝日新聞の現役の記者だったのだからもっと集まっても良かったと思うが、表題が「イラクの崩壊 イラク戦争の実態」だったこともあって、関心が薄れていたこともあったかもしれない。
報告されたことは、今までの常識を覆す物だった。あの戦争は当初、アフガニスタンから米国が戦場を移し、石油利権を奪うためだと言われて来た。タリバンやアルカイーダに関係するものなどなかったし、ブッシュが騒いだ大量破壊兵器、ウラン兵器など存在しなかったのだから大儀などあるはずがなかったから。
だが今見回してみるとイランの石油掘削に米国メジャーは一切関係していないのが分かった。日本のあのときの石破防衛相も『後からのこのこ出て行って、石油をくださいといえますか』と言っていたが、今も一滴もイラクの石油は日本に入ってきてはいない。米国が海外から輸入する原油の中でイラクの占める割合は、2%にも満たないのではないか。
米兵たちは、勝手に検問所を作って市民から強奪の限りを尽くし、記者も検問所でクルマから降ろされ、カメラを置き忘れたことで戻ろうとしたら叩き伏せられたという。カメラは、戻ってこなかったという。祭りの空砲に銃弾を撃ちこみ、結婚式の真っ只中に爆弾を落とし、それがピンポイント爆撃というまやかしに、朝日を初めてする日本のマスコミは、米軍発表のまま報道していた。だから民間人があんなに死んでいたと知ったのは、大規模な戦闘が終わって各国の報道特派員たちが、イラクに入っていけたときだった。
ベトナム戦争の報道で米国は懲りていたのだろう、真実を知られると、この戦争が継続できないことを。
イスラエルという中東の傀儡国家を守るために、イラクが狙われ、さらにイランが狙われるのは時間の問題だということも分かった。
オバマが『タリバン』に対する掃討を考えたのは、イラクに傾倒したブッシュの戦略が間違っていたということを認めたということなのだろうが、戦争を続行するという方向を変えるつもりはないらしい。
米軍は、アジアから出て行くべきだと思う。なぜ混沌の坩堝に中東が陥ったのか、それは聖書の予言がイスラエル建国だと信じているキリスト原理主義者たちの思いが関係しているということも分かった。
講演後、闘う教育労働者からの報告や、葛飾ビラ配り事件の当事者からの裁判闘争報告があった。最高裁まで行っているが、立川ビラ撒き事件の最高裁判決の後なので予断を許さない厳しい情況ではあるとのことだったが、勝利目指して闘うとのことだった。
集会後、立石~青戸界隈をデモして、青戸平和公園で散会した。区民のビラの受け取りは良かった。