葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

虚の氣。

2016-12-16 07:56:08 | 雑感
 氣はあるのか、無いのか?
 私の見解は、「有ることと無いことの両方を含む」だ。
 何というか、私にとっては氣と神と道(みち、ではなくてタオの方)は、ほぼ同義語なのだ。

 だがこうした表現はどうもリアリティに欠ける。
 そこで氣の意味をもう少し狭くして考えてみた。

 つまり氣というのは、数学でいう虚数のようなものではないかと。
 実際には存在しないが、あるということにしておくと便利、ということだ。

 だから、氣が物理的に存在するということに囚われたり、その効果を大袈裟に喧伝するのは危険だと思う。
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