2020年4月1日(水)
なぜか5時過ぎに目がさめる。
「昨晩のコーヒーのせいカナ?」
時おり、このように早朝呼んでくださる神様に感謝して、
机に座り、聖書を開くと、カーテン越しにキレイな小鳥の鳴き声がきこえてきた。
しきりに心に浮かぶ讃美歌があり、
新聖歌で探しても見つからないので、
ネット検索をすると、あった。
♪
「静かに待てわが魂よ」(聖歌309)
ピアノとフルート演奏で、独唱されている方の賛美に心と耳を傾けた。
歌詞が心に迫ってくる。
先ほどから、しきりにカーテン越しに聞こえてくる小鳥の鳴き声もまた、
神さまを賛美していたことにきがついた。
今朝の通読聖書箇所は、
列王下19,20。
すでに北イスラエルは陥落し、
18章では南ユダ王国に信仰深いヒゼキア王が登場したが、
19章では初めて預言者イザヤの名前も。
アッシリア軍が、北から南ユダを攻め上り、
ヒゼキア王は「荒布を身にまとって主の宮に入った」
ところから、19章は始まている。
必死で神の助けを得ようと、
イザヤに祈りの応援を頼むヒゼキアに、
応えられた神のことば。
「ユダの家の中の逃れの者、残された者は
下に根を張り、上に実を結ぶ。
エルサレムから残りの者が、
シオンの山から。逃れの者が出て来るからである。
万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」
列王下 19:30-31
その結果、
「その夜。主の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十ハ万五千人を打ち殺した。
人々が翌朝起きて見ると、なんと、彼らはみな死体となっていた。」(19:35)のである。
こういうことが起こるノダ。
神を信じている人には。
だからと言って、ヒゼキア王が完璧な王であったという訳ではなく、
20章に入り、その愚かさにも唖然とするが、
しかし、そんな私たち一人一人に対しても神様という御方は、
「わたしはあなたの祈りを聞いた。
あなたの涙も見た。」(20:5)
と、言われるトハ、、
祈り終わって時計を見ると、7時をまわっていた。
📖
10時30分
聖書研究祈り会
今日のF師のDVDメッセージから、果たして神さまは何とお語りくださることだろうか?
と、ワクワクしながら、メッセージに耳を傾けようとしていたところ、
突然画面が消えて、出席された姉妹が、
「煙がでている」と、言われ、エ、エ、、と思いつつも、
F先生のメッセージが諦めきれず、
もう一度スイッチを入れてみたところ、
バチバチと、DVDホルダーの中でショートでもしたかの様な音と煙に
あわてて、電気の線をぬいた。
(と、思ったのは、賛美のプレイヤーの方だったのだけども、、)
これは、完全に壊れてしまったようだ。
しきりに二人で残念がりながらも、
姉妹が今朝の聖書日課で大変恵まれた証をしてくださった。
教団発行の聖書日課「ベラカ」によれば、
今朝は、
ヤボクの渡しでエソウに会う前のヤコブの祈りの箇所だったそうだ。
兄エソウに会うのを非常に恐れていたヤコブ。
けれど、
(祈りの中で)エソウの心が変えらたところから、
姉妹はきがついた(そうだ)。
自分で自分を変えるのは難しい。
まして、他者の心を変えることなどできそうにない。
けれど、神様は兄エソウの心を変えられた、、、
この聖書の記事から、
「自分自身も変えられるかもしれない」
という希望をもったそうだ。
姉妹の謙遜さにも感動したが、
それ以上に、
み言葉に日々養われていることのすばらしを目の当たりに拝見し、
言葉を失った。
Hallelujah!
主の聖名は褒むべきカナ!!
おおいに、おおいに御名を崇めた!!
🌇
感謝の一日が終わり、
夕暮れ、
気が付くと、朝の雨はいつしかやんで、
西の空がサーモンピンク色に染まっていた。
(この時間がなんとも言えず、心地良い)
今日、フェリーで新任地の土を踏んだM先生、
長崎を出発した、Jさん、
夢を追い求めて、いよいよ福岡での新生活がスタートされるHくん、
・・・
一人一人を思い浮かべながら、
祝福を祈った。
なぜか5時過ぎに目がさめる。
「昨晩のコーヒーのせいカナ?」
時おり、このように早朝呼んでくださる神様に感謝して、
机に座り、聖書を開くと、カーテン越しにキレイな小鳥の鳴き声がきこえてきた。
しきりに心に浮かぶ讃美歌があり、
新聖歌で探しても見つからないので、
ネット検索をすると、あった。
♪
「静かに待てわが魂よ」(聖歌309)
ピアノとフルート演奏で、独唱されている方の賛美に心と耳を傾けた。
歌詞が心に迫ってくる。
先ほどから、しきりにカーテン越しに聞こえてくる小鳥の鳴き声もまた、
神さまを賛美していたことにきがついた。
今朝の通読聖書箇所は、
列王下19,20。
すでに北イスラエルは陥落し、
18章では南ユダ王国に信仰深いヒゼキア王が登場したが、
19章では初めて預言者イザヤの名前も。
アッシリア軍が、北から南ユダを攻め上り、
ヒゼキア王は「荒布を身にまとって主の宮に入った」
ところから、19章は始まている。
必死で神の助けを得ようと、
イザヤに祈りの応援を頼むヒゼキアに、
応えられた神のことば。
「ユダの家の中の逃れの者、残された者は
下に根を張り、上に実を結ぶ。
エルサレムから残りの者が、
シオンの山から。逃れの者が出て来るからである。
万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」
列王下 19:30-31
その結果、
「その夜。主の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十ハ万五千人を打ち殺した。
人々が翌朝起きて見ると、なんと、彼らはみな死体となっていた。」(19:35)のである。
こういうことが起こるノダ。
神を信じている人には。
だからと言って、ヒゼキア王が完璧な王であったという訳ではなく、
20章に入り、その愚かさにも唖然とするが、
しかし、そんな私たち一人一人に対しても神様という御方は、
「わたしはあなたの祈りを聞いた。
あなたの涙も見た。」(20:5)
と、言われるトハ、、
祈り終わって時計を見ると、7時をまわっていた。
📖
10時30分
聖書研究祈り会
今日のF師のDVDメッセージから、果たして神さまは何とお語りくださることだろうか?
と、ワクワクしながら、メッセージに耳を傾けようとしていたところ、
突然画面が消えて、出席された姉妹が、
「煙がでている」と、言われ、エ、エ、、と思いつつも、
F先生のメッセージが諦めきれず、
もう一度スイッチを入れてみたところ、
バチバチと、DVDホルダーの中でショートでもしたかの様な音と煙に
あわてて、電気の線をぬいた。
(と、思ったのは、賛美のプレイヤーの方だったのだけども、、)
これは、完全に壊れてしまったようだ。
しきりに二人で残念がりながらも、
姉妹が今朝の聖書日課で大変恵まれた証をしてくださった。
教団発行の聖書日課「ベラカ」によれば、
今朝は、
ヤボクの渡しでエソウに会う前のヤコブの祈りの箇所だったそうだ。
兄エソウに会うのを非常に恐れていたヤコブ。
けれど、
(祈りの中で)エソウの心が変えらたところから、
姉妹はきがついた(そうだ)。
自分で自分を変えるのは難しい。
まして、他者の心を変えることなどできそうにない。
けれど、神様は兄エソウの心を変えられた、、、
この聖書の記事から、
「自分自身も変えられるかもしれない」
という希望をもったそうだ。
姉妹の謙遜さにも感動したが、
それ以上に、
み言葉に日々養われていることのすばらしを目の当たりに拝見し、
言葉を失った。
Hallelujah!
主の聖名は褒むべきカナ!!
おおいに、おおいに御名を崇めた!!
🌇
感謝の一日が終わり、
夕暮れ、
気が付くと、朝の雨はいつしかやんで、
西の空がサーモンピンク色に染まっていた。
(この時間がなんとも言えず、心地良い)
今日、フェリーで新任地の土を踏んだM先生、
長崎を出発した、Jさん、
夢を追い求めて、いよいよ福岡での新生活がスタートされるHくん、
・・・
一人一人を思い浮かべながら、
祝福を祈った。
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