七月のある日、佐久市中込にある旧中込学校を訪ねた。旧中込学校は、明治8年に建てられた、日本で最も古い学校建築だそうである。疑洋風建築と呼ぶそうで、パッと見たところは、ハイカラの洋風建築だが、実際は、日本の建築技法が多く採用されている建築らしい。太鼓楼と呼ばれる塔とベランダが印象的な素敵な校舎である。
この学校を建てる費用は、当時の中込の村々の有志の募金などで賄われたそうである。激動の明治の初めに、村民たちが身銭を切って、子供たちの教育に投資したことに感慨を覚えた。長野県は日本有数の教育県だそうだが、その県民性は、遠い明治の初め、ひょっとするとそれ以前にまで、その由来を遡れるのかもしれない。
学校は、昭和44年に重要文化財に指定され、それを機会に解体修理を行い、復元された。その後も平成7年に、平成の修理などが行われ、校内には、写真の第一教場などが復元されている。二階の教員控所や第二から第四教場などには、往時の教材などが展示されており、なかなか興味深い。
その展示の中に、鉱物学教科書や、博物教科書なども見つけた。鉱物学教科書には、理学士伊藤貞市補訂とある。後の帝大教授である。若いころ、鉱物学を志した自分にとって、恩師に連なる名前が出てきたことに、少し驚くとともに、なんとなく嬉しくなった。しかし、高等小学校などで、こんな難しいことを教えていたのだろうか?もしそうなら、今日の大学生などより、よっぽど賢いのかもしれない。
表に回って、校舎の鬼瓦を見てみると、中込の文字を見つけた。これは解体修理のときに復元されたものらしく、併設された資料館には、往時の本物の瓦、まったく瓜二つのものが展示されていた。オリジナルをもとに復元したのだから、オリジナルと復元された瓦が似ているのは、当たり前なのだが・・・。
昔の学校は、個性的でおしゃれだと思う。それに比べると、最近の学校は箱が並んでいるようで、校舎を見ても、つまらないと思う。ただ一つの問題は、冷房がないので、汗をかきかき、見学したのである。