葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

魅惑の背中とか重量とか回数とか。

2019-09-29 16:24:03 | 養生
 
 写真の鉄アレイは、私がまだ西大寺のアパートで独り暮らしをしていた二十代の頃に、近所のホームセンターで購入したものだ。
 もう30年近く前になるか?もはやレトロといってもいいデザインである。
 購入時はグリップ部分にビニールテープがぐるぐる巻きにしてあったのだが、使っているうちにベタベタしてきたので剥がしてしまった。
 
 と、いってもそれほど長期間に渡って使っていたわけではない。
 ちょっと重いものを持ち上げるトレーニングもやってみたいなあ、でも本格的なダンベルを買うのはちょっとなあ、と色々考えた末、物は試しに買ったのはいいが、何しろ5キロなので、負荷が軽過ぎたのだ。
 
 基本的に私は、運動には道具を使わないことにしている。
 トレーニングギアの魅力は恐ろしいもので、うっかり手を出すと「この道具の方がいいのではないか、いやあちらの方が?これはこんな使い方もできるぞ」「もっと負荷が欲しいなあ。あのサプリも飲んでみたいなあ」と、動くことよりも道具のことを考える時間が長くなるリスクが高いからだ。
 だから筋トレ的な動きについては、現在は9割が自重のスクワット系の動きで、1割が普通の腕立て伏せをしている。
 
 だが、自重では刺激を与えるのが難しい部分がある。背中だ(懸垂は自重だが、鉄棒が必要)。
 そして私は、僧帽筋と広背筋と大円筋がくっきりと見分けられるような凸凹の背中に憧れているのだ。
 で、先週の頭に、何となく気が向いて、件の鉄アレイでショルダープレスだのローイングだのをやってしまった。
 久しぶりの動きだったので、軽くではあるがバンプアップした感じが心地よかったのだが、それがきっかけで背中のトレーニングについて検索を始めたりして、こういう調べ物や、実際に動いての確認はとても楽しいので、簡単に睡眠時間が減ってしまった。
 それで筋肉が減少したら、本末転倒ではないか。
 幸い、数日で頭が冷えたのだが、危ないところであった。
 
 しかし、このことで改めて思ったが、負荷の調整というのは本当に難しいものである。
 筋トレをする際に、重量と回数に囚われてはいけない、筋肉をどう鍛えたいのか、目的をはっきりさせた上で適切な負荷をかけるべき、というのは多くの人が知るところだ。
 
 しかし、重量と回数の魅力は大きい。だから私は道具を使わないようにしている。
 自重でも丁寧に動けば、かなりの負荷になるからだ。
 だが自重でも、回数の魅力にはまりそうになることはある。
 例えば同じ動きでも、仮に十回やると決めておけばできるが、最初に回数を決めずに、疲れたと感じるまでやる、という方法だと、ほんの数回しかできなかったりする。
 だから最初に回数の設定を多くし過ぎると、関節が悲鳴を上げるリスクが高まる。
 
 まあ何にせよ、私は重いものを上げ下げするよりは、(主に拳術の)動きの中で(結果的に)筋肉を練るようにしているので、鉄アレイは使っていない。
 道具を本来の用途で使用しないのは、その道具に対して非常に申し訳ない話だ。
 
 が、いつのまにかこの鉄アレイは、チーコさんが二の腕の引き締め等で使用するようになっており、彼女がフレンチプレスなんぞをやっている姿を見て、ちょっと感謝したりしているのである。
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