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歌い継がれる応援歌 ZARD「負けないで」
「愛してる」でも、「大好きよ」でもありませんでした。「負けないで」でした。
1993年1月に世に出たZARD(ザード)の「負けないで」。弾むテンポ、盛り上がるメロディーが印象的なサビ。そこにボーカルの坂井泉水さんがのせたのは、頑張る人を励まし支える言葉でした。
詞は、楽曲制作の拠点となっていた東京・六本木のレコーディングスタジオで披露されました。ディレクターの寺尾広さん(51)は「そうくるか、と感心しましたよ」。プロデューサーの長戸大幸さん(64)も「これはいい」と身を乗り出しました。
「このメロディーはきっとこんな言葉を欲している」。寺尾さんは、坂井さんがそう口にしたことを覚えています。「音を感じ取って、言葉の力で歌の世界を形作っていく。『負けないで』も、そこには天才的なものがあった」と言います。坂井さん自身も「曲を聴いて“応援歌っぽいな”ってすぐにイメージが湧いて一気に書き上げました」と当時のことを書き残しています。
ZARDは91年にバンドとしてデビューしました。しかし、坂井さん以外のメンバーはしばしば入れ替わり、実質、坂井泉水=ZARDでした。6枚目のシングルとなった「負けないで」は、160万枚以上売れ、爆発的ヒットとなりました。坂井さんは90年代に最もシングルを売った女性歌手となり、アルバムも9作連続でミリオンセラーに。これは日本記録となりました。
(続きは4月14日付け朝刊の別刷り「be」をお読みください。)
歌い継がれる応援歌 ZARD「負けないで」
「愛してる」でも、「大好きよ」でもありませんでした。「負けないで」でした。
1993年1月に世に出たZARD(ザード)の「負けないで」。弾むテンポ、盛り上がるメロディーが印象的なサビ。そこにボーカルの坂井泉水さんがのせたのは、頑張る人を励まし支える言葉でした。
詞は、楽曲制作の拠点となっていた東京・六本木のレコーディングスタジオで披露されました。ディレクターの寺尾広さん(51)は「そうくるか、と感心しましたよ」。プロデューサーの長戸大幸さん(64)も「これはいい」と身を乗り出しました。
「このメロディーはきっとこんな言葉を欲している」。寺尾さんは、坂井さんがそう口にしたことを覚えています。「音を感じ取って、言葉の力で歌の世界を形作っていく。『負けないで』も、そこには天才的なものがあった」と言います。坂井さん自身も「曲を聴いて“応援歌っぽいな”ってすぐにイメージが湧いて一気に書き上げました」と当時のことを書き残しています。
ZARDは91年にバンドとしてデビューしました。しかし、坂井さん以外のメンバーはしばしば入れ替わり、実質、坂井泉水=ZARDでした。6枚目のシングルとなった「負けないで」は、160万枚以上売れ、爆発的ヒットとなりました。坂井さんは90年代に最もシングルを売った女性歌手となり、アルバムも9作連続でミリオンセラーに。これは日本記録となりました。
(続きは4月14日付け朝刊の別刷り「be」をお読みください。)