ミオとミルクのもっふりんな日常

高校を卒業して、大学生になった息子と、2匹のニャンコに振り回されながら、しごと、闘病生活をしています。

もう7年たつんですね

2020-03-11 17:55:00 | 日記
あの日、私は店で、店頭に並ぶテレビで津波の報道を見ていました。
そして、弟が茨城にいるので、あっちも揺れただろうなぁ…と、なんとなく思いながら仕事をしていました。
時間をおうごとに、想像以上の被害に、こんなことが今、日本で起きてるのか…と驚愕したことを覚えてます。
そして、夕方、家に帰ったら母から弟と連絡が取れない…会社から安否確認が取れないと連絡があったことを知りました。
会社の人によると、弟は最初の揺れで、部下を屋外に避難させた後、最後に出たらしいが、その後、建物は倒壊…弟だけ姿が見当たらなくなっているとのこと。
まさかの事態に、どうしていいかもわからず朝までテレビにかじりついていました。
翌日の夜、災害ダイヤルに弟からのメッセージを確認できたときは、ホッとして腰が砕けそうになりました😰
私の住む街は自衛隊基地があります。
友達も多いです。みんな被災地に向かいました。
子供の学校でも、募金が始まり、普段から自衛隊員さんたちと触れ合っている子供たちは、何ができるか一生懸命考えてました。
うちの子は、なぜか毎日毎日募金を持って行ってました😀
あの時は、乾電池が売り切れ続出して
私の職場も売り切れて、入荷の目処も立たない状況でした。
私は直接なにかができたわけではなかったけれど、福島の野菜とかを積極的に買うようにしたりとかはしていたかな。
今も完全な復興はされてはいないけれど、いつか三陸鉄道に乗って旅行に行くのが、私のささやかな夢です。
亡き父の故郷、宮城に行ってみたいなと思います。