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ZARD 坂井泉水を救急車で運んだ時、スタッフが本名、年齢を知らず…
永遠の歌姫 ZARDの真実 第3回
2017/5/27 07:00
2017年5月27日、10回目の命日を迎えたZARDのボーカル・坂井泉水さん。その最初から最後までレコーディング・エンジニアを務めたのが、島田勝弘氏だった。
坂井さんとの最後のレコーディングは2006年4月。
スタジオに響いた坂井さんの歌声に島田氏は心が震え、鳥肌が立った。
その日、所属するレコード会社、ビーイングの所有するスタジオ、バードマンウエストに、坂井さんは母親に付き添われて現れた。
この数日前、彼女に子宮頸がんが見つかり、6月には摘出手術を受けている。レコーディングしたのは「グロリアス マインド」。
タイアップの話が進んでいたため、病を押してでも、サビだけは録音する必要があったのだ。
レコーディングできる体調ではない――。
島田氏は思った。しかし、坂井さんはヴォーカル録音のブースに入り、いつも通り、外から見えないようにカーテンを引いた。
デビュー当初から、周囲の目を気にせずに思いきり歌えるようにと、ヴォーカル・ブースは中が見えないようにカーテンで遮られた。口を最大限開いて歌っても恥ずかしくないように配慮されたのである。
ところが、次の瞬間、島田氏は自分の耳を疑った。スピーカーから響いた坂井さんの声には、万全なコンディションで臨んでいたかつてのレコーディングを彷彿させるほどの力があったのだ。
「自分のすべてを声にしたという歌でした」
3テイクほど録音したら、坂井さんは母親とともにスタジオを後にした。その間わずか30分弱。一人残された島田氏はコンソールの前でしばらく動けずにいた。
■坂井泉水からもらった驚きのプレゼントとは?
島田氏が坂井さんと出会ったのは1990年。ファーストシングル「Good-bye My Loneliness」のレコーディング前である。坂井さんが気を遣わないようにと、若手スタッフを中心にZARDのスタッフが集められ、総合プロデューサーの長戸大幸氏に招集された。それから、最後のレコーディングの「グロリアス マインド」まで、坂井さんの全キャリアのレコーディングに携わった。
一致団結して作品を作るZARDのプロジェクトの中心にはいつも坂井さんがいた。そして、坂井さんのスタッフへの気遣いが団結力をさらに強くした。
島田氏は誕生日にシルクのパジャマをもらったことがある。
そこには次のメッセージが添えられていた。
<お誕生日 おめでとうございます(ハートマーク)
大した物ではありませんが、良かったら
使って下さい。実はちょっと サイズが(特におなかが……)
心配なのですが、もし小さかったら
奥様に貸してあげて下さいね(笑)
坂井泉水>
誕生日にケーキを用意してくれたこともあった。
<Dear シマダさん(ハートマーク)
40('')歳 お誕生日
おめでとうございます
いつも長時間のレコーディングで
大変だと思いますが……
お互い体を壊さないように
より良い作品を作り続けたいですね
なぁ~んて まじめな文章になっちゃいましたが、
ケーキ食べて下さいね(ハートマーク)
泉水>
このメッセージカードを今も島田氏は大切にもっている。
「パジャマはもったいなくて、1度も着ていません。実は今回このインタビューに対応することが決まった時に妻が思い出して、仕舞ってあったパジャマと手紙を見せてくれました。今も坂井さんにいただいたままの状態です。こうした気遣いをとてもされる人でした。実は僕、今年の3月に還暦を迎えたのですが、かつてのアシスタントたちがお祝いをしてくれました。その時に、以前ZARDのサブエンジニアをやっていた山田宗明君がシャンパンを持ってきてくれたんですけど、なんと、彼が会社を辞める時に坂井さんからもらったシャンパンでした。彼も、もったいなくて、18年間開けずに大切に持っていたそうです」
■身近なスタッフでも坂井泉水の本名を知らず
こうして話を聞いていると、坂井さんとスタッフとの心の距離は近く、絆の強さもうかがえる。しかし、同時に、おたがいのプライベートには立ち入らなかった。
「ZARDの後期だったと思いますが、どの曲のレコーディングだったか……、常に全力で歌う坂井さんが過呼吸で倒れたことがありました。救急車を呼んで、病院まで僕が付き添いました。救急車の中では、救急隊員に坂井さんについてさまざま確認されます。名前、年齢、血液型……など。その時に、自分でも驚いてしまったのですが、僕は彼女のことを何も知りませんでした。本名すら言えなかった。ZARDの初期ではありませんよ。もう十何年も一緒にレコーディングをしていたにもかかわらず、坂井泉水という名前しか答えられなかったんです。ああ、坂井さんについて、僕は何も知らずに仕事をしていたんだ、と複雑な気持ちになったことを覚えています。そして同時に、彼女がスタジオでは、“ZARD・坂井泉水”であり続けたことを実感しました」
坂井さんの入院中も、島田氏は直接会うことはなかった。
「次のレコーディング、楽しみにしていますね」
電話での坂井さんの様子はいつも通りだったそうだ。
「うん。気を遣われるといけないので、お見舞いは遠慮しますね」
島田氏は応えた。
「レコーディング途中の『グロリアス マインド』の話をしたと思います。タイアップ用のサビだけ録って、ほかの部分は英語詞の仮歌の状態でしたから」
電話から数日後、坂井さんは不慮の事故により、帰らぬ人となった。
■盗まれたスタジオの愛用マグカップ
特に忘れられない曲がいくつかある。
「まず、エンジニアの立場で好きなのは『心を開いて』です。音のバランスを整えて仕上げるミックスをアンディ・ジョーンズさんが手掛けました。アンディさんは、ローリング・ストーンズの全盛期の『スティッキー・フィンガーズ』『メイン・ストリートのならず者』『山羊の頭のスープ』『イッツ・オンリー・ロックンロール』やレッド・ツェッペリンの『レッド・ツェッペリンII』『レッド・ツェッペリンIII』『レッド・ツェッペリンIV』『聖なる館』などを手掛けている腕利きで。B'zのレコーディングに携わって、その後に『心を開いて』も依頼しました。コンピューターで打ち込んだデジタルのドラムスなのに、ものすごく躍動感がある仕上がりになっています」
ストーンズとツェッペリン。世界最高峰のロックバンドのそれぞれ全盛期のアルバムを手掛けている世界一級のエンジニアが、ZARDのサウンドを手掛けていたのだ。
「この曲は生沢佑一さんと川島だりあさんのコーラスも素晴らしい。僕自身気に入っているし、坂井さんも喜んでくれて、FAXで彼女のハナマルマークが送信されてきました」
島田さんが2曲目にあげたのは「雨に濡れて」。
「僕は学生時代にドラムスをやっていまして、ドラマー目線で好きなのが『雨に濡れて』です。打ち込みのドラムスが多いZARDの楽曲の中で、この曲は青山純さんが叩いています。青山さんは2015年に若くして亡くなられましたが、山下達郎さんやMISIAさんのバンドのドラマーでした。青山さんの演奏は、2拍目と4拍目のスネアドラムがほんの少し後ろに聴こえるんですよ。そのわずかなタイミングの違いによって、坂井さんの声と一緒に歌っているように聴こえる。歌詞に描かれている、雨のホームや、涙でにじむ歩道の風景がほんとうに見えるような曲です」
ザ・スクエアやプリズムのメンバーとしても活躍した青山さんは、1980年代から2000年代の日本のポップシーンを代表するドラマーの一人だった。
1曲1曲の質を高めるための、坂井さんの思いはすさまじかった。それは、スタジオワークにも表れていたそうだ。
「納得するまで何度でも歌いました。アレンジも、ミックスも、何度も何度も。作業は毎回CDの発売ぎりぎりまで行われて、時には発売後も直します。『運命のルーレット廻して』という、アニメ『名探偵コナン』のタイアップになった曲ではシングルおよびアルバムで20回以上アレンジをやり直しました。確かCDの発売日も変更になったはずです。この曲は、アニメでオンエアされた初期と後期では、まったく別バージョンになっています。アコースティックギターによるラテンのテイストの導入部のバックに、途中から打ち込みのドラムスがあったり、なかったり。ギターのソロも、打ち込みのベースラインやシンセも、ヴォーカルのリバーブも、かなり直しています。シングルリリース後にもミックスをやり直しているので、シングルバージョンとアルバムバージョンを聴き比べていただければはっきりとわかるはず」
坂井さんは自分の作品の客観視を常に意識していた。
「アーティスト目線とリスナー目線。常に両方を持つように心がけていたと思います。自分の歌は、歌った直後は、自分ではなかなか判断できません。だから、何パターンも、当時はカセットテープに録音して、自宅に持ち帰って家族に聴かせて、その反応を確認していました。その結果、歌詞、メロディー、アレンジ、ミックス……が直しを重ねるごとに調和していきました」
坂井さんはひと度スタジオに入ると、その集中力はすさまじかった。
だから、ヴォーカルレコーディングのブースをカーテンで仕切る以外にも、彼女が集中できるように、島田氏は心がけていた。
「ZARDのレコーディングでは、僕は必ず1時間以上前にスタジオに入り、準備を整えました。レコーディングの準備に加え、のど飴や坂井さん専用の加湿器などを用意して待ちます」
「坂井さんが100%の力を発揮できる環境を用意するのも僕の役割ですから」
喉を大切にする坂井さんは、デビューしてしばらくすると、カモミール・ティーを持参し、自分が持ち込んだマグカップで飲むようになった。
レコーディング後に島田氏がそのマグカップを洗って次に備えていた。
その場所に坂井さんはもういないが、今もスタジオには当時、使ったグッズが置いてあるという。
※マグカップは2011年のZARD展で展示中に盗難されてしまったという。坂井さんがいたスタジオへ再び戻して欲しいと、ZARDのスタッフたちは願い続けている。
(文/神舘和典)
ZARD 坂井泉水を救急車で運んだ時、スタッフが本名、年齢を知らず…
永遠の歌姫 ZARDの真実 第3回
2017/5/27 07:00
2017年5月27日、10回目の命日を迎えたZARDのボーカル・坂井泉水さん。その最初から最後までレコーディング・エンジニアを務めたのが、島田勝弘氏だった。
坂井さんとの最後のレコーディングは2006年4月。
スタジオに響いた坂井さんの歌声に島田氏は心が震え、鳥肌が立った。
その日、所属するレコード会社、ビーイングの所有するスタジオ、バードマンウエストに、坂井さんは母親に付き添われて現れた。
この数日前、彼女に子宮頸がんが見つかり、6月には摘出手術を受けている。レコーディングしたのは「グロリアス マインド」。
タイアップの話が進んでいたため、病を押してでも、サビだけは録音する必要があったのだ。
レコーディングできる体調ではない――。
島田氏は思った。しかし、坂井さんはヴォーカル録音のブースに入り、いつも通り、外から見えないようにカーテンを引いた。
デビュー当初から、周囲の目を気にせずに思いきり歌えるようにと、ヴォーカル・ブースは中が見えないようにカーテンで遮られた。口を最大限開いて歌っても恥ずかしくないように配慮されたのである。
ところが、次の瞬間、島田氏は自分の耳を疑った。スピーカーから響いた坂井さんの声には、万全なコンディションで臨んでいたかつてのレコーディングを彷彿させるほどの力があったのだ。
「自分のすべてを声にしたという歌でした」
3テイクほど録音したら、坂井さんは母親とともにスタジオを後にした。その間わずか30分弱。一人残された島田氏はコンソールの前でしばらく動けずにいた。
■坂井泉水からもらった驚きのプレゼントとは?
島田氏が坂井さんと出会ったのは1990年。ファーストシングル「Good-bye My Loneliness」のレコーディング前である。坂井さんが気を遣わないようにと、若手スタッフを中心にZARDのスタッフが集められ、総合プロデューサーの長戸大幸氏に招集された。それから、最後のレコーディングの「グロリアス マインド」まで、坂井さんの全キャリアのレコーディングに携わった。
一致団結して作品を作るZARDのプロジェクトの中心にはいつも坂井さんがいた。そして、坂井さんのスタッフへの気遣いが団結力をさらに強くした。
島田氏は誕生日にシルクのパジャマをもらったことがある。
そこには次のメッセージが添えられていた。
<お誕生日 おめでとうございます(ハートマーク)
大した物ではありませんが、良かったら
使って下さい。実はちょっと サイズが(特におなかが……)
心配なのですが、もし小さかったら
奥様に貸してあげて下さいね(笑)
坂井泉水>
誕生日にケーキを用意してくれたこともあった。
<Dear シマダさん(ハートマーク)
40('')歳 お誕生日
おめでとうございます
いつも長時間のレコーディングで
大変だと思いますが……
お互い体を壊さないように
より良い作品を作り続けたいですね
なぁ~んて まじめな文章になっちゃいましたが、
ケーキ食べて下さいね(ハートマーク)
泉水>
このメッセージカードを今も島田氏は大切にもっている。
「パジャマはもったいなくて、1度も着ていません。実は今回このインタビューに対応することが決まった時に妻が思い出して、仕舞ってあったパジャマと手紙を見せてくれました。今も坂井さんにいただいたままの状態です。こうした気遣いをとてもされる人でした。実は僕、今年の3月に還暦を迎えたのですが、かつてのアシスタントたちがお祝いをしてくれました。その時に、以前ZARDのサブエンジニアをやっていた山田宗明君がシャンパンを持ってきてくれたんですけど、なんと、彼が会社を辞める時に坂井さんからもらったシャンパンでした。彼も、もったいなくて、18年間開けずに大切に持っていたそうです」
■身近なスタッフでも坂井泉水の本名を知らず
こうして話を聞いていると、坂井さんとスタッフとの心の距離は近く、絆の強さもうかがえる。しかし、同時に、おたがいのプライベートには立ち入らなかった。
「ZARDの後期だったと思いますが、どの曲のレコーディングだったか……、常に全力で歌う坂井さんが過呼吸で倒れたことがありました。救急車を呼んで、病院まで僕が付き添いました。救急車の中では、救急隊員に坂井さんについてさまざま確認されます。名前、年齢、血液型……など。その時に、自分でも驚いてしまったのですが、僕は彼女のことを何も知りませんでした。本名すら言えなかった。ZARDの初期ではありませんよ。もう十何年も一緒にレコーディングをしていたにもかかわらず、坂井泉水という名前しか答えられなかったんです。ああ、坂井さんについて、僕は何も知らずに仕事をしていたんだ、と複雑な気持ちになったことを覚えています。そして同時に、彼女がスタジオでは、“ZARD・坂井泉水”であり続けたことを実感しました」
坂井さんの入院中も、島田氏は直接会うことはなかった。
「次のレコーディング、楽しみにしていますね」
電話での坂井さんの様子はいつも通りだったそうだ。
「うん。気を遣われるといけないので、お見舞いは遠慮しますね」
島田氏は応えた。
「レコーディング途中の『グロリアス マインド』の話をしたと思います。タイアップ用のサビだけ録って、ほかの部分は英語詞の仮歌の状態でしたから」
電話から数日後、坂井さんは不慮の事故により、帰らぬ人となった。
■盗まれたスタジオの愛用マグカップ
特に忘れられない曲がいくつかある。
「まず、エンジニアの立場で好きなのは『心を開いて』です。音のバランスを整えて仕上げるミックスをアンディ・ジョーンズさんが手掛けました。アンディさんは、ローリング・ストーンズの全盛期の『スティッキー・フィンガーズ』『メイン・ストリートのならず者』『山羊の頭のスープ』『イッツ・オンリー・ロックンロール』やレッド・ツェッペリンの『レッド・ツェッペリンII』『レッド・ツェッペリンIII』『レッド・ツェッペリンIV』『聖なる館』などを手掛けている腕利きで。B'zのレコーディングに携わって、その後に『心を開いて』も依頼しました。コンピューターで打ち込んだデジタルのドラムスなのに、ものすごく躍動感がある仕上がりになっています」
ストーンズとツェッペリン。世界最高峰のロックバンドのそれぞれ全盛期のアルバムを手掛けている世界一級のエンジニアが、ZARDのサウンドを手掛けていたのだ。
「この曲は生沢佑一さんと川島だりあさんのコーラスも素晴らしい。僕自身気に入っているし、坂井さんも喜んでくれて、FAXで彼女のハナマルマークが送信されてきました」
島田さんが2曲目にあげたのは「雨に濡れて」。
「僕は学生時代にドラムスをやっていまして、ドラマー目線で好きなのが『雨に濡れて』です。打ち込みのドラムスが多いZARDの楽曲の中で、この曲は青山純さんが叩いています。青山さんは2015年に若くして亡くなられましたが、山下達郎さんやMISIAさんのバンドのドラマーでした。青山さんの演奏は、2拍目と4拍目のスネアドラムがほんの少し後ろに聴こえるんですよ。そのわずかなタイミングの違いによって、坂井さんの声と一緒に歌っているように聴こえる。歌詞に描かれている、雨のホームや、涙でにじむ歩道の風景がほんとうに見えるような曲です」
ザ・スクエアやプリズムのメンバーとしても活躍した青山さんは、1980年代から2000年代の日本のポップシーンを代表するドラマーの一人だった。
1曲1曲の質を高めるための、坂井さんの思いはすさまじかった。それは、スタジオワークにも表れていたそうだ。
「納得するまで何度でも歌いました。アレンジも、ミックスも、何度も何度も。作業は毎回CDの発売ぎりぎりまで行われて、時には発売後も直します。『運命のルーレット廻して』という、アニメ『名探偵コナン』のタイアップになった曲ではシングルおよびアルバムで20回以上アレンジをやり直しました。確かCDの発売日も変更になったはずです。この曲は、アニメでオンエアされた初期と後期では、まったく別バージョンになっています。アコースティックギターによるラテンのテイストの導入部のバックに、途中から打ち込みのドラムスがあったり、なかったり。ギターのソロも、打ち込みのベースラインやシンセも、ヴォーカルのリバーブも、かなり直しています。シングルリリース後にもミックスをやり直しているので、シングルバージョンとアルバムバージョンを聴き比べていただければはっきりとわかるはず」
坂井さんは自分の作品の客観視を常に意識していた。
「アーティスト目線とリスナー目線。常に両方を持つように心がけていたと思います。自分の歌は、歌った直後は、自分ではなかなか判断できません。だから、何パターンも、当時はカセットテープに録音して、自宅に持ち帰って家族に聴かせて、その反応を確認していました。その結果、歌詞、メロディー、アレンジ、ミックス……が直しを重ねるごとに調和していきました」
坂井さんはひと度スタジオに入ると、その集中力はすさまじかった。
だから、ヴォーカルレコーディングのブースをカーテンで仕切る以外にも、彼女が集中できるように、島田氏は心がけていた。
「ZARDのレコーディングでは、僕は必ず1時間以上前にスタジオに入り、準備を整えました。レコーディングの準備に加え、のど飴や坂井さん専用の加湿器などを用意して待ちます」
「坂井さんが100%の力を発揮できる環境を用意するのも僕の役割ですから」
喉を大切にする坂井さんは、デビューしてしばらくすると、カモミール・ティーを持参し、自分が持ち込んだマグカップで飲むようになった。
レコーディング後に島田氏がそのマグカップを洗って次に備えていた。
その場所に坂井さんはもういないが、今もスタジオには当時、使ったグッズが置いてあるという。
※マグカップは2011年のZARD展で展示中に盗難されてしまったという。坂井さんがいたスタジオへ再び戻して欲しいと、ZARDのスタッフたちは願い続けている。
(文/神舘和典)
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