19日にオンエアされていたNHKの「歴史探偵」を録画して、翌日に観た。
この回は長篠の戦いについての特集で、信長・家康連合軍側の鉄砲三段撃ちが、実は早い者順のドンドン撃ちだったのではないかという説を主軸に番組が展開されていた。
三段撃ちについては、何年も前にこれを否定するような本を読んだ記憶がある。
歴史の転換点になるような戦いに興味を持つ人は多いだろうから、残された資料から新説が出てくる可能性も高くなるだろう。
ただ、私は記録に残っているからといって、人類史がイコール戦争の歴史だとは思っていない。
戦争とか勝った負けたとかいう話は、分かりやすくて記録がしやすいから、それは歴史に残るだろう。
だが実際には、斬り合いも撃ち合いも真っ平という人の方がずっと多いだろうし、そういう人達の思考や行動が人の世界を作っているのだと思う。
さて、特にフィクションの世界では、信長などは人格者として描写されることも増えたようだが、私はやっぱり信長はどうかしている人だと思う。
というか、戦国武将全般について、基本的にお近づきにはなりたくないと思う。
いや、こういう分かりやすく戦う人達ってキャラが立ちやすいから、それこそフィクションの世界では重宝されるし、その物語をもってうっかり?ファンになることもあるだろうが、側にいたら大変ですよもう。
ちなみに件の番組を観て強く感じたのは、信長という人は、肝心な所では特に「リスクを取らない」ことを心がけた人なのかな、ということである。
鉄砲に対するスタンスなど特に。
で、勝負で大事なのはやはりリスクを取らない、ひいてはミスの発生を抑えることで、華麗なファインプレイに期待するのは上策ではないのだろう。
もっとも、武将という人種は「戦争で活路を見出す」ことを選択した時点で、既に大きなリスクを背負っているともいえるか。
ではローリスクを突き詰めるとどうなるのか。
組織を作るなら、孤立しないことを目的に編成し、大きくすることを目的としない。
勝った負けたのゲーム的な世界を避ける。
結果として、記録には残らず、ひっそりと過ごすことになる。
いや、老子っぽいなあ。
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