葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

抓拿にしよう。

2021-05-30 10:02:02 | 養生

 足の趾でグーチョキパーを作る、という体操がある。
 足の動きを整えたり、気分転換にもいい動きだと思う。

 ちなみに私は入浴中、浴槽に浸かっている間に幾つかの体操をしている。
 僅かな時間でも有効に使おうというよりは、ついダラダラと浸かりっ放しにならないように、タイマー代わりに行っている、という意味が大きい。
 場所が場所なので大きな動きは出来ないから、手先足先だけのものになるが、そういう意味でも前述の趾でのジャンケンは手頃である。
 だが実はこの趾ジャンケン、長年にわたって大きな問題を抱えていたのだ。

 私はトレーニングで行っている体操や動きの一つ一つに、名前をつけている。
 その命名の基準は
 *漢字二文字であること。
 *同じ漢字を使用しない。例えば「劈拳」と「崩拳」だと拳という文字が被っているから、どちらかを諦めるか、拳ではなく捶という文字にする。
 *既に存在する言葉を用い、造語をしない。
 *上記三点を満たす限りにおいて、言葉の本来の意味と動きは必ずしも一致しなくてもよい。
 といった感じである。

 何故こんなことに拘るかというと、こういった形で制限をかけなければ、あんな動きもこんな動きもやりたくなって収拾がつかなくなるからだ。
 また、命名というハードルを設けることで、その動きの必要性や意欲を確認するという意味もある。

 頂肘や崩拳といった拳術の動きや、蹲起(スクワット)、横叉(左右開脚)などは、そのまんまなので簡単である。
 ランジは鹿奔、腕立て伏せは双按(鉄牛耕地は四文字なので不可)といった具合にちょっと捻りが入る。

 で、困ったのが件の趾ジャンケンだ。
 ジャンケンということに注目すると、「虫拳」や「石拳」といった言葉があるが、既に「崩拳」という言葉があるので却下。
 「三竦み」は送り仮名を排せない。
 「三才」だと観念的過ぎる。
 そんなこんなで、「ああもう面倒だからこの動きは止めよう」と何度も思い、でも結構面白いので復活したりを繰り返していたのだ。

 で、何度目かの復活の切っ掛けになったのが、5月23日にオンエアされていた「ゲンキの時間」である。
 この日は足の特集で、エクササイズとして趾を曲げる、伸ばすという動きが紹介されていたのだ。
 これはジャンケンのチョキを省いたものだが、いや、タオルギャザーなどでも分かるように、別にグーパーだけでも十分に効果があるし気分もいいのである。

 そこで改めて「チョキ」を排し、趾の屈伸という動きで名前の再々…検討を開始。
 「鷲掴」を経由して、辿り着いたのが「抓拿」である。

 抓拿とは、中国語で「(人や動物を)捕まえる」という意味で、まあ便宜上「ソウナ」と読むことにする。
 特筆すべき?なのは、この言葉、鷹爪翻子拳の訓練法の中で「飛布抓拿」とか「木站打叩抓拿法」といった具合に使われているのだ。
 いや、これらの動きが実際にどんなものなのかは不明である。
 想像は出来るけれど。画像も動画も無いし。
 だが何といっても「鷹の爪の拳」である。
 大空を舞う鷹が、華麗に急降下し、鋭い鉤爪で獲物を捕らえるイメージが湧くではないか。
 まさに、趾を握ったり開いたりする動きを表す言葉として相応しいといえよう。
 というわけで、趾を屈伸させる動きの名前は、めでたく「抓拿」と相成ったのだ。

 まあこういったことがどうでもいい人にとっては本当にどうでもいいことだろうが、私にとっては積年の煩いが除かれた気分である。

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