2018年8月6日(月)
午前、この暑さで、不調を来された方を訪問。
以前、私が体調を崩していたとき、
ポカリスエットが届けられて、みるみる回復した時のことを思いだして、
アクエアリス(失礼ながらも、その日のバーゲンであったので、)を、お届けした。
訪問先の駐車場でご主人に出会った。
少し回復されている様子をお聞きできて、感謝だった。
「来週の礼拝にはでたい」というメールが届いた。
8月7日(火)
今日は、五島の友人を見舞った。
(近頃、お見舞い続きだ)
友人はかつて、「何もしないで良い、来なくても良い」と言ったが、やはり気になり、
朝8時のフェリーで福江中央病院へ。
骨折して、入院二カ月がたっていた。
8年前、長崎赴任より5年余り、めぐみ教会に献金を送り続けてくれた
教会にとっても大切に方である。
純心さと愛に溢れている友人ではあるが、
チョット理解しにくい一面もあって、
「来ないで良い、と言うなら、追い返される可能性もあるわけだ、・・・」
と思いつつ、病室を訪ねたら、
以前からすれば、ふっくらとしてきている私の顔形を見分けることができず、、、
私であることに気が付いた時の衝撃で、追い返されるどころか、
「何を食べるとそんなに太れるのか?」
と、しきりに聞かれた。
「68キロはあるだろう?」と、言ったので、「いや、63キロだ!」と、
正確な数字を伝えた。
1時間たっても話はつきず、「さいごにお祈りをしよう」ということになり、
バスの時間に間に合わないといけないからと、私の祈りを早く打ち切らせて、
しっかりと私のために祈ってくれた
共に、年はとったものの、ヤッパリ友達はイイものだ。
☆
午後、
遅めのランチを福江商店街のお寿司屋さんでとった。
ナント、吉永小百合さんらしき人が店主夫妻らしき方々と一緒に写っている写真が貼られていて、
吉永さゆりさんは、これが、70才を迎える人の顔だろうか?と、思えるほど若々しく、
お寿司屋さん夫妻は、本当にこの写真の方と目の前におられる店主が同じ方かと思えるほどで、
見分けるのに少し時間がかかった。
続いて、
H姉に連絡をとると、車で迎えに来てくださって、
ターミナルの2階で短い礼拝のひと時をもつことができた。
元気そうなH姉の姿を見るだけで救われる思いだったが、
最近私自身が恵まれている詩篇121篇を分かち合った。
私たちはいつ主が来られても良いように備えをしてゆく必要があると、
最近、トミに感じている。
来春からはめぐみ教会で毎週礼拝がご一緒できますように!
帰りのフェリーから見た東シナ海の夕日です。
実はこれが楽しみだったのです。
8日(水)
聖書研究祈り会
今日は役員奨励の日で、私としても、とても楽しみな水曜日。
担当だったM姉は、「十分な準備ができなかった」と、少し落ち込んでおられるご様子だった。
けれど、「何も与えられなかった」と、ありがままに、真実に告白される姉妹の姿こそ、
人の手によらない、真実なメッセージ以上のメッセージに思えた。
姉妹が神さまに愛されている所以を垣間見る思いだった。
9日(木)
今日は、長崎原爆投下祈念日。
今から71年前、一瞬にして、7万人の命が消えた。
以後、原爆病に苦しみながら、倍以上の人たちが次々と亡くなられた。
平和公園には県の主だった人たちは勿論のこと、今年は国連総長の演説もあるとのことで、
投下時刻の11時2分に合わせて、急遽、出かけることにした。
正式な会場には、招かれていない人は入れてもらえないが、
入り口付近で、マイクから流れる演説をはっきりと聞くことができた。
この街で生きている人たちは、
原爆の悲惨さを世界に発信していく使命があることを、マイクを手にされた人たちは誰もが訴えていた。
外国から来られた国連総長でさえそれを言われていた(と、思うが、、何分通訳がなかったので、)
日本の総理大臣の声も、はじめてマイクどおしできくことができたが,
隣におられたご婦人方が、
原爆とは全く関係のないことを、ズーート話されていて、
総理の演説の時にだけ、なぜか、
「この方は少し舌たたらずな言い方をされる」と、演説に関することを言われたので、
その印象の方が深く残ってしまった。
ところで、総理の演説は何だったのだろう?
長崎から、平和の鐘が世界に向かって鳴り続けることを、
と、願いつつ、、、
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