那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

非常線の女 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

ある会社の真面目そうな事務員(田中絹代)は、社長の息子に好かれているが、実はこの女はチンピラの情婦である。彼女の男の元ボクサー譲二(岡譲二)は、数人の子分を連れており、けんかに強い。
 ボクシングジムに通う大学生は、譲二に憧れてチンピラの仲間入りをする。それ以来、賭けビリヤード場に入り浸っている。素行の悪さに気づいた姉は、譲二のもとに現れて、弟を元に戻すように言ってくれ、と哀願する。譲二は、学生を姉のもとに帰す。
 このことをきっかけに譲二は姉を好きになる。情婦は、二人を分かれさせるために姉のもとにピストルを持っていき脅そうとするが、姉の純情さに打たれて帰る。そして、譲二に、カタギの生活に戻ろうとせがむ。
 学生、姉の会社のレジから金を盗んで逃げている。そして譲二にその欠損を埋めるために200円貸してくれ、という。
 譲二は学生を追い返すが、カタギになるまえに一仕事して金を稼ぎ、学生を助けてやろうと考える。
譲二は情婦の勤める会社に乗り込み、情婦と二人でピストルを社長の息子に突きつけ、200円を奪って逃げる。そして学生と姉の住むアパートに金を届ける。
 二人が逃げようとすると警察が囲んでいる。二人は二回の屋根から飛び降りて夜の町に逃れる。が、情婦は、いっそ捕まって刑に服してから生きなおそう、という。譲二は女を置いて去ろうとするが、情婦は彼の足をピストルで撃ち、二人とも警官に捕まる。


{批評}

舞台が日本であることを除けば、全くハリウッドのギャング映画であり、小津安二郎のアメリカ映画好みが全面に出た作品である。
 技術的には何回かの移動撮影があるものの、スタイリッシュでカット割りが細かい。フィルム・ノアール風に光と影の演出も目立つ。
 脚本の構成から言えば、サイレント時代なので仕方ないといえば仕方ないが、物語が単線的で、サブストーリーがなく、あっけないほど単純な物語である。もっとも、一般に小津安二郎映画は、単純な物語を特徴とするが・・・・・
 キャラクター論から言えば、この主人公である譲二と情婦は「グッド・バッド・マン」の典型だ。小津安二郎は『朗らかに歩め』でもこのグッド・バッド・マンを描いている。善良なところのある悪党、という意味である。
 余談になるが、グッド・バッド・マンは意外なほど多く映画の主人公になっている。座頭市、眠狂四郎、木枯らし紋二郎、それから喜劇になると、ハナ肇の馬鹿シリーズやフーテンの寅さんもそうだ。
 子分になった学生の姉の古典的な日本人像=道徳的で弟のために身を犠牲にして愛を注ぐ女、にあこがれるチンピラの情婦。そして同じように姉の健気さに心を奪われチンピラのヘッドから足を洗おうとするギャング。その心の動き方が、いかにも新派悲劇的である。戦前、洋画のヒットから日本語でもしばしば使われた「アパッシュ(チンピラ)」のかっこよさを、小津安二郎は出そうとしたのかもしれないが、そのかっこよさはこの作品には出ていない。
 この映画は、いかにもアメリカ映画のスタイルを踏んでいるがその心理的要素は和製の新派悲劇であり、この点で木に竹を接いだような違和感が残る。
 また、この映画は後半はスリルとサスペンスの物語(強盗と追いかけ)になるのだが、テンポがのろく、作品としては失敗している。
 小津安二郎というのは不思議な監督である。前年の『生まれてはみたけれど』のような小市民映画を撮り、この時点では天下一品の技量を見せているのに、まだこのようにアメリカ映画のコピー作品を作っている。この辺りの感覚が分からない。若気の至り、というものだろうか。
 この作品は、あくまでも研究者向きの素材であり、映画そのものを楽しもうという人には、退屈だから見ないほうがいいですよ、としかアドバイスできない。つまらない映画である。

母を恋はずや 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評



{あらすじ}

ある上流家庭。両親と小学生の兄弟が何不自由なく暮らしている。が、父親が突然他界する。
 その後も母一人と、兄弟二人、つつましくも仲良く暮らしている。しかし、兄が大学受験のときに戸籍を見て、自分が本当の子供でなかったことを知る(愛人の子供か?)。
 兄の大学合格にあわせて、山の手の豪邸から郊外の民家に引越しをする。母は、兄弟差別なく育てているつもりだったが、兄から見れば、自分をえこひいきして、弟に厳しいように見え、どうして同じように扱わないのか不満がつのる。兄は、弟に厳しく自分に甘い母親の態度に反抗し、母親に辛く当たって泣かせる。それを見た弟が兄をなぐる。しかし兄は殴り返しもせず、家を出て遊郭に寝泊りする。母親は、兄が自分の子供でないから、家を離れようと考えているのだ、と善意に解釈する。居続ける遊郭に母が迎えに来るが、きつい言葉を投げかけて帰らす。その様子を見ていた遊郭の掃除婦(飯田蝶子)、それとなく諭す。
 兄、非を悔いて、母と弟の元に戻り、一家はさらに郊外の家に転居して、仲良く暮らす。

{批評}

この作品は出だしの1巻と終わりの9巻が欠落している。
映画にとっては、致命的な欠落だが、残った7巻を見ることでそのスタイルの構造を見ることは出来る。
 率直に言って、この作品は小津安二郎の映画としては失敗作だろう。ロケーションが変化に乏しく、家の中での仕草と会話が延々と続き、見ていていらいらする。この作品は、母が継母と知った息子の心理的葛藤を描いた心理劇である。その心理の動きを、限定された場所での会話(字幕)で描くので、実に進行が遅い。
 ただ、小津の好み・・・・・・・大学は相変わらずここでも早稲田の大隈講堂の時計台を写し、遊郭の壁には洋画のポスターが貼られている。こういう決まりごと=儀式性は、小津に独特のものである。
 風俗の面から面白いのは、兄が居続ける遊郭の様子である。これは横浜本牧にある外人専用の遊郭(通称・ちゃぶ屋)を使っていて、非常にモダンな作りになっている。一階はバーで、二階は個室になっており、洋風建築。女たちは和服を着ているが、食べ物はサンドイッチ、と本牧らしいモダンな遊郭である。
 没落した家庭の大学生が何日も居続けられるのだから、昔の遊興費・女を買う値段は、相当に安かったのだということが分かる。戦前は土地の値段、家賃、食べ物の値段、売春の値段などが統制されていたので、今の世の中よりも随分暮らしやすかったようである。(うらやましい。私も遊郭に居続けてみたいものだ)
 この作品は、最初は会社経営者らしいブルジョア家庭を描き、徐々に庶民の生活に没落する一家を描いている。小津は巨匠になってからは、上流家庭や高給取りのサラリーマンを描くことが多かったが、戦前は、ルンペン・プロレタリアート(喜八もの)から、ブルジョアまで、幅広い世界を描いている。
 なお、この作品は、小津自身が、「脚本の練りが足りなかった」と述べていること、またこの撮影中に、偶然小津本人の父親も他界したことなどのエピソードがある。



浮草物語 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

旅芸人の一行、ある田舎町に到着する。
座長の喜八(坂本武)は、ご贔屓まわりに出かける、といって、おかやん(飯田蝶子)の家に上がり酒を飲む。
実は、おかやんと喜八の間には息子がおり、世間体をはばかって、息子には、父親は公務員で死亡した、と嘘をついている。高校生ぐらいに育った息子をみて喜八は目の中に入れても痛くないほど可愛がり、学問して立派な人間に出世しろと励ます。。
 一座の中のある女優は喜八の情婦となっている。毎日喜八が外出するのを不審に思った情婦は、劇団員から事情を聞きだし、おかやんの経営する飲み屋に行って酒を注文し、あてつける。喜八、怒って女を追い返す。大雨の中「お前と俺の息子は人種が違うんだ。近づくな」と怒鳴る。
 女、復讐のために同僚の女優に金をやり、喜八の息子を誘惑するように頼む。
息子は策略にはまり、その女優と夜毎逢引を重ねる。
 何日も雨に降りこまれた劇団は、解散することになる。道具を売って得た金を団員に配り、それぞれかたぎに戻る。
 おかやんの家にいった喜八。劇団解散の話をすると、おかやんは、親子3人で暮らそうと提案する。喜八、うなづく。うれしそうなおかやん。
 そこに息子を連れ出して夜遅く帰ってきた女優が現れる。喜八は彼女の顔を何度もビンタする。そして息子にもビンタを食らわせる。反発した息子は喜八を突き倒す。おかやんは、そのとき、実の父親が喜八であることを打ち明ける。そして、これまでずっと月々の学費を仕送りしてくれたことや、旅役者ゆえ父親であることを黙っていたことを告げる。
 息子、二階に駆け上がり一人になる。喜八は、普段世話もせずにいきなり父親だといっても受け入れるわけはない、はやり俺は旅に出るよ、一旗上げて出世して帰ってくる、と言う。そして息子を誘惑した女優はこの店に置いて面倒を見てくれ、とおかやんに言い残して夜の町に出て行く。
 駅に着くと、喜八の情婦が電車を待っている。二人仲直りして、一旗上げるために列車に乗り込む。


{批評}

戦後つくられた傑作『浮草』のオリジナル。小津安二郎がこの物語を気に入っていたことがよく分かる。
実はこの映画はハリウッドの『煩悩』という作品を換骨奪胎したもの。しかし、小津は見事に日本の風土にこの物語を移し変え、うらぶれた旅役者と隠し子の愛を描ききっている。
 技術的には、この作品ですでにローアングルが使われている。また人物の配置の「並列構図」、それから喜八と息子がハヤ釣りをするときの機械的な「類似動作」など、戦後の小津映画の特質が現れている。また、シークエンスの転換に、フェイドやディゾルヴを使わず、またエスタブリッシングショットも使わず、身辺にある小道具や風景の空ショットを使っている、という点でも、この作品は完全に小津安二郎調が現れている。

 「東京の合唱」を批評したとき私は戦前の小津には天才性はなく、職人監督、熟練工だといった。それが何かのきっかけで聖なる大監督になったはずだ、と書いた。まさにそのきっかけがこの『浮草物語』だったのではないか、と思うようになった。。
撮影、編集が完璧にスタイリッシュであること。そして、親子の愛、あるいは喜八とおかやんの「しのぶ愛」に主題が絞られている点、後期の小津安二郎映画の原点がここにある。
 たしかに『生まれてはみたけれど』も大傑作だが、この『浮草物語』で喜八と息子の愛のきづなを描ききったことで、小津安二郎は自分の進むべき道を見つけたのではないか。旅役者という卑しい身分の男が、息子に旅先から送金して、息子だけは学問をして出世して欲しいと願い、息子の前に出ては父親であることを隠して、一人のオジサンとして可愛がる、その健気な愛情が、観客の胸を強く打つ。同時に、そういう男を愛し、同居できなくても愛を信じるおかやんの愛の深さ。さらに、そういう事情を知りながら、腐れ縁でいつまでも男女の仲を続けている女優。さらにまた喜八の息子の童貞を奪う(と暗示される)若い女優が、最初は遊びだったのに、本気で惚れていく様子。
 この映画にはそれぞれこのように4つの愛が絡み合う。それがドロドロせずに、田舎町に来た旅役者というハレの空気の中で展開する。
 私が見た限り、小津安二郎が戦前に作った作品の中では『浮草物語』は、複雑な愛の交錯をさらっと描ききったという点で、またそのスタイルの完璧である点で、突出している。
 なお、この作品は「喜八もの」といわれる一連の作品群の一つであり、坂本武が社会の底辺に生きる人間を演じ、飯田蝶子が彼のコンビとして登場する。
 小津安二郎の映画のスタイル研究の上では『東京の女』とともに必見の映画である。


東京の合唱 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}
大学の体育の授業のシーンからこの映画は始まる。教授が学生たちを厳しく鍛えているが、喜劇的な授業風景。
 時は流れ、その中の一人の男(主人公)、卒業して保険会社に勤めている。
結婚もして、小学生ぐらいの男女と、生まれたばかりの赤ん坊がいる。
小学生の男の子は自転車が欲しくてたまらない。父親のボーナスが出る日に、自転車を買ってもらうと約束する。
 ボーナスが出る。が、男の先輩サラリーマンで、もうすぐ功労社員として年金が出る予定の老人がクビになる。理由を聞くと、彼が勧誘した相手が、保険に入ってすぐに死んでしまい、会社に損失を出したからだ、という。
 その話を聞いた主人公、社長に直談判をするが、逆に怒りを買って彼もクビになる。
クビになった主人公、自転車を買えずに家に帰る。息子は泣いて抗議する。かわいそうになり、結局自転車を買ってやる。
 職探しをしているときに、娘が疫痢になる。入院させるが、治療費が払えず、妻の着物を売り払う。
職安をでたところで、大学の体育教師とばったり出会う。元教師は現在,洋食屋を開いたばかり。店を手伝ってくれれば、文部省に知り合いがあるから、就職を頼んであげようといわれ、話がまとまる。
 元教員は、男に店の名前を書いた大きなノボリを持たせ、自分はチラシを配って歩く。
たまたまそのそばを電車で通りがかった男の妻と子供たち、その姿を目撃する。
 男が家に帰ると妻がそっけない。そして口を開いて「いくら職がないといっても、世間に肩身の狭くなるような仕事はやめてくれ」と文句を言う。男は、雇い主は大学時代の教員だったと事情を話す。
 店が開店して5日目。洋食屋には、昔の教え子たちが集まっている。主人公の妻も子供を連れて手伝いに来ている。久々に出会った同級生たちはビールとカレーライスを口にして大いに盛り上がる。
 そこに元教師宛に手紙が来る。封を開いてみると文部省から就職の斡旋。主人公の男に女学校の英語教師の仕事が見つかる。男と妻、大いに喜ぶが、よく見ると場所は栃木県だった。男は顔を曇らせながら、妻に、いつか東京へ帰れるよ、という。
 同級生と元教師、立ち上がって大学の寮歌を合唱する。複雑な表情で歌う主人公。主人公の顔色を気にする元教師・・・・・主人公は明るい顔に戻って歌を歌う。


{批評}


まず技術的なことから。小津安二郎の編集はハリウッド流で非常にカット割りが細かい。アクションカットが多く、クローズアップも多い。但しクローズアップは顔にはなく、小道具に多い。
全体として全く「透明な編集である」。このアメリカナイズされた編集の中からあえて小津安二郎の特質を上げるならば、物語と関係のない風景(この映画の場合は煙突)に飛ぶ視点ショット、とやや混乱気味になる視点ショット(ミスマッチ)ぐらいだろう。この作品では視点ショットでない純粋な空ショットは(エスタブリッシングショットをのぞいて)ない。後期には消える移動撮影が何度か使われる。
 物語としては典型的な「小市民映画」である。小津安二郎の映画には自営業者が出ることが非常に少なく、私の記憶では東京以外の「地方」の生活を描いたことはない。(私の大好きな『浮草』を別にして)
 まるで小津にとっては、「東京でサラリーマン」をして暮らすのが最高の幸福であるかのようである。
このあたり、小さくとも起業家として生きるのを男の生き方だと思う私には全く分からないが、小津映画の特質がよくでている。「東京」「サラリーマン」そしてもう一つ「家族」・・・・・・・小津の映画からこの3つを取り去ったら何も残らない、といっていいほど小津はこの世界に執着を持っている。
 最近この映画批評で紹介している清水宏を比較した場合、清水の編集、撮影の自由自在さと比べると、小津安二郎のそれは様式的、あるいは強迫的といえるほど、カット割が細かく、また、清水の野外ロケーションによる「自然」の強調に対して、小津の世界は「こしらえ物によるリアリティ」である。そういう意味では両者は対照的だ。清水映画には自然の空気の匂いがするが、小津映画には匂いが全くない。また、演技に対して小津は非常に細かい注文を出している。清水のおおらかさと比べると、小津映画の登場人物たちは、まるで文楽の人形でもあるかのように、儀式的だ。
 なお、小津は大学を出たばかりのサラリーマンをよく描くが、彼らは郊外に必ず一軒家を持っている。戦前は地価が統制されていたので、東京でも簡単に家が手に入った様子がよくわかる。そういう意味では東京は今より戦前のほうがずっと住みやすい街だった。
 再度清水宏と比較すると、清水が弱者への同情という一種の思想から、愛人、孤児、身障者、などに対して焦点を当てたのに対して、小津の場合、戦前の作品を見る限り、これといった思想性は感じられない。職人として淡々と与えられた仕事をしているように見受けられる。
 これまで戦前の小津映画を何本も見てきたが、そこに天才性や思想の深さを読み取ることはできない。アヴァンギャルドにも染まらず、左派にも染まらず、その中間の小市民の生活を、喜劇性も幾分取り入れてノンシャランと描いている。小津が『晩春』のような大傑作をとるにいたるには何かきっかけがあったはずだ。戦前の彼はただの職人監督以上のなにものも見せていない。それが飛躍する契機は何か。今の私の関心はそこにある。戦前の作品を見る限り、小津は「巨匠」ではない。ただの熟練工である。



学生ロマンス 若き日   小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

都の西北=早稲田大学に通うチャランポランな遊び人A君。下宿の窓に「貸間あり」の張り紙をしているが、男が来ると断り、美人がやってくるとそれをきっかけにナンパしている。美人が現れて早速仲良くなり、部屋を出る約束をするが、翌日、美人が荷物を持ってやってきてもまだ引越しは終わっていない。あれこれナンパをしてやっと引越し。親友のB君の家に居候となる。実はこのB君の彼女は、A君の下宿に引っ越してきた美人。それを知らないA君。B君はスキー用の靴下を美人の彼女に編んでもらっていたのだが、図々しいA君は勝手に自分のものにしてしまう。
 大学の試験。全然勉強していない二人は落第ギリギリ。そんなこともお構いなしに二人は赤倉にスキーに出かける。そこには大学のスキー仲間も例の美人もやってきている。
 A君は大のスキー上手だが、B君はからっきしスキーは下手糞。この二人の前に現れた美人嬢。B君を無視して、A君は猛烈にアタックする。
 ところが、スキー仲間の一人と美人嬢はスキー場でお見合い。どうやらお互い気に入った様子で、A君もB君も振られてしまう。
 東京の下宿に戻った二人。しょげているB君にA君がアドバイスする。「心配するなよ。もっと美人を見つけてやるから」と言って、下宿の窓に「貸間あり」の張り紙をする。

{批評}

小津作品の中では現存する最も古い作品。フィルムがあちこち劣化していて見難い。
ボケと突っ込みの二人の大学生を使ったコメディ。これは松竹の城戸所長の考えで、新人には必ずコメディを撮らせたらしい。
 後年の「聖なる映画」監督・小津の面影は全く見られない。カメラワークも大胆に動くし、フェイドを多用している。
 小津得意の「空ショット」が数回現れるが、これはすべて「視点ショット」となっていて、後年のような不思議な使われ方とは全く機能が違う。
 取り立てて見るべきところのない平凡な学生喜劇である。
あえて言えば時代風俗が面白い。
1929年という「豊かな時代」の空気がよく出ている。
学生たちはパイプを吸っているし、部屋に張られたポスターはローマ字ばかり。挨拶にもドイツ語を使ったりと、当時の日本がいかに「欧米好み」だったかがよくわかる。質屋のことを「第七天国」と言い換えたり、モダンでノンシャランとした学生風俗が滲み出ている。
 もっとも、学生たちの大学教員に対する非常に恐れた態度が興味深い。ムジナとかヒゲとか渾名をつけて呼んで入るが、当の教授たちが現れると卑屈なほどにペコペコする当たり、戦前の学生は真面目だったのだな、ということが分かる。
 それから、作品の大半がスキー場でのロケというのもこの作品の特徴だろう。
こういう近代スポーツが積極的に取り入れられた時代を反映している。その一方で、学生たちは、アフタースキーに酔っ払って「佐渡おけさ」を踊りあうなど、日本の伝統的な遊戯と西洋文化との融合の様が面白い。
 この作品は、小津を研究的に見よう、という者にとっては貴重な作品だが、映画で感動しよう、と思っている者にはあえてお奨めできない。可もなく不可もない、ありふれた作品である。


淑女と髭 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

主人公の大学生は髭づらの剣道の達人。友人に男爵がいて、男爵の妹の誕生日に呼ばれる。
そこへ行く途中、女性を中心とした愚連隊に恐喝されているある女性を助ける。
男爵の妹はモダンガールで、仲間の女たちをあつめ洋酒を飲みながら洋楽をかけてダンスをしている。髭がやってくると、妹は嫌がる。女たちはからかって、ダンスを申し込む。髭は剣舞を舞ってしらけさせる。
大学を卒業して就職試験。たまたま恐喝を助けた女性が秘書を勤める会社に面接に行くが不合格。
しょげているところにその女性がやってきて、「髭のせいで不合格だったのだから、髭をそったらどうですか」とアドバイスする。
すっかり髭を剃った男は、すぐにホテルのフロントに就職が決まる。髭を剃ると見違えるほどのいい男になる。就職が決まった御礼に、以前助けた女の家に挨拶に行く。女性はお見合いを持ちかけられていたが、この男が好きになって、母親に男の気持ちを確かめて欲しいと頼む。
母親が気持ちを確かにホテルに行く。男はもちろんOK。そこへ以前とっちめた愚連隊の女がやってきて、髭の男とは気付かずにデートを申し込む。
男爵家の妹は髭をそり落とした男を好きになる。こうして男は3人の女から好意を寄せられる。
愚連隊の女を連れて、男は自分の部屋にやってくる。男は女に真面目に生きるように説得する。
二人がいるところに男爵家の妹と母親らが(結婚の申し込みのために)やってくるが、不良の女と二人でいるところを見て誤解し、怒りながら去っていく。不良女はその夜は男の家で泊まる。
朝早く、結婚を申し込んだ例の女が現れる。愚連隊の女性を見ても、動じず、眠っている男の着物を繕う。男が目覚めて、「女と一緒にいるところを見ても帰らなかったんだね」という。女は「私はあなたの心を確信していますから」と答える。男は大いに喜ぶ。
その様子を見ていた愚連隊の女。これから真面目に生きることを誓って二人の前から消えていく。


{批評}

前半は、出鱈目な剣道の試合や剣舞などスラップスティックコメディ風。髭を剃った後半から真面目な恋愛物語に変わる。
『若き日』(1929)の時と比べると、カメラワークが安定していて、かなりスタイリッシュになる。また髭の男の下宿の隣にある散髪屋の看板が「視点ショット」で何度も「空ショット」として写され、小津の独特の「空ショット」への執着がこの頃から現れている。
髭の男は当時、二枚目俳優として鳴らしていた岡田時彦(現在見るとそれほど二枚目ではない)。
 1920年代後半から30年代冒頭といえば、日本映画はアヴァンギャルドの時代であり、映画リズム論のみならずモンタージュの受容が盛んに行われていた。しかし、小津はその影響を全く受けていない。ハリウッドの喜劇映画に傾倒していたことが伺われる。
当時の芸術スタイルを分類すると、モダンボーイたちによる「アヴァンギャルド」、「エログロナンセンス」「プロレタリアアート」に三分できる。小津は明らかに「エログロナンセンス」と「小市民映画」(穏やかなプロレタリアサイド)の側に立っている。
 欧米の文化に憧れる男爵家に対して、剣道と愚直な正義心を貫く髭の男を生き生きと描いているところから見ても、小津の和風好みがよく現れている。また、貧しく生きる人間への暖かいまなざしも特徴的だ(松竹の好みでもあるが)。
 『若い日』と比べると作品として完成度が高く、なかなか面白い映画になっている。が、まだ名匠というほどの切れはない。そこそこによく出来た映画である。
なお、『若い日』もそうだったが、主人公の下宿の壁には映画のポスターが貼られている。このあたり、「自己言及的」映画の観点から小津の初期の映画を見ると面白いだろう。


東京の女 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

姉と二人暮しする大学生の男。男は姉の稼ぎで学費を出してもらっている。彼には恋人(田中絹代)がいる。
恋人と映画(エルンスト・ルビッチ他の『百万円あったら』とかいうオムニバス作品)を見る。
恋人のほうは兄と二人暮し。兄は警官である。
警官の兄が、妹の恋人の大学生の姉が働いている会社を訪れ、色々と調査する。
兄が妹に打ち明ける。学生の姉は、昼間はOLだが、夜は怪しい酒場で売春婦として働いており、ブラックリストに載っているというのだ。
妹は自分から、恋人の姉にそのことを告げようと思い、恋人の家に行く。
姉はまだ戻っていない。そこで学生にそのことを告げる。大学生の恋人は泣いて否定し、二人は気まずい関係になる。
姉が帰るのを待っている弟。姉に事実関係を問い詰める。姉は認める。姉の頬を何度もぶって、弟は外へ飛び出していく。
いつまでたっても帰らない。姉は、恋人の家に訪ねていく。ちょうどそこに兄の警官から電話がかかる。学生は自殺したというのだ。
翌日、死んだ学生の遺体のそばにいる姉と恋人。そこに雑誌記者たちがやってきてあれこれと質問する。「死因に心当たりは?」と聞かれるが姉は「なにもない」と答える。
二人の女性の悲しみをよそに、ブンヤたちは卑しい笑いを浮かべて家を出て行く。


{批評}

時間にして二日の出来事を描いた、一時間足らずのこの作品は、小津映画を研究する上で非常に意義がある。
所謂、小津のスタイルがこの作品に既に出ているのだ。
まずローアングルが使われている。
 次にカット割りが非常に細かい。つまりショットの数が多い。日本家屋で立ち居のアクションをするたびに細かくカットが変わる。また180度逆アングルショットもある。ハリウッド映画流のオーソドックスなつなぎで、ぼんやりしていると気付かないが、明らかにそれまでのコメディとは別のスタイルになっている。
 次に、モンタージュの影響がうかがわれる。
まず、姉が売春婦だったことを知った瞬間の部屋の薬缶の大写し。湯気を上げているストーブの上の薬缶が弟の心理的葛藤を表している。
それから、弟が自殺をしたと電話で知らされたとき。電話は下宿の大家らしい時計店にあるのだが、妹が受話器を置いた瞬間に、数多くの柱時計にショットが変わる。激しくうごく振り子の数々。それから妹の部屋にショットが移るときも、部屋の柱時計がアップになる。心の動揺と振り子の動きが「連想のモンタージュ」になっている。
但し、エイゼンシュテイン流のモンタージュではない。ロシア系の連想のモンタージュは物語世界と無関係のショット(hiper-situated shot)が突然挿入されるのだが、小津のモンタージュはアメリカ流の、その場にあるものに自然に視点が動く(situated shot)である。
このあたり、流行のモンタージュ技法を、噛み砕いて巧みに用いている。
 それから「視点ショット」ではない「空ショット」が使われている。
学生の自殺を知って泣きあう姉と恋人のシーンから、学生の遺体のある部屋に移行する際、普通ならフェイドかディゾルヴを使うのだが、室内のあちこちを空ショットで写してから移行する小津の独特のショットが現れる。
 小津はtransition shotにオプチカル・エフェクトを使うのが嫌いなのだろう。それでこの方法を発明した、と考えていいだろう。普通なら、エスタブリッシングショットとして、家の玄関とか部屋の全景を写すべきところだが、小津は物語世界の路傍にある風景を切り取ってエスタブリッシングショットの代理としている。これが小津の独特の空ショットの発想の源流だと思っていいだろう。

以上の点から、この作品は小津を研究する上で欠かせない作品になっている。
なお、物語に関して、売春をしている女は共産党と関係しており、それで警察のブラックリストに載っていた、という部分が削除されたらしい。この作品の上映時間が1時間程度と中途半端に短いのはそのためだと考えられる。
 この時代共産党は一斉検挙されて風前の灯だった。小津は、表立ったアカではなくプロレタリア映画と呼べるものは撮っていないが、小市民映画という穏やかな左派系統の作品を作ることで世相を描いている。戦後の小津作品は、大学教授や高給取りのサラリーマンといったプチブル家庭を撮ることが多かったが、この時代の小津はささやかな庶民の悲哀に共感している。全体的には新派悲劇の影響の濃い作品である。
 小津映画のスタイルを研究する上で格好の教材的価値のある作品である。

そうそう、劇中劇として映画を見ているシーンも面白い。スクリーンの縁を切って、映画の中に完全な形で映画が写される。また、その映画のチラシを大事に見つめるシーンもある。これまでの映画評に書いたように、小津は映画のポスターを作品の中に取り入れるのが好きだが、ここでは明白に映画を見ているシーンが使われている。もちろん、こういう自己言及的な作法は「異化」を狙ったものではない。映画が娯楽の王様であった時代の風俗をリアルに描いただけだろう。それにしても、このような自己言及のシーンがやたら多い。小津のシネフィユぶりが伺われる。




東京の宿 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評

{あらすじ}

小学生の子供二人を連れた父(喜八)が、仕事を探して毎日歩き回っている。が、雇い手がない。
子供たちは野犬を捕まえてお金に代えて飯代を作っている。彼等が泊まっているのは木賃宿。
そこには、小さな女の子を連れた綺麗な母親がいる。喜八とその子供たちは、この母子と仲良くなる。喜八はこの母にほのかな思いを寄せる。
 偶然飯を食いに入った食堂の女性経営者(おかやん、と呼ばれる。飯田蝶子)が喜八の昔の知り合いで、彼女のおかげで喜八は職にありつける。やっと安定した生活を営むことが出来るようになる。
 喜八が飲み屋で酔っ払っていると、例の母親が酌婦として現れる。事情を聞くと、娘が疫痢にかかり、お金が必要で酌婦になったという。喜八は、金は心配するな、という。
 喜八、食堂の女経営者に無心するが、断られ、泥棒をして、治療費30円を取ってくる。
それを二人の息子に渡して、例の母親のところへ持っていかせる。その間に、食堂の女経営者のところへいって、事情を打ち明け、しばらく息子二人の面倒を見てくれるように頼む。そして、警察に自首をする。

{批評}

音楽は「土橋式トーキー」によって流れるが、台詞の部分は字幕。うろ覚えだが、こういうのをサウンド映画といって、トーキーと区別していると記憶している。
 小津安二郎はこの当時、上流家庭、モボやモガ、大学生、サラリーマンを得意として描いていたが、この映画では、全く無学な下層労働者を描いている。同じ主人公と出演者による「喜八もの」と言われる5,6本の作品のうちの一つである。
 出だしのファーストショットは、空き地に置かれた巨大な木製の電線巻き。エスタブリッシングショットではなく、実に変わったファーストカットである。途中何度もこの電線巻きは登場する。このあたり、小津の風景ショット、空ショットの感覚は特徴的だ。作品全体のうらぶれた雰囲気を最もよく象徴する連想的モンタージュとしてこの道具を使っている。
 また、親子3人が並んで、それを斜め後ろから、横顔が写るように撮影する「並列構図」がこの作品でもみられる。小津の並列構図は『東京物語』などで顕著だが、すでにこの作品で使われている。
 下層労働者に眼が向けられている点、泥棒でトラブルを解決して自首する点、後年の小津安二郎の映画の扱う世界とは非常に異なっている。これは私の勝手な想像だが、この喜八ものは、山田洋次の「寅さん」シリーズの原型になったのではないだろうか? 寅さんと違って、喜八のキャラクターには喜劇性は少ないが、喜八の息子の一人が、喜劇的な存在として上手に描かれている。突貫小僧と言う名前の子役で、小津はこの子役を好んで使い、『突貫小僧』という小品もある。下町人情劇、ルンペン・プロレタリアートが主役であること、喜劇性の点で、「喜八もの」と「寅さん」は非常に近い。
 思いを寄せていた母親が酌婦となって偶然喜八の前に出てくる場面。喜八は、「あなただけはまっとうな職に就くと思っていたが、こんな仕事になぜ身を落としたのか」と言う。母親は涙を流して、娘が疫痢に罹り、お金が必要になったことを打ち明ける。
 このあたりは、戦前の時代風俗を知らないと理解しがたい。「酌婦」というのは「売春婦」を兼ねている、という事実が裏に隠れているのである。小津の『東京の女』でも、弟を大学に通わすために水商売に身を落とした姉が描かれ、これも売春婦で、弟はそれを苦にして自殺する。工場労働者の喜八がしばしば別座敷で酌婦相手に飲んでいる場面があるのだから、戦前の売春相場は相当に安かったのだろう。
 『生まれてはみたけれど』もそうだが、小津は子役の使い方が非常に巧い。この作品でも、喜八の息子二人が、娘と出会ったときに、ベロを出してベー、をする。女の子もベーをする。が、すぐに仲良しになる。
 こういう子供の無邪気な行動を演出させると小津は天下一品である。
上流家庭から浮浪者まで、大学教授からヤクザまで、小津安二郎の映画は幅が広い。基本的に職人監督としてスタートしている。そして熟練工になってから小津の独特の世界観が描かれるようになる。私が戦前の小津安二郎の映画を細かく見ているのはその軌跡を確かめたいからである。

青春の夢いまいずこ 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

大学生4人組(ロケ地はまたしても早稲田大学)、3人は応援団に入っているが、一人(斉木)は入っていない。母一人子一人なので、遊んでいる余裕がないからである。大学の横にベーカリー(喫茶店)があって、そこの可愛い娘(田中絹代が演じている)は、4人のアイドルである。
 そのうちの一人(主人公の堀野)は会社社長の息子。叔父が見合いの相手を連れてくるが、片っ端から断っている。4人ともダメ大学生でカンニングばかりやっている。
 堀野が試験を受けているときに、父が危篤になる。急いで帰るが、すでに手遅れだった。死んだ父に代わって彼が社長の座に就き、大学は中退する。遊び仲間の3人は卒業を迎えるが、折からの就職難で、堀野の会社に入れてくれるように頼む。堀野は入社試験の解答をあらかじめ教えて、仲間は3人とも合格する。
 仲良し4人組ではあったものの、入社すると社長と社員。社長の堀野は同級生たちの卑屈な態度にいらいらする。
 お見合いを勧める叔父(副社長)に対して堀野は、好きな娘がいることを告げる。その相手は喫茶店の娘。
たまたまその娘が喫茶店をやめて仕事を探していることを知り、自分の会社にいれることになる。
 堀野は3人の学生時代の仲間を集めて、みんなのアイドルだったその娘と結婚したいと思っているが異存はないかと念を押す。全員異存はないと答える。
 その直後、斉木の母親が息子の就職に対するお礼の挨拶に堀野を訪ねる。その際に、喫茶店の娘と斉木が結婚の約束をしていることを知る。堀野は娘のところに行って心を確かめる。娘は、性格のおとなしい斉木さんが可哀想で、せめて私のようなものが妻になって明るくしてあげたいと思っていることを告げる。
 斉木の家に3人の仲間が集まり、斉木を慰めている。そして夜になって3人が夜道を歩いているところに、堀野が現れる。堀野は、昔の仲間が、友情を忘れて卑屈な態度をとっていることをなじり、斉木が、恋人すらも身分の上下にこだわって手放そうとしていることに怒り、鉄建制裁を加える。20回も30回も殴りつける。斉木は心から詫びる。
 新婚旅行の当日、堀野と仲間たちは会社の屋上にいる。列車がそのそばを通過する。斉木夫妻は手を振る。仲間たちも手を振る。

{批評}

この作品には奇妙な緊張感があり、なかなかの傑作である。私は2度ばかり涙を流した。
一度目は、喫茶店の娘が、堀野の気持ちを知りながら諦めて、一番うだつのあがらない斉木のために、「私のようなものでも妻になって、あの人を明るくしてあげたい」と結婚の理由を打ち明けること。
二度目は、堀野が斉木に、失恋の痛みも幾分か込めて、昔の友情を忘れ、社会的身分の違いから恋人を手放そうとしたことに理由に鉄拳制裁するところである。小津安二郎の映画にはほとんど暴力シーンは出てこないので、この場面は非常に迫力がある。
 この作品は、お金持ちのお坊ちゃんが、上司と部下という関係になっても、学生時代の関係のまま友情を保ちたいと思いながら、友人たちはそれができないことにいらだつ、という非常にロマンティックなテーマが流れている。とっぴな連想のようだが、加山雄三の「若大将シリーズ」の走りのような映画で、理想主義者のブルジョアジーが青春の夢を追いかけ、周囲に幸福をもたらしていく痛快なドラマ、と言えよう。
 見過ごしてはならないことは、この当時は共産党支持者が非常に多かったことだ。映画批評の世界も左派が大きな力を持っていた。左派からみれば、ブルジョアと労働者は敵対関係にあり、労働者がブルジョア社会を階級闘争によって潰していくのが必然的な原理、ということになる。小津安二郎はその闘争原理に代わって、ブルジョアのヒューマニズムにより、両者が融和できる世界を描いている。この辺りに小津安二郎の社会観がよく現れている。
 最後に、空ショットについて。斉木が堀野が喫茶店の娘と結婚する、と宣言するのを聞いて、異存はない、と答えたときに、視点ショットではなく、天井の大きなファンが写る。そのファンが回転をやめて静止する。これは
連想のモンタージュにもなっている。
 また堀野が斉木をなぐる夜のシーン。これも途中で五回ほども道端のポブラの木が写される。これは怒りの鉄拳の時は、怒りの連想のモンタージュとして、宥和したときは、心の落ち着きの連想のモンタージュとして作用している。この二つの空ショットを見て、小津安二郎の独特の空ショットは、もともとはモンタージュに影響されたものであったことを確信した。ロシア的な、物語外からの唐突なショットではなく、物語内部の事物にショットが切り替わるので見過ごしてしまいそうだが、もともとは連想のモンタージュである。この空ショットの使い方が、後日有名な『晩春』の壷のショットを生み出すわけである。
 とにかく、重いテーマを持っているが、爽快な気持ちにさせてくれる佳作。
戦前の作品の中でこれまでに私が見た中では、『生まれてはみたけれど』の次にランクされる。小津安二郎研究の上では必見の映画である。
 

落第はしたけれど 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

五人の大学4年生が一部屋の下宿で暮らしている。いよいよ卒業試験。彼らは必死にカンニングの方法を考えている。結局、主人公の男(斉藤達雄)ひとりが落第する。彼には、近くのパン屋に恋人(田中絹代)がいるが、どうしても、落第したことをいえない。彼女は卒業祝いに手作りのネクタイをプレゼントして、活動写真を見に行こう、とせがむ。男が、落第のことをいいかけると、女は泣きながら「すべて知っています」と答える。
 卒業したほかの学生たちは新調の背広に着替えて就職試験に出かけるが、折からの不況のために、誰も就職できない。落第した男は、野球の応援に張り切って、また楽しい大学生活を続けている。

{批評}

小津安二郎は早稲田大学が好きなのか、この映画もロケは早稲田が使われている。「若き日」の学生も早稲田だった。最後は野球の試合に学生たちが夢中になる場面で終わるが、これも明らかに早慶戦を暗示している。
 とくになんということはない学生喜劇だが、しいて言えば、学生下宿のすぐ近所に勤めている田中絹代の若い姿がなんとも愛くるしい。
 私が大学院の時代に、聴講に来ていたアメリカ人の男がいて「何故昔の日本映画にはブスばかりでるのか」と聞いてきたことがある。この男は「美は普遍ではない」という文化人類学の常識を知らなかったようだ。戦後の日本では、アメリカ的な顔が美人とされているが、戦前の日本の美人は、ぜんぜん違ったのだ。映画によく小道具で使われる日本酒のポスターの芸者の顔や(『無法松の一生』にも出てきます)、この田中絹代のような愛くるしい顔が美人だったのである。原節子は例外で、欧米人のような彫りの深さが受けたものと思われる。
 さて、この作品は『卒業はしたけれど』『生まれてはみたけれど』など、○○けれど、のシリーズの一つで、喜劇であると同時に、そこはかとないペーソスが混じる。
 この映画でも小津は学生下宿の壁に映画のポスターを貼っている。「charming sinners」と見えるのだが、邦題は分からない(知っている人がいたら教えてください)。このパラノイア的な自己言及。戦前の小津映画には絶対といっていいほど、映画のポスターが出てくる。小津自身がかなりの活キチだったのだろう。
 この作品は、1930年という世界恐慌の波に日本も洗われた世相を反映しているが、我々が想像するほどこの時代の「都会の」不況は深刻ではなかった。この映画にしても、下宿の学生たちは全員就職できないのだが、どことなく呑気である。小型映画のこの時代の雑誌を見ていても、不況の影はまったく感じられない。つまり、大学に通っているレベルの中流以上の家庭においては、不況はそれほどでもなかったのである。一方、東北の農村などはむごいものだった。肥料代の代わりに、娘を売る、という行為がごく普通に行われていたのである。このあたり、都会と農村とでは不況のインパクトがはるかに異なっている。だから、この作品も、『卒業はしたけれど』も喜劇として成立するのである。
 この作品でも小津は面白い演出をしている。下宿の学生たちが歩くとき、肩を組み合って、足をそろえて左右に交差させ、ラインダンスのように歩かせるのである。これは、この作品の前に作った『朗らかに歩め』でも誇張して表現されている。アメリカ映画の真似なのか、あるいは当時の風俗なのか分からないが、陽気な戦前の日本人の姿がよく示されている。
 カメラワークや編集に関しては、小津特有のスタイルは消えている。喜劇ものでは小津スタイルは意識的に消しているのだろうか。もう少し戦前の作品を見てみないことには結論は出せないが、私が見てきた限りでは、悲劇『東京の女』から小津のローアングルや空ショットが登場する。