2019年11月4日(月)
午前6時過ぎ、教会を出発。

時津港から船出。
段々と太陽の光が差しこんでくる。
朝明けの神秘的な景色の中で、フト思った。
・・・
この船が沈んでしまえが、泳げない私の人生はここまでなんだ、、
続いて私は、飛行機に乗る予定だけど、
空を飛べない私は、飛行機事故に遭遇すれば、それまでだ。
神さまは「空の鳥を見よ」と仰るけれど、
大空を飛べるの鳥たちであっても、
風雨がかれらを打ち落とすかもしれず、
飛行機で空を飛ぶ私もまた、
神さまの御赦しの中で、一瞬のうちに打ち落とされてもおかしくないのだ。
だと、するならば、
道を歩いていても、家で寝ていても、
神さまの御手の中で、今日一日を生きることもできれば、
今日一日で、命が絶えたとしても、おかしくないわけだ。
・・・
などと考えている内に、美しい夜明けを迎えていた。

5日(火)
大阪で用事を済ませ、
帰りの機内。


伊丹発長崎のANA午後の便は、1時間20分のフライトで、
昨日の朝の便からすれば15分も長いのはなぜだろう?
と、考えていたら、
目の前に美しい瀬戸内海が洋々とひろがり、
思わず目が釘付けになってしまった。
飛行機は、瀬戸内海上に沿って飛んでいるみたいだった。
明石大橋を越えると、
淡路島が見え、故郷の備前の瀬戸内沿いが見えた。
瀬戸大橋からシラナミ(?)街道
愛媛から大分、熊本、福岡空港上を越えると瞬く間に雲仙。
そして、飛行機は下降し、大村湾に浮かぶ長崎空港へ降り立った。
この景観は、神戸ー長崎便では見る事はできない。
私が長崎に来て空から見た一番美しいながめで、
恐らく、ANAならではのこの時間帯はプレゼンだったのかもしれない、
昔、ポートランドからロサンゼルスに飛んだ時、
グランドキャニオン上を飛行機は旋回し、
「これは、機長から皆さんへの特別なプレゼンテーションです」
と、アナウンスされた時のことを思いだして、
一人かってにそう思うことにした。
・・
安田オーシャンで車のキイを受け取ると、「1200円です」と言われ、
心の中で、「エ~~、以前は『いりません』と、言ってくれたのに、なぜ~??」
と、思ったけど気の小さな私は口に出せず、、、
それって、予算に入っていないんですケド!!
と、思いつつ車を走らせていた。
6日(水)
祈祷会
Hさんが影絵の下準備の為に早くこられ、集会後のハードスケジュールを考えて、
礼拝堂のお掃除を前倒しですることになった。
やがて、次次と人がこられ祈祷会がはじまった。
今日のメッセージは列王記上18章からエリヤとバアルの預言者との対決。、
幸いなF師のビデオメッセージを聞き、めぐみを分かちあう。
私たちは決してバアルのように、
偶像を神とはしないが、
心の中で、結局は自分の都合に合わせてしまう、という線引きしがいたい存在があることを、
それぞれに思い巡らし、語りあっていた。
そのような時、
リフォームの件で、遥々熊本からこられた(佐世保経由で)I兄が言われた。
「私の母は、自分勝手な聖書解釈は偶像礼拝と同じです、と言いました」と。
さすが牧師夫人。信仰的。切れが違う。
私はその言葉で、パッシと、靄がかかっていたような目が開かれた気がした。
実は、朝のデボーションで、アブラハムの妻サラが、
子どもが与えられなことが待ちきれず、と、言うより条件的に与えられるのは難しと考えたのか、
自分では無理だから夫に他の女性を通して子どもを得るようにと提案するところで、
「神が私に子どもを与えないのだから」と言えるほど、神様がわかっているにも関わらず、
自分の計画を実行させようと働きかける、、、
そんな姿が、なんだか自分の内にもあるように思えて、、自分に靄がかかったような気持ち、、
けれど、その兄弟のことばで、
「ソレだ!」と思った瞬間、靄がスっと消えた。
「そうだ、自分の思いが偶像になってしまうのだ。」と、思った。
7日(木)
活水学園中高クラス修養会。
高1Aの私のクラスは、12名編成の英語コースだった。
いつもは40名ほどの生徒が対象だったが、一人一人にしっかりと目線を合わせながら、
今回は、三浦綾子さんを紹介させていただく中、「原罪」について考えて頂くこととした。
最初に、NHKのビデオで三浦綾子さんを目で見て頂いた。
すると、どうだ、
ビデオを見る前と見た後の彼らの目の表情が変わっていたのだ。
高校1年生に三浦夫妻の姿はどのように映るか、幾分抱いていた心配はフッとンだ。
綾子氏が召される直前のパーキンソン病の手の震える様もビデオはそのまま映していたが、
マイクを手にしている人の前で、
ご主人の光世氏がそっと手の揺れを止めようとすると、
綾子さんが、「いえ、これはパーキンソンのご挨拶なのよ」と笑っていうのだが、
彼らの目にも、それがどんなに人間としてすばらしい生き様であるかがわかったようだった。
また、ある学生は言った。
「三浦光世さんは、自分は綾子さんにつくしていると皆さんに思われているが、
実は、綾子さんの方が自分につくしてくれていたのだ、」と、
感謝を込めて言われていた」その言葉が言えることがどんなにすばらしいことか、
その女学生にはわかったのだ。
一人一人、生きるということについて、真剣に考えて、真実な言葉の応答を得、
私もまた、大いに純真な女学生の心に触れてすがすがしく、感謝が心に溢れた。
8日(金)
美しい、三浦綾子文学講座のチラシができたので、
じっとしておれず、
図書館や学校に置いていただくように、
車で時津町内を走り回った。
不思議と、パーフェクトに時津の施設は図書館も公民館もこのチラシを置かせてくれることになった。
そして、公民館の図書館を管理されていた方が、「私も行きたい」と言ってくれた。
それだけでなく、
いくつかのマンションのポストにチラシを投函させていただいた中で、
一人の人が話しかけてくださり、
三浦綾子さんにはまったことがあると仰られたときには、
本当に嬉しかった。
❁
まだまだ、感謝は書き足らず、
溢れてとまらない。
けれど、時計の針はすでに12時を越え、
もう土曜日が始まってしまっているではありませんか。
感動がつきない一週間だったことを胸に秘め、
神さまに、すばらしい一週間に感謝して、
ソロソロ寝ないことには、、、、、
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