葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

入力と処理と。

2020-05-24 09:58:24 | 養生

 18日の月曜日に、勤め先で布マスクを頂いた。
 が、サイズがかなり大きめだったので、耳にかける紐を少し縫って短くしてみた。

 いや、実は老眼が気になりだして以来、縫うのはまだいいのだが、それ以前に針に糸を通すのが一苦労で、縫う時間より針孔を睨んでいる時間の方が長いぐらいなのだ。
 で、この記事に書いた拡大鏡をかけてみたら、あらあらびっくり。
 針に糸を通すのも縫うのも楽々ではないか。
 一応は拡大鏡をかけずとも、針孔も糸の先も見えてはいるのだが、実用に堪えるほど見えてはいなかったわけだ。

 人間は、色々な意味で思った以上に回りが見えていないものだが、こうも単純な意味で見えておらず、尚且つそのことに気付いていないとは、いっそ清々しいではないか。

 まあしかし、必要な情報が入力されさえすれば、まだ脳にはそれを適正に処理する力がある、ともいえるわけだ。
 うん。ガボールパッチに取り組む人の気持ちが分かるような気がする。

 私は原則としてトレーニングには道具を使わない主義なので、ガボールパッチの本は買わないが、毎日数分でも寄り目や片目ずつで指紋を見る練習をしている。
 裸眼での縫い物にこだわっていたのも、訓練の一環という側面があったからだが、まあこれからは柔軟に対応するとして、目の訓練自体は気長に続けていくとしよう。

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