2018年
明けましておめでとうございます。
1月1日(月)
私の2018年は、
「あなたがどこに行ってあなたの神、主は共にいる」ヨシュア1:9
の、聖書のことばで始まった。
◇
昨年から引き継いで、書斎の机に貼り付けられているメモ書きは、
「過去への執着は?、、ない」
「0からのスタートを!」
「地域への伝道」
等々
◇
こんな私でも、神がいつも共にいてくださる。
それは、驚き。
🌸
午後、
インマヌエル教会で行われた、
長崎市内合同の
元旦祈祷礼拝に出席した。
S牧師がメッセージで語られた一言が深く心に届いた。
「IPS細胞でノーベル賞を受けた山中教授は、
『ノーベル賞は過去のことだ』と、言われた」
と言う。
午前の元旦礼拝で語らせて頂いたヨシュア記1章のメッセージと、
午後の申命記11章11~14節のみことばが、
祈りの中で一つになった。
内にかたまりつつある確信を、神様が再度、保証してくださったようにも思えた。
▽
今年こそは、今日の内に頂いた方だけでも年賀状をお出ししたいと、
帰路、ローソンで年賀状を買い、
深夜に至るまで、必死で取り組んだ。
私の様な者を覚えていてくださる一人一人に、心からの感謝を覚えつつ眠りについた。
1月2日(火)
6時の目覚まし。
感謝なことには、目覚めた時にはエアコンがすでにタイマーで作動していた。
今朝のみことばは、ヘブル11章。
信仰によって、私たちは目に見えない世界を、現実にする。
「彼らは、更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。」(16)
それゆえ、アブラハムは行き先を知らないで、出て行ったのか?
「信仰とは、のぞんでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確信する」
確信に立って、歩み出すべきだと、諭されているようにも思える。
◇
デボーションを終え、
昨晩、住所を書き、印刷した年賀状に小さな感謝を書き添えて、
郵便局までひとっ走り。
はからずもポストから年賀状を取り出している局員の方に直接自分の年賀状を手渡しできた。
お尋ねすれば、この年賀状は、早くても4日だろうということだった。
地方だと、もっと着くのが遅くなるに違いない。
今年もまた、かなり遅い賀状になるようで,
(お年賀頂いた方には、)
まことに、
失礼を御赦しください。
m(__)m
新年2日目の長崎の午後は、
☼
全く、快晴です。